7月30日月曜日
今朝いつものようにJR有楽町駅の新橋より階段を降りて参りますと、ちょって様子がちがいます。大黒さまは鎮座されておりますが、一帯がフェンスで囲われいて日比谷口に出られません。
仕方なく銀座口を出て、ガード下を抜けて新有楽町ビル前の横断歩道のところに回りました。
三月や道路工事の回り道(金子さと)
シャッターの下ろされた日比谷口には耐震工事のために一時閉鎖するとの案内が貼られておりました。
東京駅から新橋駅までの高架は煉瓦造りでその下には各種の飲食店が割拠していて、なかなかの名所でもあります。
以前、“日の本”に出入りしたことがありましたが、今は“日の基”と“新日の基”が並立しています。暖簾でもめたのでしょうか?
近松忌響(とよ)む高架を上に酌む(秋元不死男)
煉瓦造りの高架では万世橋あたりの中央線下がうまくレトロな雰囲気を遺して模様替えしましたが、東京ー新橋間も是非煉瓦造りの景観を遺して耐震工事を施していただきたい。
春の雪銀座の裏の三階の煉瓦造にやはらかく降る(石川啄木)
七月も終わるな。
あの年の七月は、と特に思い出す七月にはならないだろう。
そもそも印象に残っている特別な七月というのがほかにあるわけでもない。
逆に言えば1945年の7月にはどこで何をしていた、などという鮮明な記憶がどの月にもない人生は穏やかな佳き人生だったということだろう。
少なくとも今日までは。