「若き日の手鏡 - 十勝花子」文春文庫 10年版ベスト・エッセイ集 から

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「若き日の手鏡 - 十勝花子」文春文庫 10年版ベスト・エッセイ集 から
 

東京の歌舞伎座が、ついに建て替えられることになりました。昭和二六年に現在の歌舞伎座が開設されましたが、その前も漏電で火事になったり、戦争で焼けだされたりして、それなりに苦労の歴史のある建物でした。
現在サヨナラ公演が行われていますが、私にとっても歌舞伎座は、忘れられない思い出があるのです。女優として舞台に立ったかというと残念ながらそうではなく、私は妻として、どうしても許す事のできない女性を、この歌舞伎座の楽屋で張り倒すという過去を持っているのです。もちろん同性をひっぱたいたのは初めてでした。
若かったと言えばそれまでですが、今でも歌舞伎座の前を通る度に、あの日の思いつめた自分を振り返り、何処にあんな嫉妬の炎があったのかと、懐かしくも切なく思い出すのです。その頃の私は二八歳で、TVドラマやラジオでどんどん仕事をしている時でした。朝は「小川宏ショー」、お昼は「青島幸男のワイドショー」、そして夜は「イレブンPM」と、自分の名前を必死に売り込んでおりました。仕事で疲れて帰って来ても、それなりの満足感があり幸福でした。自分の好きな道を歩める事、お客様の拍手を頂ける事は、自分にとって最高の毎日だったのです。

しかし私の側には自分の感情と闘っている一人の男性がおりました。それは夫でした。
「お前は今に絶対にTVにも出られるようになるからな。もっともっと頑張って有名になれよ」そう誰よりも励ましてくれていた人は、それが現実になると、その励ましが苦しみに変わっていったのです。
新国劇という劇団の中で、こつこつと頑張っていた夫は、やはり全国的に女房が有名になってきた時、俳優としての焦りと焼きもちを感じ始めていたのです。毎月の収入もだんだんと差が付いてゆき、夫として切ない気持もあった事でしょう。
六〇歳を越した今の私なら、少しは男の気持ちも理解できるのですが、あの当時の私は、あまりにも未熟でした。「たいした芝居もできないくせに、いっぱしの女優面しやがって」と酔いにまかせて彼が言った時「新国劇に二〇年いたら、みんな名優になれるとは限らないでしょう。私だって努力しているんだから!」と言い返してしまいました。
お酒が飲めない私は、素面ではなく酔ってぐちぐちと文句を言う人が、とても嫌いでした。彼の芝居にかけている情熱がとても好きだっただけに、自分だけが売れていく事にも、妻として申し訳ないような気持がいつもあったのです。貧しかったけれど、「二人で有名になろうね」と頑張っていた時のほうが、二人にとっては平和な毎日でした。そのバランスが崩れた時、別離に向かって運命は動いていたのでした。
ある時、木彫りの手鏡を買いました。私と彼とおそろいの物でした。
新国劇は、名古屋・大阪・京都などへと地方公演が多くありました。若い二人にとって一ケ月以上離れている事は、とても淋しいものでした。せめてお互いの仕事で使う手鏡だけでも側にいようと、二人で選んだ物でした。私の心がその手鏡に込められていたのです。
ある時ぐうぜんにその手鏡が、私の物でなく別の物にすり替わっている事を知りました。その手鏡の主が誰であるか、私にはすぐ分かったのです。新国劇の女優さんで、前から「夫を愛しているな」と私にも感じられる人でした。彼女は私と違ってお酒が強く、一緒に飲み会に行けば芝居の話などして、楽しく盛り上がっていた事でしょう。彼女より先輩の夫は、優越感に充分ひたる事が出来たと思います。男ですから「俺に惚れているな」と気分が良かった事でしょう。私に対しては、愛があっても何処かで卑屈になっていたような気がします。食事に行っても何時もマネージャーと間違われて、俳優としてのプライドも傷ついていたはずです。
やがて私にも二人がただの関係でないという事が感じられるようになりました。仕事に恵まれてTV局を飛び回っていても、やはり私も女です。
心をこめた手鏡を、自分のものと取り換えた彼女を、どうしても許せませんでした。妻としての立場を無視されたのですから。二人の女の間を行き来していた男が一番ずるいと思いますが、私はきちんとケジメをつけなければ、その後の仕事に身が入らないような精神状態だったのです。彼女の手鏡をカバンに入れて歌舞伎座に向かいました。

新国劇公園「将軍江戸を去る」が上演されていたのです。彼女の楽屋に入ると顔なじみの女優さんが四人ほどおりました。私は彼女の前に座ると「これお返ししますね」と言って手鏡を渡し、その彼女の頬をばしっと一度だけひっぱたいたのです。女優の皆さんはもうそれだけで、なぜ私が怒ったのか理解したみたいでした。夫と彼女の関係は、うすうすみんな気が付いていたのでしょう。歌舞伎座の楽屋で、私は女の修羅場を演じてしまいました。
幸いな事にワイドショーや週刊誌にばれる事もなく、あの日の出来事は、劇団の中だけの、ささやかな出来事として終わったのでした。そしてそれから間もなく、私と彼の結婚生活もこれをきっかけとして終わりを告げました。たんなる浮気だけなら許せたかもしれませんが、彼女が妊娠してしまい、さすがの私も我慢の限界でした。あの修羅場の日が、何月何日だったのか、もう忘れてしまいました。
彼とおそろいの手鏡も、私は捨ててしまったのか、それとも何処かにしまいこんでしまったのか、どうしても思いだせません。夫だった人は、もうこの世の人ではありませんし、彼との間の娘だけが、夫婦だった証になっています。
あの歌舞伎座は、まもなく解体されてしまいます。私の情念と共に永遠に永遠に消えてしまうのです。さよなら歌舞伎座。さよなら若き日の私よ。
六三歳になったけれど、まだ私は芸道を、今日も歩み続けています。