(巻十八)女知り青蘆原に身を沈む(車谷長吉)

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5月16日水曜日

この俳句を読むたびに、あの6月のある土曜日を思い出すなあ。
テアトル東京で“エイリアン”を見た。暗闇のなかで私の肩に頬をあずけてきたときは“なんだ!どう云うことだ?”とパニクったなあ。
映画のあと、ビアホール(今は閉店してしまったらしい“ゲルマニア”)で呑んで有楽町駅のホームのベンチにしばらく座っていたら、“私のところに来ない?”と言われてついて行った。
男の場合“失う”と云うよりは“捨てる”と申したいところであるあるが、完全に手解きをいただいて一皮剥いていただいたと云うのが率直なところであるなあ。

をみなとはかかるものかと春の闇(日野草城)

写真は『三四郎』の冒頭の名古屋の宿屋の場面の挿絵でございます。

野暮なことではございますが、一節を抜き書きいたします。

勘定をして宿を出て、停車場(ステーション)に着いた時、女は始めて関西線で四日市の方へ行くのだと云う事を三四郎に話した。三四郎の汽車は間もなく来た。時間の都合で女は少し待合わせる事となった。改札場の際迄送って来た女は、
「色々御厄介になりまして.....では御機嫌よう」と丁寧に御辞儀をした。三四郎は革鞄(かばん)と傘を片手に持った儘、空た手で例の古帽子を取って、只一言、
「左様なら」と云った。女は其顔を凝(じ)っと眺めていた、が、やがて落付いた調子で、
「あなたは餘(よ)つ程度胸のない方ですね」と云って、にやりと笑つた。三四郎はプラット、フォームの上へ弾き出された様な心持がした。車の中へ這入つたら両方の耳が一層熱(ほて)り出した。

以上、抜き書きでございました。

一歩のところで三四郎になるところでしたが、手を引いて連れて行ってくれたので、男になれましたなあ。
後日、火傷をすることにはなったのですが。

その彼女も、あの行状では、

骸骨や是も美人のなれの果て(夏目漱石)

になっているかもしれない。