「葛飾の思い出 - なぎら健壱」ちくま文庫 下町小僧 から

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葛飾の思い出 - なぎら健壱ちくま文庫 下町小僧 から

家の近所に、用水路が流れていた。幅が10mぐらいはあり、川と呼んでも良いぐらいであった。その用水路にはちゃんとした名前があったのかも知れないが、僕達はただ、用水と呼んでいた。その用水は灌漑用水だったと思うが、水源は今では水元公園でお馴染みの小合溜(こあいだめ)で、そこから延々流れて来ていて、新宿を通り先は高砂の方まで流れていた。高砂の方までとはいうものの、一体どの辺りまで流れていたのか思い出そうとするのだが、記憶は新宿の辺りでプツリと途切れてしまっている。
その高砂の方にも灌漑用水が流れていたが、こちらの方は規模が小さく、本当の小川のようであった。
小学四年生の春一人で遠出をして、そこまで遊びに 行ったこ とがあった。
その用水のことは以前から知っていたのではなく、その時偶然に見付けたものなのだが、水が音を立てて流れる小さな滝の様な処で、同級生ぐらいの子供が遊んでいた。
「何をしているの?」と訊くと、
「魚を捕っている」と、答えてきた。
それからどんな言葉を交わしたか憶えてないが、すぐに打ち解けて、二人で魚捕りをして遊んだ。
結局素手で安易に魚など捕れるはずがなく、水遊びに長い時間興じた。
ところが偶然に、水が流れ落ちるところに牛乳ビンを差し出すと、ビンの中に小さなきれいな色をした魚が入った。驚きと共に呆気にも取られたが、嬉しさの余り小踊りしたのを憶えている。何しろ僕に取って、生まれて初めて自分で捕った - もっとも、向こうから飛び込んで来たのだが - 魚であった。
その日はその魚を、揚々と牛乳ビンに入れて帰った。しかし魚は、その夜の内に死んでしまった。
そしてその夜、僕は母親 に頼み、 網を作ってもらった。父親はどうせならと、針金を細工して、四本足の四つ手網を作ってくれた。
次の日僕は学校から退けると、網を手に逸る心を抑え、昨日の場所へ出かけて行った。明日もここで会おうと約束をした、昨日の子はまだ来ていなかった。僕は早く四つ手網を水に浸けたい心を抑え、その子が来るまでと、小一時間待っていたが、とうとうその子は現れなかった。
僕は待つことを諦めて、一人で魚を捕ることにした。
流れ落ちる水にその網を差し出すと、最初の内は具合良く網らしい形を保っていたが、何しろ手拭いで作ってあるもので、水捌けが悪く二、三回流れを受けていると、針金の太さが水の重さに耐えきれず大きく曲がって、網の役目を果たさなくなってしまった。 結局、魚は捕れずじまい。夕方になり僕はとぼとぼと、小岩から金町へ通じる貨物列車の線路を歩き、家路を急いだ。
貨物列車が近付くと、線路から外れ、貨物列車の運転手に手を大きく振った。運転手もそれに応えて、手を振ってくれた。
いつもなら友達と、一体どのぐらいあるのだろうと、数える貨車の数をその日は、一人で「一台、二台........」と数えた。今のように陸運が盛んでなかった、当時の貨物列車の貨車の数は相当であった。それを過ぎ往くままに数えていると、まるで果てしなく、終わりがないように思えた。
果てしのないといえば、例の近所を流れている用水に、大量のキャベツが流れていることがあった。
一体幾つぐらい流れてくるのだろうと、友達と橋の上か ら数えたが、余りの数の多さに埒が開かなくなり、途中で数えるのを止めてしまった。
遊び疲れて家へ帰る夕暮れ、橋の上から用水を眺めると、疎(まば)らではあるが、まだキャベツが流れていた。
「一体上流では、何をやっているのだろう」と、興味をそそられた。
その上流に初めて行ったのは前後するが、小学三年の夏の頃だと思う。隣に住んでいた上級生の兄さんに「エビガ二を捕りに行こう」と誘われたのが最初で僕は誘われるままに、その兄さんに着いて行った。エビガ二とは、ザリガニのことだが、僕らの地域ではザリガニとは呼ばず、もっぱらエビガ二と呼んでいた。
子供の足で、上流の小合溜まではかなりの道のりがあったが、初めて眼にする風景の変化に、別段 それは苦にもならなかった。上流はもう人工で造った用水の感はなく、自然の川の様相を呈していて、水は膝ぐらいまでしかなく、水藻や、大小の石がゴロゴロしているのが水を透かして見えた。そこら辺りまで来ると、大勢の子供達が、大小様々の四つ手網をもって、魚を捕っていた。
僕はその情景を見ただけで、もう別世界に来たような気になり、心が逸った。
「ここでエビガ二を捕るの?」と訊くと、
「いや、ここじゃ捕れないから、もっと上流へ行こう」
そういって、魚捕りをしている子供達を横目に、先へ歩き始めた。
上流はダムのように、溜池になっていた。その水はさらに上流の小合溜から流れてきており、そこは水元公園と山王台公園になっていて、現在は都内有数の敷地と、情感を持った、すばらしい水郷公園になっている。しかし、当時はまだ人工的な要素はさ程強くなく、自然公園の感が強い、静かな公園であった。その向こうは埼玉県で、対岸の三郷町は、今村昌平監督の映画『ええじゃないか』(’81)での江戸の町を再現した、オープンセットが造られた処でもある。
(以下略)