(巻三十四) 葛飾にむかしをおもふ彼岸かな(永井荷風)

(巻三十四) 葛飾にむかしをおもふ彼岸かな(永井荷風)

9月30日金曜日

朝家事-拭き掃除、毛布干し、洗濯物干し。ドラッグストアへ行き防虫剤、入浴剤などを買い、自分用の単4も買う。

昼飯喰って、昼寝して、散歩。

図書館に寄って返却。都住3を覗く。サンちゃんは階段の裏側に居て食い気も元気もなし。1号棟の階段にクロがいて駆け寄ってきて脚にすり寄る。情にほだされて3袋あげてしまった。

そこから白鳥生協まで歩き、2割引きの寿司で一杯いたした。

英語のお勉強もしている。今日はsagacious(賢明な)という詞を知った。覚えていられるかが問題だ。何度出合っても出てこないのが触媒(catalyst)で酵素(enzyme)と混同したりで死ぬまで覚えられないようだ。

今日、土屋賢治先生の一作を載せたが、最近先生の作品で以下を面白く読んだ。

《どんなものにも両面の真理がある。古代ギリシャプロタゴラスはどんなものについても真理は一つではないと主張した。その彼に次の逸話が残っている。

プロタゴラスは裁判に勝つための弁論術を教えていたが、弟子の一人が授業料を払わないので、裁判に訴えた。弟子は、「裁判に勝つ技術を教わらなかった」と反論した。これに対し、プロタゴラスはこう主張した。

「もしわたしが裁判に勝ったら、弟子は判決に従って金を払う義務がある。もしわたしが負けたら、弟子が裁判に勝つ技術を身につけたのだから、その謝礼を払う義務がある」

弟子も負けずに反論した。

「もしわたしが勝ったら、判決通り、金を払う必要はない。もし負けたら、裁判に勝つ技術を教わらなかったことになるのだから、金を払う必要はない」》

願い事-涅槃寂滅。

いささかのしあわせにいて秋燈(安藤鶴夫)

今のうち、今のうちに逝かねば。