(巻十一)秋の暮水のやうなる酒二合(村上鬼城)

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5月20日金曜日

芭蕉庵跡へ

今日の午後は半日ズルいたしました。いずれ年金生活者として葛飾の一隅に籠ることになれば定期券もなく、都心部に出てくるのも容易ではなかろうと思いました。そこで、先ずは隅田川ぞいにある俳聖芭蕉の庵跡を訪ねました。
都営地下鉄大江戸線清澄白河駅で下車し、清洲橋通りを大川に向かって五分ほど歩き、萬年橋通りのところで右に曲がりました。そこまでの途中には横綱通りという相撲部屋の集まっている所もあるようで案内盤が設けてございました。
萬年橋通り入るとすぐに画にも描かれた古風な鉄橋の萬年橋が目に入ります。橋の両端には石の椅子を置いた小さな休息処があり、おそらく多くのアマチュア画家がここで絵筆を取ったことでしょう。
江戸時代の運河であった小名木川をまたぐ短い萬年橋を渡り終えたところで左手に路地を入ると50米ほど先の正面に隅田川の護岸が見えます。そしてその手前の右側には“芭蕉稲荷大明神”の赤い幟が幾重にも立てられておりました。
大明神に俳句上達を祈願して手を合わせて、護岸に着くと左手に登る細い石段があり、20段ほど登った所にバレーボールのコート半面ほどの芭蕉庵跡が小公園のように整えられており、芭蕉の像が鎮座しておりました(写真)。その他は金属盤の説明でこの庵の由来や弟子たちとの交流が説明されています。建物は一切なく、侘しく慎ましい構成になっております。

芭蕉忌や我に派もなし伝もなし(正岡子規)

この場所は小名木川隅田川に流れ込むこの場所は岬のようになっています。そして、ここからはライン河に架かる“なんとか橋”を真似て設計された優美な橋姿の清洲橋が前面に見えます。芭蕉庵跡の下の護岸遊歩道からは老人たちが、何が釣れるのか、糸を垂らしておりました。
さて、これからどうしょうかと考えましたが、ちょうど大相撲が場所中なので両国まで護岸遊歩道を歩いてみることにいたしました。(前半了)