5/5「四畳半襖の下張「裁判」法廷私記 - 吉行淳之介」ちくま文庫 吉行淳之介ベスト・エッセイ から

イメージ 1


5/5「四畳半襖の下張「裁判」法廷私記 - 吉行淳之介ちくま文庫 吉行淳之介ベスト・エッセイ から

以下は、法廷では言うのが面倒くさくなったので省略したが、その二週間ほど前、舟橋聖一氏の「四畳半襖の下張」についての見解を偶然直接に聞く機会があって、頗(すこぶ)る面白く且つ有益な内容だったのでそれを紹介したい。その意見というのは、
「あの作品には、未熟なところがある」
という指摘である。
お袖という女は、芸者すなわち色の道のプロフェッショナルである。初会において、オルガスムスに達することはタブーである。あの程度のテクニックでは、とても「枕をはずさせる」ことはできない。つまり、その部分の描写が未熟である、という。また、仮に、オルガスムスに達したとしても。「あれさもう」などという表現は自分のプライドとして、初会の男にたいしては口走らない。そこがプロの厳しさである。ただし、歌舞伎の人気役者が相手の場合は、例外である、という。
そう教えられると、私もその通りだとおもう。花柳界のことを、私はまったく弁(わきま)えないが、赤線地帯の娼婦を相手にした場合のことをおもい出してみると、かなりの馴染みになって、はじめてそういう表現を口に出す。私の場合は、敵娼(あいかた)が、
「やられた」
と、半ばの口惜しさ、半ばの満足とともに、口走った。この「やられた」は、花柳界に翻訳すれば「あれさもう」に近い言葉である。
さすがに、舟橋さんの意見にはモトデがかかっていて、私は感服した。「四畳半 - 」にこの意見を採り入れるとすれば、主人公の男がお袖のプロ意識を失わせるほどに技術とパワーを駆使させ、その按配を微にわたり細にわたって描写して、余計な人生洞察を省けば、第一等の春本に成り得たであろう。
ついでに付記すれば、長部日出雄はこの戯文の主人公のことを「人間業とはおもえぬ」と書き、野坂被告と丸谷特別弁護人とが、
「オレたちもあんな精力的な男になってみたい」
と相擁して泣いた、という。
これが洒落でないとすると、同情の涙を禁じ得ない。
私見によれば、あの作品は四十歳前後の荷風のリアリズムである。セックスにおいて技術にたよるということは老化の兆しには違いないが、あのくらいが四十歳の男の平均値ではあるまいか。
現在の私はすでに初老であるので相手の選り好みが烈しいが、お袖のタイプの女ならいまでもあの程度は朝飯前である。ただし、これは、裁判には何の関係もない余談である。さらにいえば、この作品がリアリスティックなものか、アブストラクトなものかは、この裁判にはなんの関係もない事柄だ、と私はおもう。
さて、公判のつづきに戻る。

丸谷 「四畳半 - 」が裁判にかかっていることを、どう思いますか。
吉行 特別なものとして、当局がこだわり過ぎているという感じがしますね。昭和二十三年に有罪にしたという二十六年前の判決にこだわり過ぎています。また、性的な文章から刺激を受けて、性犯罪につながるケースは、普通人の場合(このとき、丸谷は検事に視線をチラと向けた。私が「普通人」という過去の判決文に出てきた用語を使ったことの反応を確かめたのであろうか)考えられません。もっと、一般の人の良識を信用したほうがいいんじゃないのでしょうか。
丸谷 あなた自身に、春本を書く気がありますか。
吉行 ありますね、大いにあります。文語体で書くことは、私の力では不可能ですから、言文一致体ということになります。相当生ま生ましくなりますよ(爆笑)。しかし、春本は、原稿料の入るものではないし、時間もかかるでしょうから、まずそのあいだの生活を考えなくてはならない....。春本貯金でもやりますか(爆笑)。

ここで付記する必要があるが、春本が解禁されたならば、それを書く気持はかなり薄れてくるであろう。やはり、それを書く気持の中には、微温的な小市民生活にバクダンを投げたい気持がかなり大きな部分潜んでいるに違いない。
丸谷が着席し、再び中村弁護人が立ち、

中村 さっき、「四畳半 - 」が特別扱いされているという意味のことを言いましたが、この作品を禁止するくらいなら、ほかに禁止すべき作品があるとおもいますか。
吉行 そういう作品は、それでいいんです。とにかく、「四畳半 -」にたいしてだけ、とくに監視の眼がきびしいと感じるわけです。(このとき、丸谷特別弁護人が中村弁護人を肘でつつき、二人で苦笑したのが見えた。もしも、相手の質問に釣られて私が具体的なほかの作品の名を口にしたとしたら、ポイントがマイナスになったのだろうか。いまでもよく分からないのだが、ここらではじめて私の気に入っているゲームとしての法廷場面に参加した気分がしたことは、事実である)。
中村 それでは、春本を書きたいといったけれども、文学を追及することができると思いますか。
吉行 「老いの寝覚のわらい草」ですよ(爆笑)(「四畳半襖の下張」の前書きに、「今年曝書の折ふと癈麓(はいろく)の中に二三の旧?(きゅうこう)を見出したれば暑をわすれんとして浄書せしついでにこの襖の下張と名づけし淫文一篇もまたうつし直して老の寝覚のわらい草とはなすなん」とある。)

ここで佐藤被告立ち、

佐藤 昨年『面白半分』の裁判特集号に、「標識板風ワイセツ裁判」という文章を書かれましたが、その内容をもう一度説明願えませんか。
吉行 (答弁の大部分を省略する)交通標識にたとえるなら、付け替えを忘れたような古い標識板を指ししめして、「これと違反している」と咎められているような感じだ、ということを書きました。また、交通法規には出ていない違反が、一つある。それは「後方白バイ不確認」です。うしろから白バイが付いてくるのに気付かないで、違反すると、普通なら大目にみてくれる程度の些細な事柄でも、けっして許してもらえません。たとえば、ほとんど車の走っていない広い道路で制限速度五十キロもところを五十九キロで走っていて、私はつかまったことがあります。おそらく白バイの目の前でぬけぬけと違反しているということで、相手の自尊心が傷つくのでしょう。しかし、一割以内 の速度オーバーは計器の誤差の範囲内なので違反にならないのが、常識です(裁判長も検事も良識ゆたかな大人の男である筈で、内心この裁判の阿呆らしさを十分知っている、とおもう。しかし、職業柄タテマエを大切にせざろを得ないので、この裁判となった。しかし、もうこのくらいでよろしいではないか、という意味を含めておいたつもりである)。
裁判長 (野坂被告に向って)何か証人に質問はありますか。
野坂 ありません(立ち上がって、すぐ坐る)。
裁判長 検事の反対訊問はありますか。
平井令法検事 ありません。
裁判長 それでは、十五分間休廷します。

法廷を出ると、『面白半分』の用意した車で、いそいで選考会場へ向う。選考会というものは午後六時ごろから開かれるのが通例なのだが、その日は川端康成の三回忌の命日なので、会のあと法事がおこなわれることになっている。そのために三時開始だったのを、三十分遅らしてもらってあった。
実際には、「法事」というのは案内状の表現がいささか違っていて、僧侶の経もなく、むしろ川端賞決定の記念会のようなものであった。ついでに言えば、法廷での白いワイシャツに黒いネクタイという私の服装は、法事用のものであった。
車の中で、候補作品の一つに引用されていた、
仏壇も炬燵もあるや四畳半
という正岡子規の句が、しきりに頭に浮んできた。