(巻十八)人並といふに安んじ初写真(西村和子)

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4月15日日曜日

団地住まいは“人並み”感を味わうにもっとも適したライフスタイルと云えるのではないだろうか?同じようなサイズと間取りに六百世帯が同じような家賃を払って生活しているのだから。

間取図のコピーのコピー小鳥来る(岡田由季)

もっとお金があれば分譲マンションや戸建に移っていくだろう。団地の家賃は安くはないので払えないなら、アパートなど団地よりは安い賃貸に移って行くだろうから、ここには同じくらいの懐具合の人たちが住んでいるはずで、ここにいるだけでこの程度の“人並み”感を堪能できる。

群れて生き群れて干さるる目刺かな(石井いさお)

私の好きなもうひとつの団地的な感覚は“一蓮托生感”であります。同年輩や年上の方々も団地に住んでいて、安定した生活をされている。この安定も天変地異や動乱や兎に角自分ではどうにもならない変動・混乱がおきて悲惨な結末を迎えることになるかもしれません。それでも、この団地に住む年寄りたちと同じ運命を辿るのだと思えば、諦めもつこうというものである。

月天心どこかできまりいる運命(岡本差知子)

荒れる日曜日と警戒していたが、午後には穏やかな天気となり洗濯物も干せた。散歩には出掛けなかったが、昨日外出した折りに一撮いたした花の豊かな街角の中華料理屋の写真を載せます。
郊外の住宅地では庭先の木々や植え込みを愛でながらてスーパーマーケットへ買い物に行ったものだか、この地では家を土地ギリギリに建てているので庭や立木あるような個人宅があまり見受けられない。

庭先の梅を拝見しつつ行く(松井秋尚)

その代わりに鉢仕立てはよく見掛ける。

一枝は薬の瓶に梅の花(子規)