(巻十八)秋雨や線路の多き駅につく(中村草田男)

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6月3日日曜日

暑くなってくるとイヤホーンが使えなくなる。どうしても耳の中がジメジメして、痒くなる。ホジれば更に痒くなる。仕方がないからヘッドホンに替えている。
やはり目立つようで会社の人に何を聴いているのかと訊かれることがあるが「昭和歌謡」だと答えている。ビリー・ジョエル尾崎豊だって、まあ昭和歌謡だ。

小春日や歌謡曲など口ずさみ(宇佐見須美子)


以下は、

「水の流れ 永井荷風文学紀行 - 安岡章太郎」 講談社刊 歳々年々 から

の中で引用されている荷風の空襲罹災の日の日記だそうだ

《嗚呼余は着の身着のまま家も蔵書もなき身とはなれるなり、余は偏奇館に隠棲し文筆に親しみしこと二十六年の久しきに及べるなり、されどこの二三年老の迫るにつれて日々掃塵掃庭の労苦に堪えやらぬ心地するに致しが、戦争のため下女下男の雇はるる者なく、園丁は来らず、過日雪のふり積りし朝などこれを掃く人なきに困り果てし次第なれば、寧一思に蔵書を売払ひ身軽になりアパートの一室に死を待つにしかずと思ふ事もあるやうになり居たりしなり、昨夜火に遭ひて無一物となりしは却て老後安心の基なる や亦知るべからず、されど三十余年前欧米にて贖ひし詩集小説座右の書巻今や再びこれを手にすること能はざるを思へば愛惜の情如何ともなしがたし》

大文豪とチンピラ、豪邸と三十坪とであるから異次元の話であり、自分に当て嵌めてみるなど見当ちがいも甚だしいが、読んで嬉しくなった。
荷風は昭和三十四年に七十九歳で亡くなっているから、この日記の昭和二十年は六十五歳のときに書いたわけだ。今の六十五歳とは違うが面倒な一軒家から アパートに移り、その一室で孤独に迎える想定もしていたようだ。そして実際に孤独死だった。

もてあます西瓜一つやひとり者(永井荷風)

夕食前に細君と息子のパジャマのゴム紐入れを仰せつかった。細君は細君で忙しそうに飯を作っているから、仕方ないか。

北杜夫の“どくとるマンボウ航海記”のコチコチが終わった。次は「悪妻論-坂口安吾」をコチコチいたす。

春立つや一生涯の女運(加藤郁哉)