(巻十八)炎天や川太ければ橋長く(遠藤由樹子)

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4月1日日曜日

死を持ちて生まるる誤算万愚節(立川弘子)

4月になった。
彼岸のお詣りが遅れたが親子三人で染井霊園の外れにある義母の納骨堂へ出掛けた。

棄てるとも棄てるるともみづからを入るる無縁墓地人は購ふ(宮原勉)

そこへ私たちも入ることを考えている。私たちもいずれ無縁になると解っている。

町屋駅前から都電荒川線に乗って、熊野前、荒川車庫、王子駅前、飛鳥山と通って新庚申塚で降りた。

行く春や都電は音を轢きながら(増田守)

都電は一般利用者とお花見に行く人で混雑していた。乗客には後期高齢者も多く私たち夫婦程度ではむしろ席を譲る側である。

そう言う納骨堂であるから事務的な事務所があり、そこで花と線香をもとめて集合的に供養してくれている供養塔に花と線香を供えて手を合わせ、故人の名札を撫でてお詣りを終えた。普通の墓であれば花も線香も二つ要るが、ここは供養塔なので一つづつでよい。花は千円で線香は百円であった。

お詣りのあと、染井霊園の塀にそってしばらくあるいた。霊園の中にも桜が咲いていた。
細君の蘊蓄でここが“染井吉野”の発祥の地であることを知った。

地蔵通りに出て、鶴すしという鮨屋でちらし寿司をいただいて、そこで息子とは別れた。

何の鮨あるか見ている生身魂(西村麒麟)


帰路は都電を使わず山手線千代田線で帰宅し、昼寝。
何事も儀式の簡略化の方向で動いている。特にこう言う納骨堂の場合は寺のとの縁がない。寺と無縁で檀家ではないところが残った縁者には負担なしでありがたい。