1/2「飲む場所(一部抜き書き)-吉田健一」中公文庫 私の食物誌 から

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1/2「飲む場所(一部抜き書き)-吉田健一」中公文庫 私の食物誌 から
 

昔は文士が集って飲む場所があって、その文士もいた。併し一人で飲む所ならば今でもある。同時に、この頃はどこかの店などのことを名前を挙げて書くと直ぐそこに人が押し掛ける傾向があって、これは名前を挙げるものが偉いからではなくて何でも活字になったものは人目を惹く程もの見高い今日の時勢だからであり、今日の時勢などというのは後十五年もすれば大昔のことになって気に掛けることはないが、自分の行く店に迷惑な思いがさせたくなければその名前まで挙げるのは遠慮すべきである。それでその積りでこれから書く。
今でもよく行くそういう店の一軒に、その場所も実は余りはっきりしないのであるが、要するに大阪の道頓堀を一つの端から反対の端ま で歩いて 行ってもしその時左側になければ今度は又もとの歩き出した場所に向って行ってどこか右側にある筈の店で葦簾で囲ったおでん屋である。少くとも、かなり最近まではそうだったから今でも葦簾囲ってあるのだと思う。先ずそこの酒が何とも飲み易い。この店に最初行ったのがどの位前になるかもう思い出ないが、いつ行っても同じコの字型の卓子がおでんが煮えている銅壺を取り巻き、その酒が錫の四角いおちょこに注がれて一晩が始る。それが何という酒なのか聞いたこともあって、もう忘れてしまったのは大抵こういう所で旨いと思ってその名前を教えられてもそこにはからくりのようなものがあり、酒屋に行ってその名前のものを買って来ても味が違うからである。恐らくは二種類以上の酒が調合されている のだろうと思う。昔、これは店ではなくて、石川県金沢の或る社長さんが出して下さる酒の正体がどうしても?めず、それで漸く教えて戴いた所ではそれは御主人が御自分で金沢の酒と灘の酒を或る割合でお混ぜになったものだった。
道頓堀のおでん屋で出す酒もどうもその種類らしい。その四角いおちょこというのが、七、八勺は入るもののようで一杯新たに注がれる毎に木の札が一枚卓子に置かれ、それが積って行くのを見ていて思い出すのは、今はどうなっているか知らないが、その昔パリのカフェでビールを飲んでいるとジョッキが一杯幾らの値段を焼き込んだ皿に乗せて持って来られてもう一杯注文する度にその皿が卓子に積まれたものだったことである。それでこの道頓堀のおでん屋の札と同じ く皿を数えれば勘定が解る仕組みになっていた。そのおでん屋で一人で飲んでいて何がいいかと言うと別にこういう訳だからということもない。一体に人間はどういうことを求めて一人で飲むのだろうか。そうして一人でいるのに飲むことさえ必要ではなさそうにも思えるが、それでも飲んでいれば適当に血の廻りがよくなって頭も煩さくない程度に働き出し、酒なしでは記憶に戻って来なかったことや思い当らなかったことと付き合って時間が過ごせる。
併しそれよりも何となし酒の海に浮んでいるような感じがするのが冬の炉端で火に見入っているのと同じでいつまでもそうしていたい気持ちを起させる。この頃になって漸く解ったことはそれが逃避でも暇潰しでもなくてそれこそ自分が確かにいて生き ていることの証拠でもあり、それを自分に知らせる方法であるということで、酒とか火とかいうものがあってそれと向い合っている形でいる時程そうやっている自分が生きるものであることがはっきりすることはない。そうなれば人間は何の為にこの世にいるのかなどというのは全くの愚問になって、それは寒い時に火に当り、寒くなくても酒を飲んでほろ酔い機嫌になる為であり、それが出来なかったりその邪魔をするものがあったりする から働きもし、奔走もし、出世もし、若い頃は苦労しましたなどと言いもするのではないか。我々は幾ら金と名誉を一身に集めてもそれは飲めもしなければ火の色をして我々の眼の前で燃えることもない。又その酒や火を手に入れるのに金や名誉がそんなに沢山なくてはならないということもない。