(巻十八)立読抜取句歌集

罪もなく流されたしや佐渡の月(ドナルド・キーン)
五月雨や庭を見ている足の裏(立川左談次)
熱燗や客の一人は吉良びいき(古谷弥太郎)
空港の青き冬日に人あゆむ(西東三鬼)
昼も夜も似寄の汽車弁の旅(北野民夫)
ビアガーデン飛ばされさうなピザの来る(篠崎央子)
相傘の男子濡れ行く木の芽時(竹内創造)
ご破算で願ひましては春立てり(森ゆみ子)
一円を拾ふ勇気の夏帽子(大東晶子)
原点に戻らぬ企業返り花(的野雄)
くらしむきかかわりはなしこの頃は新聞がみの袋張りなり(山崎方代)
ひと魂でゆく気散じや夏の原(葛飾北斎)
万緑も人の情も身に染みて(江國滋)
三伏や弱火を知らぬ中華鍋(鷹羽狩行)
人間の居らぬ絵を選る十三夜(北村峰子)
手相見の銀座の隅の寒灯(村松五灰子)
妻の言ふとほりにしたり菊根分(安田明義)
ちゃんちゃんこ着てより敵のなかりけり(黒沢正行)
香水や腋も隠さぬをんなの世(石川桂郎)
微生物埋め育み山眠る(下谷海二)
わが歌のこき落されいる雑誌伏せ洗濯に立つわが日日のこと(斎藤史)
年寄の知恵出しつくし端居せり(能村登四郎)
ジーンズの尻美しき五月来ぬ(野田哲夫)
すでにして己れあざむく日記買ふ(岡本眸)
すぐ乾く修正液や文化の日(金指まさる)
嚢中に角ばる字引旅はじめ(上田五千石)
十月の空より薄し朝の月(今瀬剛一)
厨より声して南瓜切れといふ(小野喬樹)
相槌も打ちようがあり秋扇(浜名礼次郎)
円涼し長方形も亦涼し(高野素十)
刺客待つゆとりのことし懐手(吉田未灰)
爽かや機嫌よき子の独り言(稲畑てい子)
炎天や川太ければ橋長く(遠藤由樹子)
木がらしや不学者論に負けずけり(日夏?之介)
せがまれて字のなき絵本読始(嶋田一歩)
老銀杏散ずる快を貪れる(相生垣爪人)
句集読むはずかしさ弱冷房車(松村武雄)
今日も春恥ずかしからぬ寝武士かな(富森正因)
舟遊びともなく矢切渡りきる(上田五千石)
悪の血はすでに騒いで寒鴉(鷹羽狩行)
秋霜や踊りを復習(さら)う旅役者(斉藤節)
いふまじき言葉を胸に端居かな(星野立子)
青春の辞書の汚れや雪催(寺井谷子)
考えず読まず見ず炬燵に土不踏(伊藤松風)
冷し中華少年の機嫌むずかしき(岡本富士枝)
仲秋や場末映画にカラマゾフ(井上惟一朗)
人並といふに安んじ初写真(西村和子)
生きるとも死ぬとも保険五月来る(東智恵子)
どぶ浚ふ河より低き四ツ木町(平河内群寿)
子の背広買ふ歳晩のまばゆき中(福田甲子雄)
洟かんで耳鼻相通ず今朝の秋(飯田蛇笏)
痩馬のあはれ機嫌や秋高し(村上鬼貫)
考えがあつての馬鹿を冷奴(加藤郁乎)
六月の体内無事の写真かな(斉藤夏風)
十二月肉屋に立ちて男の背(正木浩一)
景気よく閉す扉や冷蔵庫(徳川夢声)
薔薇咲くや生涯に割る皿の数(藤田直子)
甚平や概算という暮し方(小宅容義)
いよよ年金冷し中華の辛子効く(奈良比佐子)
木の葉髪一生を賭けしなにもなし(西島麦南)
薬屋の食後三回舌二枚(仁平勝)
死支度忘れがちなり菊枕(近藤一コウ)
初夢や金も拾わず死にもせず(夏目漱石)
咳こんでいいたいことのあふれけり(成田三樹夫)
木の化石木の葉の化石冬あたたか(茨木和生)
モカ飲んでしぐれの舗道別れけり(丸山薫)
星月夜縄文土器にある指紋(矢野玲奈)
上野から見下す町のあつさ哉(正岡子規)
牡蛎鍋で口焼く海が荒れている(宮沢秀雄)
鳥渡る病者に熱き蒸タオル(水野すみ子)
宿かせと刀投げ出す吹雪哉(与謝蕪村)
拾われて海遠くなる桜貝(松田美子)
富士見ゆる窓は塞がず冬構(小沢昭一)
隣席を一切無視し毛糸編む(右城暮石)
この道は一本道か秋の暮(深作欣二)
さくらんぼ笑で補ふ語学力(橋本美代子)
秋桜好きと書かないラブレター(小枝恵美子)
質の利に折る指十のそぞろ寒む(尾崎紅葉)
女知り青蘆原に身を沈む(車谷長吉)
晩年はよしといふ相秋扇(小出文子)
ともかくもあなた任せのとしの暮(小林一茶)
納豆汁おのが機嫌をとれずをり(岡田史乃)
ひぐらしや尿意ほのかに目覚めけり(正木ゆう子)
手術同意書に署名し十二月(中岡毅雄)
美しき指に目のゆく火鉢かな(岡本美知子)
夏場所や汐風うまき隅田川(牧野リョウリョウ)
梅雨深し名刺の浮かぶ神田川(坂本宮尾)
半世紀前の科学誌毒茸(中村昭義)
遠つ世へゆきたし垂し藤の昼(中村苑子)
踊つつ指がもの言ふ阿波育ち(長尾久子)
死病得て爪うつくしき火桶かな(飯田蛇笏)
変わらざるものは飽られ水中花(山下由理子)
雲ひとつ浮かんで夜の乳房かな(浅井慎平)
老武者と指やさされむ玉霰(向井去来)
シクラメンたばこを消して立つ女(京極き陽)
男といふ性は峠を過ぎゆきて赤いきつねを啜りいるなり(田島邦彦)
白梅や老子無心の旅に住む(金子兜太)
瓜ぶらり根性問はることもなし(山中正己)
寒の坂女に越され力抜け(岸田稚魚)
秋雨や線路の多き駅につく(中村草田男)
身にしむや洋服を売る呉服店(山口恵子)
陽物に骨のあるなし知る由なし(筑紫磐井)
死ぬならば自裁晩夏の曼珠沙華(橋本栄治)