(巻五)立読抜盗句歌集

まさをなる空よりしだれざくらかな(富安風生)
夫の恋見て見ぬふりの破れ傘(佐藤文子)
おでん酒酌むや肝胆相照らし(山口誓子)
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)
初雪にひとり出てゆく夜の町(太田和彦)
遠くまで行く秋風とすこし行く(矢島渚男)
しぐるるや駅に西口東口(安住敦)
下町は雨になりけり春の雪(正岡子規)
思はざる山より出し後の月(福田甲子男)
天国と思ふ布団の中にいる(高橋とも子)
飲めるだけのめたるころのおでんかな(久保田万太郎)
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る(種田山頭火)
ゆるやかに非凡の湯気や茸飯(神谷米子)
芋の露連山影を正うす(飯田蛇笏)
好きな子に好きな子の居り星今宵(松沢季?)
墨東や運河にゆらぐおでんの灯(鷹羽狩行)
平凡な日々のある日のきのこ飯(日野草城)
煮大根煮かへす孤独地獄なれ(久保田万太郎)
葉桜となりてくつろぐ木を愛すもうどこだつて触つてもよし(小島ゆかり)
畑うつやうごかぬ雲もなくなりぬ(蕪村)
青ぬたやさらりと流す艶ばなし(林佑子)
名刀の錆びたるごとく秋刀魚焼く(山仲勉)
秋の暮生き足りしとも足らずとも(稲垣長)
船よりも白き航跡夏はじまる(鷹羽狩行)
柿一つ枝に残りて烏哉(漱石)
味無きをよしといふなり蕪蒸(宮津昭彦)
夏河を越すうれしさよ手に草履(蕪村)
立ち飲みの店に芒の挿されある(物江里人)
存(ながら)へて人生その二天高し(岸田健)
鯊(はぜ)日和 一度に三尾掛かりけり(上田尾義博)
筑波山渡りをせむとアサギマダラ秋空かきまぜ群れて飛びをり(猪野富子)
貧乏に匂ひありけり立葵(小澤實)
新雪に踏み込み絵馬を掛けにけり(戸恒東人)
捨てられぬ本動かして年の暮(小島健)
ぼろ市に買ふ気の膝をつきにけり(林八重子)
人妻と濡れて歩くや京時雨(白濱一羊)
台風の雲二層なり明と暗(押野裕)
改札の先に道なし大夕立(丸山清子)
線引けば敵と味方や秋の空(加藤静夫)
寄るよりも散る華やぎの都鳥(石鍋みさ代)
佐渡ケ島ほどに布団を離しけり(櫂未知子)
山里は留守かと見えて冬構へ(諷竹)
うつくしきあぎととあへり能登時雨(飴山実) あぎと=顎=あご
釣鐘にとまりて眠る胡てふ哉(蕪村)
焦げ鍋を夫が磨くや秋の水(河野正子)
出あひたるマスクの上の憎悪の眼(松尾いはほ)
縞目濃き冬至南瓜に刃を入れる(木内彰志)
寺猫の丸うて白し夕しぐれ(辻美奈子)
定年の男が叩く干布団(井上玉枝)
暁闇(ぎょうあん)に褌(たふさぎ)代えて初日待つ(金子兜太)
これやこの冬三日月の鋭(と)きひかり(久保田万太郎)
秋風や模様の違ふ皿二つ(原石てい)
顔見世の楽屋入りまで清水に(中村吉右衛門)
したたかに水打つ間口一間半(鈴木真砂女)
美しき思い出だけではないと笑い同窓会に彼女は来ない(石井かおり)
どんぐりやつないでいない方の手に(伊佐利子)
若鮎の二手になりて上りけり(正岡子規)
ぬば玉の寝屋かいまみぬ嫁が君(芝不器男)
会えぬ人会わぬ人あり秋の水(平光俊明)
さうぶ湯やさうぶ寄りくる乳のあたり(白雄)
新茶の香真昼の眠気転じたり(一茶)
船窓に音なくひらき遠花火(澤好摩)
櫛買へば簪(かんざし)が媚びる夜寒かな(渡辺水巴)
手に受けし林檎の中の闇思ふ(小谷一夫)
立ち飲みに女がひとり暮の秋(相坂康)
居心地の悪き生家や吊し柿(あらいひとし)
どうせなら思う存分降ってくれあるんだたまに濡れたい気分(西之原正明)
たんぽぽもけふ白頭に暮の春(召波)
うき草や今朝はあちらの岸に咲(さく)(乙由ーおつゆう)
雲の峰まことに大志あるごとし(馬場龍吉)
靡くたび風の揃ひし芒かな(越智麦洲)
式場で一人ぼっちで留袖着て明日からわたし姑になる(福田万里子)
一夜(ひとよ)づつ淋しさ替る時雨かな(巴人)
春雨やうつくしうなる物ばかり(千代尼)
秋なれや木の間木の間の空の色(也有ーやいう)
子規(ほととぎす)かほの出されぬ格子かな(野坡)
にこやかに酒煮ることが女らしきつとめかわれにさびしき夕ぐれ(若山喜志子)
海山のものの重みを雑煮椀(野澤節子)
谷といふ器溢るる紅葉かな(八木澤賞)
志ん生のびんぼう自慢梅漬くる(望月秀子)
それぞれの仕事の匂ふ夜学生(天野明正)
ビニール傘透かして時雨の中華門(奈良文夫)
不遜なる大志なつかし鰯雲(愛川弘文)
験(しるし)なき物を思はずは一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし(大伴旅人)
さやけくて妻とも知らずすれちがふ(西垣脩)
中年や遠くにみのれる夜の桃(西東三鬼)
足軽のかたまつて行く寒さかな(井上士朗)
晦日定めなき世のさだめ哉(西鶴)