(巻九)羽ならす蜂あたたかに見なさるる窓をうづめて咲くさうびかな(橘曙覧)

11月21日土曜日

看護師さんから、もっと水を飲んで血尿を薄めるようにとご指導いただている。
売店に降りて、伊藤園のお茶を仕入れるのだが、俳句が同じものばかりで困った。

山笑ふ住めば都のどまん中(石川勇之助ー伊藤園新俳句で好きな句です。)

朝から三本飲んだ(1・5リットル)。色は極めて薄いロゼまでになった。(ワイン愛好者の皆様ごめんなさい。)

そして、ついに尿導管があそこから引き抜かれ、私の体にはもう何も管は取り付けられていない。


村上春樹氏は序文でこの雑文集を福袋に喩え、気に入ったものを選んで楽しむことを了承されている。
私にとっては、楽しむ前に、理解できる設定で書かれた文章を見付け出すことが難しい。
ジャズ演奏家や文豪を語っている文章には歯が立たない。

404ページから406ページに「デーブ・ヒルトンのシーズン」という文章があり、これは設定と人物を理解した上で読めました。
この人物は1978年にスワローズで活躍した、この上なく誠実な外国人助っ人選手でした。
読後、タイガースのラインバックさんのことも思い出した。

神宮の夕立去りて打撃戦(ねじめ正一)

知らない設定では理解に努めないということになると、何も新しいことを知り得ないということになりますね?
「自分の輪を開く」か。

噴水の折れる他なき高さかな(川崎文代)

何事も、それ自体だけを切り離して理解することはできないのだからジャズ演奏家や文豪についての文章も、とにかく読んでみて、もしかしたら、今後遭遇する他の断片情報との関連付けのピースにしよう。

そういうことも「おいしい牡蛎フライ食べ方」(P25からP39)に書かれている、と考えた。