1月12日木曜日
朝の舗道にハクセキレイ(資料写真)らしきを見とめた。雀、鳩、烏には申し訳ないが美しさが違う。
寒晴れや早起き鳥の小気味よし(潤)
ヤフーのニュースを読んでいたらガラケーが地味ながらも支持を受け進化をしているという。
そもそもガラケーの意味を知らなかったが「ガラパゴス携帯」とは恐れ入った。
NTT、KDDIともにすぐに見限ることはなさそうなだし、メーカーも新機種を販売していると報じていて絶滅が先に延びるかもしれないとのことである。
ガラケーの魅力は通信料金であるが、我輩もおとなしく使っていれば定額内である。1日一回の写真アップをしてもそれほどは懐に響かない。出来ればコチコチやりながら最期までガラケーで通したいものである。
俳句・短歌の世界では今のところ“携帯”が主流のようであり我輩の在庫も“携帯”までである。ものがコミュニケーションツールであることからストーリー性が高い。好きな“携帯”を在庫に蓄えているが短歌が多い。
手を合わすごとくケイタイゆっくりと閉じて返事の来ることを祈る(高野裕紀)
ケータイに操られつつ店内に食品探す初老の男(小野寺健二)
仏壇に置かれた友のガラケーがバイブで知らすメール着信(小島敦)
ついでながら、我輩の俳論“我輩論”、好みを申せば、小説のようなストーリー俳句である。五七五で一冊の小説を読み切ったような句が好きである。
例えば:
秋風やあれも昔の美少年(一茶)
したたかに水打つ間口一間半(鈴木真砂女)
熱燗の夫にも捨てし夢あらむ(西村和子)
などは人生の物語を五七五に凝縮していると思っている。
死ぬのはいや蟻がむらがる蝶を見て(死刑囚某)
は詠み手を含めて小説ではないか。
小説といえば男と女の縺れ合いも扱われるが、
さよならのバレンタインのチョコレート(藤原宜子)
後ろ手に閉める障子の秘密めく(塩見成子)
なりそめは帰省列車の手弁当(細谷定行)
ほかにユーモア小説、ポルノ小説、反戦小説、冥界小説、夫婦小説、風刺小説、プロレタリア小説、と何でもありである。
韮汁や体臭を売る私小説(花田春兆)