(巻十四)鳥葬図見た夜の床の腓(こむら)返り(伊丹三樹彦)

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5月5日金曜日

父の日記帳を一度は新聞屋の回収袋に突っ込んだが、気が咎めサルベージした。息子には申し訳ないが数少ない我輩の遺留品の中に余計なものが増えてしまうことになる。我輩はその種の個人的思い出は電子データにしてヤフーに任せている。ヤフーがいつまであるのか知らないが、あるうちはデータは残るかもしれない。三十代、四十代そして五十代の思い出写真も、データなら誰の負担にはならないだろうし、多分家人の知るところとはなるまい。

言ひ訳のできぬ物出る土用干(田村米生)



一日に一句詠もうなどと云う野望は持っていないが、句歌には巡り逢うたいとは思っている。
今日は、

子規庵の素通しガラス冷まじや(高澤良一)

を書き留めた。過日根岸に子規庵を訪れガラス戸の由来は聞いている。

句歌を書き留めてブログに載せる句が一つ増えたら、それで一日命が延びたつもりでいるのは浅はかことである。そうではあるが、在庫から逆算すると余命はあと四年くらいはあることになる。

神のみぞ知ることの多すぎる春(稲畑廣太郎)