3/3「プロローグ(別の世界の入口) - 水木しげる」光文社文庫 極楽に行く人 地獄に行く人 から

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3/3「プロローグ(別の世界の入口) - 水木しげる光文社文庫 極楽に行く人 地獄に行く人 から

ぼくの家の近くに「加賀(かが)の潜戸(くけど)」という場所があって、そこが黄泉の国の入口だった。子どもの頃、船でそこまで行ったのだが、入ってみると、中は大きなドームになっていて、石積みや小さな塔がたくさんあり、人形まで置いてあった。奥の方はだんだん狭くなっていて、その先に小さな穴が続いており、ほんとうに黄泉の国まで続いているようで、怖かった。出雲の国には出雲大社があって、神無月と言われる十月には、日本中の八百万(やおよろず)というカミサマたちが押し掛けてくる。霊に満ち満ちている土地であるらしく、いろんな霊場があった。
宍道湖の中海には地底の霊界である「根(ね)の国」があると言われていた。
根の国は、地上の世界の罪や穢れ、厄災、疫病をもたらす悪鬼の住むところという地獄のようなところとも、反対に、地上に豊かな稔りをもたらす根源の国だとも言われているが、どちらにしても「あちらの世界」である。
この根の国を「因幡の白兎」伝説で有名な大国主命(おおくにぬしのみこと)が訪れたところ、そこには立派な宮殿があり、須佐之男(すさのお)が王をしていた。大国主命須佐之男から生太刀(いくたち)・生弓矢(いくゆみや)・天詔琴(あめののりごと)という三種の祝具を貰い受け、現世に戻ってから国土を守る霊となったという。これも『古事記』に出てくる神話だ。
出雲はとくに多いのかもしれないが、日本中そこらじゅうに、別の世界への入口はあった。いやいまでもあるのだが、不幸なことに、いまの若い人たちは、それが見えなくなっているのだろう。
のんのんばあとオレ』という本に以前まとめたことがあるのだが、ぼくの幼少時代には、身近に霊もたくさんいた。のんのんばあは、拝み手。いまでいうと祈祷師だった旦那と死に別れた近所のおばさんのことなのだが、信心深く、よくうちに遊びに来たり、泊まっていったりして、いろんな話をぼくに話してくれた。
のんのんばあが話すところによると、ちょっと離れた小川には河童がいるというし、夕方になると子取り坊主という妖怪が出るというのだ。こうした物語はぼくの心に染みついてしまい、この世とは違うあの世があるというのは、ぼくにとって当たり前のこととなっていた。
転生(てんしよう)という言葉があって、亡くなった人の心が、他の誰かに宿り、生き続けることだというが、いまでも、のんのんばあの心が、ぼくに宿り、生き続けているような気がしてならない。鬼太郎の父・目玉おやじのようにぼくの肩の上に乗っかって語りかけていると感じることもある。
「近頃、死が軽んじられたり、無視されすぎてはいないか。それじゃあ、私のような死者はどうすればいいのじゃ」とのんのんばあが言っているのが聞こえてくるようだ。