(巻十七)どちらへもころがる運や櫟の実(高橋将夫)

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2月4日日曜日

スポーツの楽しきニュース春立ぬ(唐津春城)

かつて日経に掲載されていた評論を頷きながら読んでいた 豊田泰光氏の評論が読みたくなった。
図書館で検索したら、日経に掲載したコラムの作品集“豊田泰光108の遺言””が区内の鎌倉図書館に所蔵されていて此方の図書館で貸出していただけるようなので予約した。
すんなりとできたわけではない。貸出カードは持って行ったが暗証番号を忘れていて、司書の方の手を煩わせた。
お願いした本が亀有図書館に届くと、電話かメール、で連絡をいただけるが、不要にしておいた。来週の土日の何れかには図書館に行けるであろう。

春立つや一生涯の女運(加藤郁乎)

昼飯のときの細君との話題は“冬来たりなば春遠からじ”の出所であった。朝日新聞の論説がシェリーの詩に触れて、このことばが使われていたので話題となった。
論説の論立てを尻から頭へ遡れば、猿のクローンは善くない→フランケンシュタイは善くない→フランケンシュタイの作者はメアリー・シェリーである→メアリー・シェリーの夫のシェリーの詩に“冬来たりなば春遠からじ”がある、である。

物知の蘊蓄を聴く屏風かな(野中亮介)

細君は食事の途中で本棚から文庫のイギリス詩集を取ってきてその長い詩を唱えて下さった。

文学少女が老し吾が妻茨の実(草間時彦)

因に昼食は昨晩の残り豚スープに磯辺巻きであった。

春立ちて菰もかぶらず五十年(小林一茶)

そんなこんなで今日も幸せと云えばこれ以上の幸せはないであろう至福の一日を過ごした。