(巻十六)驕りいし人には見えず秋の虹(大牧広)

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9月11日月曜日

今日も一日お休みを戴いた。
一には、千葉西総合病院で年に一度のCT撮影をしていただくためである。
二には、年金受給手続きに必要な住民登録票、細君の非課税証明を区役所でいただくためである。
三には、同じく年金受給手続きに必要な戸籍謄本を本籍地である豊島区役所でいただくためである。

先ずは、二の仕事のうち、住民登録票を葛飾区の亀有事務所で頂いた。細君の非課税証明は今年1月1日の居住地である柏市役所でと云うことで、柏に廻った。幸い、葛飾の世帯住民登録票を頂いていたので、柏市の行政サービスセンターで細君の委任状なしで交付して貰えた。9時45分に二を完了!
どちらのお役所も非常勤と思われるおばちゃんたちでこの種の行政サービスは賄われているようである。変則案件への対応は本官に確認のようであるが、 おばちゃんたちの事務処理能力は高い!

一のために、柏から松戸に戻り、新京成線に乗り換える。病院の予約時間は11時なので大丈夫であろう。
常磐緩行線は昨日の小田急線火災の影響であろうか、やや遅れがちであったが、快速は通常運転であった。
松戸から病院のある常盤平までは新京成線に乗る。駅の数は多いが所要時間は十分少々である。常盤平駅から病院までは徒歩6分と案内板には表示されているが、病人が歩ける距離ではない。15分間隔で運行されているマイクロバスに我輩もお世話になった。
病院に到着し、受付を終えて一服しょうかと病院構内を出てみた。駐車場の外れで携帯灰皿を使って一服しながら駐車場の看板を眺めて、どうでもよいことを思った。この文面で“万一”はおかしくない?(写真)
一のイは採血であり、予約票のホルダーをイン・トレイに入れた。以前は番号で呼び出しを受けたのだが、「お名前で、お呼びします。」に戻したようだ。年寄れば名前すら危ういのに、番号なぞを覚えておきなさいさいと云うのは無理だと気付いたのであろう?
飲料は可であるが食物は禁止されての検査である。大分腹が空いてきた。終わったら何を食べようかなどと考え始めたが、健康とは有難い。一昨日は海鮮丼をいただき、昨日は細君とアスターに入り、冷し中華をいただいた。(細君はランチコースであるが、食べきれないのでかなりのところを我輩が相伴に預かった。)
名前で呼ばれて、この道何十年と云うような看護婦さんに採血していただいた。血を抜かれたせいか、一層空腹感が増した!
CTの受付を終わり、CTの待合ベンチに移った。カツ丼も悪くないな?などと考え始める!
名前で呼ばれて、CT室に入る。ズボンを下げるだけでよいとのこと。狭い台に横たわる。台がスライドしてトンネルに入る。機器はPhillips製だ。息を止めて、カシャリを2回繰り返して終了した。Phillips製だけに息を吸って、止めて、吐くサインの顔のアイコンの鼻が尖っているなあ!などと思っているうちに終わった。
検査は思っていた以上に手早く終わり、会計も30人待ち程度だったのでそれほど待たずに終わった。
因みに医療費は三割負担で七千円であった。
常盤平駅に戻り、新京成線に乗ったが車内広告に写真のものがあった。江國滋の句のことも思い出した。
七千円払ったら、食欲がやや減退した。


その三の任務に向けて先ずは千代田線の町屋駅に向かうことにした。豊島区役所は池袋駅から行けるが、池袋駅、そして池袋界隈が好きではない。都電雑司ヶ谷停留所が一層近いので、町屋から都電荒川線(旧王子電車)で行くことにした。これからが“旅”である。
町屋の停留所から早稲田行きに乗った。運賃は170円である。車両は小綺麗になっていてチンチン電車の面影を遺すのは発車合図のチンチンと云うベルの音であるが、本当にベルを鳴らしているのかどうなのか、やや疑問に思うところである。
チンチン電車はもはや跡形のない「荒川遊園」、進んで「王子駅前」、「大塚駅前」を過ぎて東池袋4丁目停留所に着いた。
雑司が谷が最寄り駅と思っていたが、東池袋4丁目が最寄り駅との車内放送があったの自説を曲げて下車した。
町屋停留所から東池袋4丁目停留所までの間チンチン電車は殆んど専用軌道を走り、一般道路を自動車と並走するのは王子駅前から飛鳥山停留所までの一区間だけであるから路面電車ではない。
都電東池袋4丁目停留所は東京メトロ有楽町線東池袋駅の上にある。そこから高速道路下を5分程で着いた。
豊島区役所はタワーマンションの三、四階にあり賢い商売をしたとニュースなっていたが、なるほどと一度見上げてから入って行った。
三階がいわゆる市民課のフロワーで、案内係の案内に沿って申請書をしたため、窓口でお渡しした。本籍地“豊島区南大塚2ー15をちょっと度忘れし、恥ずかしながらもたついてしまったが、なんとか思い出せた。10分程で呼び出しがかかり、「年金用」と朱印された戸籍謄本を戴いた。年金用は無料で交付いただけるとのことであった。
戸籍謄本を鞄にしまう前にちょっと眺めてみた。出生地は文京区になっている。東京大学医学部産婦人科教室で帝王切開で産まれだから、我輩は紛れもない赤門出である。無学な両親は無責任にも執刀医のお名前を戴いて、我輩に貼り付けたものだから、「潤」などと云う後々苦労する分不相応な名になった。そのくせ、出生届けは一ヶ月過ぎた10月7日になっている。いい加減な我輩の性格も“呪われた”ものと諦めるしかない!
一、二、三の任務を完了し、東池袋4丁目停留所に戻った。踏切の向こうに中華が見えたのでのぞいてみた。“揚州商人”というケバケバしい構えの店であった。担々麺が九百円であるから、やや高めであるが入った。餃子でビールを飲み、担々麺を頂いたが、日高屋より高いだけのことはあった。
さて、ここまで来たのだから、雑司が谷墓地に文豪を訪ねることにした。
墓地の入り口には、夢二から橋蔵まで十人ほどの墓所が地図に示されていた。
夢二、漱石荷風とお詣りして雑司が谷停留所に出て、三ノ輪橋行きに乗った。雑司が谷停留所から三ノ輪橋の終電までは50分だそうだか、乗ってみることにした。