4/5「四畳半襖の下張「裁判」法廷私記 - 吉行淳之介」ちくま文庫 吉行淳之介ベスト・エッセイ から

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4/5「四畳半襖の下張「裁判」法廷私記 - 吉行淳之介ちくま文庫 吉行淳之介ベスト・エッセイ から

法廷内に戻って着席し、丸谷才一が立上がりかける直前、廷吏(というか、六十年配の小柄で感じのよい人物)が私の席に紙片をもってきて、私はポケットからハンコを出して捺印した。傍聴人にはその意味が分からなかったらしく(それは当然である)、あとである人に聞かれた。
それは、こういう訳である。
宣誓が終って宣誓書に氏名や生年月日を記入し、捺印する。最後の行に「日当および交通費」という項目があり、「申請します・申請しません」という印刷文字があって、どちらかを消すことになっている。
開高健と私とがそれを眺めて考えていると、廷吏のおじさんが、
「記念にもらっておきなさいよ」
というので
「な るほどなあ 、まず一生、こういう形で金をもらうことはないからなあ」と異口同音に返事をした。
「ずいぶんシャレたことを言うなあ」
と、私は声に出して呟き、こういう場所で聞けるとは予想していなかった言葉には違いないが、その廷吏はただ素朴に言っただけかもしれない。そういう経緯があったので、親切なおじさんは隙をみて申請書を私の前に持ってきてくれ、そこに捺印したわけである。因(ちな)みに、当日の手にした金額は、開高が千三百円、私が千二百六十円であった。現住所からの往復の電車賃が二百円、日当が千二百円、合計千四百円から源泉徴収十パーセントを差引いて、千二百六十円になったのか。交通費には課税しない、という説もあり、そうなるとこの数字はよく分からない。
さて、丸谷才一特別弁護人が立って質問をはじめた。大声の男が揃う日で、文壇三大声とは、丸谷、開高そして井上光晴ということになっている。この日の丸谷は有能な大学教授がじっくり講義を開始する口調で、矢鱈な大声ではなかった。私も地声は小さいほうではなく、バーで便所へ行った男の悪口を言うと、その小部屋の中まで聞えてしまったことがあるが、丸谷に合わせて音量を調節して答える。

丸谷才一特別弁護人 荷風はなぜ「四畳半 -」を書いたと思いますか。
吉行 春本を書くには、いくつかの要素があります。第一は、文章の力を試し習練するため.....、絵描きはほとんど皆描いています。性行為の体位というのはややこしく絡まっていて複雑ですからな、デッサン力の勉強になります。(笑)。第二は、ぬるま湯的な市民生活や偽善的な世間に対して、ショックを与えたいという衝動が湧いてくるケース。もう一つは自分の性的ポテンシャルの低下がその根もとにある場合。荷風のこの文章の場合は、推定四十歳くらいですから、小市民生活を冷笑しようとしたのではないかなあ(その導入部だけを第一級の権威ある文芸誌の載せて、素知らぬ 顔をしたいという気分も加わっているとおもえる)。いかにも、これは荷風ごのみです。
丸谷 春本の文学的価値は。
吉行 動機とその結果はしばしば違ってきます。バルザックは借金を返すために作品を書きとばしたが、文学的価値のあるものができた。荷風の場合も、「四畳半 - 」には文学的価値といえるものが部分的に含まれています。つまり、荷風にとってはそれは春本でなければならなかったのに、その人間観察の力のために、春本の枠に入り切らなかった部分もある。心ならずも、枠を越えてしまった感じですね。
丸谷 「枠を越えた」とは、どういうことですか。
吉行 春本というのは、性感だけを強烈に刺激しなくてはいけないんですよ。しかし「四畳半 - 」は、人間性の洞察、男と女との相違についてのほうで読者の抽象的思考力を刺激する部分が多い。これは春本としてはマイナスですが、そういう部分に、文学的価値は認められます。
丸谷 それは、どの部分ですか。
吉行 よく覚えていないんですが.....、その雑誌を貸してください(書記官が手渡した『面白半分』四十七年七月号をめくりながら)、たとえば(と、二か所ほどあげて)、またこういうところもあります。「女は何とも言わず、今方やっと静まりたる息づかいすぐあらくさせて顔を上げざれば、こりゃてっきり二度目を欲する下心と、内心おかし く、暫く して腰を休めて見るに、女は果せる哉、夢中にて上から腰をつかうぞ恐ろしき」つまり、女が終ったあともすぐに腰を動かしはじめる描写があります。このへんに女の生理のすさまじさ恐ろしさを感じます。この「おそろしき」という表現は、真実の声であるとともに、ユーモラスな表現で、結構です。私たちの年代になれば、べつに目新しいことではないが、若いころは参考になったし(笑)、いまの二十代の人たちにも参考になるでしょう(傍聴席爆笑、三人の裁判官、検事も笑ったそうだ。私の席からは、三人の裁判官の表情をみることはできない)。
丸谷 もうほかにはありませんか。
吉行 まだヤルのですか(爆笑)。この主人公は、結局芸者のお袖が気に入って結婚するわけで、ここらあたりはなかなか道徳的です(笑)。しかし、一たん結婚してしまうと、また浮気したくなるのが男というもので、ここらを、「女房は三度の飯なり。立喰の鮓で舌鼓打てばとて、三度の飯がいらぬ訳あるべからず。家にきまった三度の飯あればこそ、間食のぜいたくも言えるなり。此の理知らば女房たるもの何ぞ焼くに及ばんや」と書いています。亭主が浮気したからといって、矢鱈にヤキモチを焼くとかえって厄介なことになる。ここらあたりを心得ていれば、若い女性にとってもタメになるでしょう(爆笑)。
丸谷 そのほかの「四畳半 - 」の特徴をあげてください。
吉行 この作品には、美的節度があり過ぎます。それが、春本としての欠点の一つです。もっと強烈なものを書いていれば(笑)、春本としていまでも通用したでしょうが、この点、春本書きとしての荷風の力が足りなかったということでしょうねえ。この作品は漢文脈を引く文語体でそれがおのずから美的節度となり、いまの日本語としては生ま生ましさを失っていますよ。私の体験によれば、戦時中の中学時代には、『壇ノ浦夜戦記』と『ヴァン・デ・ヴェルデ』が幻の春本として、仲間のあいだで有名でした。戦後、『ヴァン・デ・ヴェルデ』は医学書ということで、出版された。『壇ノ浦 - 』(伝頼山陽あるいは平賀源内ともいう)のほうは、機会があって最近読んで みたが、 和漢混淆(こんこう)文なので実感が湧かなくて、途中でやめました。いまの若い人が「四畳半 - 」を読んだ場合、あるいは同じような感じを持つかもしれない。