「要するに、ノイローゼ ー 養老孟司」文春文庫 涼しい脳味噌 から

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「要するに、ノイローゼ ー 養老孟司」文春文庫 涼しい脳味噌 から
 

古本屋で、『禅林法話集』を買ってくる。奥付けには大正十年十月一日とある。こんなものはほとんどの人は読むまい。総ルビ、内容は一休、沢庵、正眼、白隠法話。頁の上の方が空いていて、そこのところどころ注が入っている。自然科学ではアメリカの教科書がよくこれをやるが、日本の教科書にもこの形式が入ってきた。なに、日本にも古くからあるやり方なのである。戦時中に紙がなかったものだから、勿体ないというので、こうした余白が無くなったのか。この余白は、書き込みには、はなはだ便利である。
菩薩の四弘誓願(しぐぜいがん)が、その注にちゃんと記してある。衆生無辺誓願度、煩悩無尽誓願断、法門無量誓願学、仏道無上誓願成、むやみに漢字ばかり並んでいるが、読めばなんとか意味はわかる。耳で聞いたら、なんのことやらわからない。なぜこれが問題かというと、私の家は鎌倉だから、円覚寺の雲水がときどき托鉢に来る。いい気持ちで朝寝をしていると、玄関先で大声でこれをやられて跳ね起きる。わが家の馬鹿ネコは、どうしたわけか、この菩薩の四弘誓願が大好きで、すぐに玄関先に飛び出していく。昔なら、殊勝な猫であるというので、殿様から褒美が貰えたかもしれない。もっとも、女房の謡のテープをかけても寄って来て、テープレコーダーの匂いを かいでいる から、ネコの鳴き声だと思っているのかもしれない。
わが女房は、三番目の法門無量誓願学を、訪問無料と聞いていたらしい。なるほど、ワープロでも確かに訪問無料と出る。訪問無料にもかかわらずお布施をあげるところに、女房なりの矛盾を長年感じていたのであろう。やはり書物は読むべきものである。長年の疑問が氷解することもある。
こんな書物をどうして買ったかというと、禅宗では身体をどう考えているか、それが知りたかったである。その目的はおおむね達した。もっとも、詳しいことは、さrに勉強しないといけない。ないしろなんでも独学だから、不便で仕方がない。図書館を利用すべきであろうが、大学の図書館からは一冊本を借りたままで、五六年返していない。ひょっとしたら十年になるかもしれぬ。これを返すのが面倒で、行くわけにはいかない。私は不肖、大学の医学図書館長であるが、遺憾ながら医学図書館には禅の本はない。返すべき本をコピーすればいいのだが、コピー屋に行くのが面倒臭い。それにコピーを製本した本というのは、紙が厚くて、とても本とは言えない。開いておいた 頁が、手を 離すとパタンと閉じる。まるで意地悪をされているようである。無理に開くと、安い製本だから、全体が壊れる。なんのために製本したかわからない。頁を全部バラバラにしておくと、今度は順序が目茶目茶になって、収拾がつかなくなる。便利なものとは、しばしば斯様(かよう)に安直である。
一休の法話を読んだついでに、『一休がいこつ』を読んでみようと思う。以前コピーしてあったのを捜し出して、仔細に眺める。皆目読めない。ふにゃふにゃの昔風の字体で仮名が書いてあるから、面倒臭くて読めたものでない。これが教養のない悲しさ、字が読めなくては、救いようがない。そう言えば、絵入り般若心経というのがあった。「観自在菩薩」なら、まず缶詰を描き、自在鉤を描き、といった具合で最後まで行く。これはもちろん、ともかく音だけは暗記していないと役には立たない。要するにお経のメモみたいなものであろう。古人もいろいろと苦労はしている。
こんな本を読んで遊んでいるから、勉学が進まない。それでも職業意識が出て、白隠の言う「禅病」が気になってくる。真面目な人が真面目に修行をしていると、禅病に罹る。昔風に言えば、神経衰弱である。
「心火逆上し、肺金焦枯して、雙脚氷雪の底に浸すが如く、両耳渓声の間を行くが如し。肝胆常に衰弱にして、挙措恐怖多く、心神困倦し、寝寤種々の境界を見る。両腋常に汗を生じ、両眼常に涙を帯ぶ。此において遍く明師に投じ、広く名医を探ると云えども、百薬功なし」。
言うことが古風だが、昔のことでそれは仕方がない。自律神経失調の症状が出ているらしい。腋の下から汗が出たり、涙が出たりするのは、交感神経の機能亢進であろう。足が冷たくなるのも同じ。血管周囲の平滑筋が収縮している。心火が逆上するとは、どうなっているのかよくわからないが、要するに動悸がするわけであろう。それならこれも自律神経失調症。心臓への交感神経がアドレナリンを分泌すると、こういうことになる。怒った時や、ビックリした時と同じ。あとは耳鳴りがし、神経質になり、変な夢ばかり見てしょうがない。そして気分が徹底的に鬱になる。要するにノイローゼではないか。
白隠はこの自称「難病」を克服して以来、むやみに元気になってしまう。
「終日坐して飽かず、終日誦して曾して倦まず、終日書して困せず、終日説て曾て屈せず。縦ひ日々に万善を行ずと云えども、終に怠惰の色なく、心量次第に寛大にして、気力常に勇壮なり、苦熱煩暑の夏の日も扇せず汗せず、玄冬素雪の冬の夜も襪せず?せず、云々」。
少し元気になりすぎてやしないかという気もするが、ノイローゼを治すとここまで自信がつくらしい。自信がなくて起こった病だから、治ったあとは、たいへんな自信である。
「これは、べつに禅の問題ではありません。修行で起こったノイローゼが、修行で治っただけです。それを修行で治った治ったとばかり言うのを、マッチポンプと言います」。そう白隠に言うと、また病気が悪くなる可能性がある。黙って置くにしくはない。