(巻二十)死ねる薬をまへにしてつくつくぼうし(種田山頭火)

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10月6日土曜日

今日の句も沁みますねえ!

細君が朝の買い物に出掛け、花屋さんで観賞用の南瓜を買い、道端の団栗を拾ってきた。
団栗と云うと“せいくらべ”を思い出す。

ぼんやりと脳もからだも白く消えてゆくこと近くあるらし(宮沢賢治)

コチコチ読書でありますが、和文はパソコンにコチコチし、英文はガラホにコチコチしてパソコンに移していた。
しかし、両方ともガラホに打ち込むことにした。
ガラホであれば立ち上げも中断も簡単だがパソコンだとそうは行かない。
深夜・早朝・昼寝の細君お休みの時間帯を除けばいつ御召しがあるか分からず、モタモタしていると機嫌がよくない。

厨より声して南瓜切れといふ(小野喬樹)

午後、ふらついて“ときわ”に入り昼酒を致す。酒が入るとやはりダレる。
それに加えて一週間呑まないだけで酒に弱くなり、また酒が呑みたいとも思わなくなった。酒が旨かった筈だと呑んでみたが旨くはなかった。したいこと、してたのしいことが少なくなっていきますなあ。

読書進まず早寝といたしたが、深夜に息子と細君が法事のことでガタガタして目を覚まされてしまった。

人間臨終愚感-山田風太郎

を暫くながめ、コチコチしてみた。

まだ、終わりまで進んでいないが締めかよいので先行し覧に供する。

これをひもといて、自分より長命の人、あるいは自分よりも幸福な死をとげた人があれば、こんな人でもこんな死に方をしたのだからと希望をいだく、また自分より若く、あるいは自分より不幸な死をとげた人があれば、こんな人でもこんな死に方をしたのだからとあきらめがつく。
これは絶望の書であると同時に、万人為楽の書でもある。

人間臨終愚感-山田風太郎

では、安楽死についても肯定的に軽く触れている。
多少延びるのかもしれないが無理に生かされているよりは自分で決めたいと私も思う。自殺とか自死とは違う自裁という言い方が宜しいですね!

死ぬならば自裁晩夏の曼珠沙華(橋本栄治)