(巻十九)落第も二度目は慣れてカレーそば(小沢信男)

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6月17日日曜日

この句に詠まれている落第が浪人なのか留年なのかは分からない。 
受験浪人であれば、たしかに昭和40年代には大学受験で一二年浪人することは珍しくなく、一浪を“ヒトナミ(人並み)”などと自嘲的に“正当化”していた。
有名予備校があった代々木、高田馬場御茶ノ水あたりには“浪人文化”が興っていたらしいし、ラジオの深夜番組も浪人を含む受験生に的を絞っていた。その聴取者からの投稿には“浪人文化”というようなものがあったと思う。

(先週の水曜日にご紹介した作品の著者“藤堂明保先生”は文化放送の『大学受験ラジオ講座』で漢文を担当されていた。)

今日、親たちに子を浪人させておく余裕はなく、第一希望に落ちれば、第二、第三に回り、また東京に下宿させるなんぞという教育投資は老後の資金計画破壊に繋がると
悟り、余程の逸材でなければ地方の地元、できれば国立大に進んでもらっているようです。
どの文化もそうであるように文化を支える余裕がなくなれば消滅するようで予備校は現役生中心です。

学成らずもんじゃ焼いてる梅雨の路地(小沢信男)

今朝は細君と生協へお買い物デートに出掛けました。団地の中と桜通りを歩くだけの3分の散歩ですが、何かしら日頃の買い物の途中で気が付いた草花を指して、“今週から見かけるようになったのよ。”などと審美的なことを言ったり、“この20坪もない家、いくらするのかしら?四千万?”と世俗的なコメントをハサミながら、二人で歩くことを楽しんでくれているようです。

一二歩を妻が先行く花野かな(井上健守)

九時半開店の数分前に到着しましたが、生協入口の前には同じような初老・中老のカップルが何組も待っていました。
ある意味、夫婦関係の真価が現れる結婚末期ですから我慢はもとより、なるだけ愉しく過ごせるように双方のサービス精神が必要ですし、場合よっては演技力も求められますよねえ。

食料品を仕入れたあと、生協の横の花屋さんで二人で花を選ぶなんぞは、よろしい光景でございます。

妻と買ふ妻にキャベツの重ければ(仲村青彦)

武田泰順の『もの食う女』のコチコチが終わりました。
武田百合子さんの書物を探しに図書館へ行き、富士日記を捲ってみました。どこかの古本屋で出合えば買うことにします。

我が家での次のコチコチは、

「デイブ・ヒルトンのシーズン ー 村上春樹

にいたしました。
三年前に入院した際に持ち込んだ『雑文集』の中で私には一番解りやすかった文章です。

神宮の夕立去りて打撃戦(ねじめ正一)

朝日俳壇の選者に高山れおな氏に決まったそうです。
こういうのってやっぱり跡目争いが苛烈なんでしょうね!

君地獄われ極楽へ青あらし(高山れおな)