「年始歳暮 - 鏑木清方」岩波文庫 鏑木清方随筆集 から

イメージ 1

 

「年始歳暮 - 鏑木清方岩波文庫 鏑木清方随筆集 から
 

明けましてお目出とうという、長年私たちが聴き慣れ使いなれていた懐しい含みを持つ挨拶を取交わすのに、妙なこだわりを感じさせられた時も過ぎた。我々日本国民がおっつけはれておめでとうといわれる新年は、まだそうすぐには来ないのだろうが、それでも世に平和の春を取り戻しての御正月は、やはり屠蘇を汲んで祝えるだけ祝ってわるかろうはずはない。
御年始だの御歳暮だののとりやりは、からだも懐中(ふところ)も忙しいものにとってはけして楽なことではなかったとはいうものの、一年中の物日々々(ものびものび)にふだん世話になる先とか、特に心やすく親しいなかに物を贈って互に志を致すことは、人の世の生きがいのある行いの嬉しいたのしみの大きなものではあるまいか。
一時、殊 に戦争のうちこうした行事の末になる弊害の方だけを取り上げて、辻々に年末年始の贈答をやめましょう、とかいた立札を立てたり、知名な婦人たちまで街頭へ出て虚礼廃止と称(とな)え宣伝に躍起となったりした。まるでその取遣(とりや)りは罪悪ででもあるかのように....。
田舎は今でも物堅いから、五節句は元より日待、風待、なんのかのと餅をついたり手料理をふるまったりすることが多い、人と人、家と家との親しみは、無理なところのある今の隣組とは雲泥万里の相違である。自らにして成るものと一時の方便に捏(でつ)ちあげるものとは違うのがあたりまえではあろうが。
町家の付合でも昔は今の農家のように行っていた、隣近所が渡り鳥でなくいついている家が多かったので、うわべだけでなく親 身のようにつきあっていた。
年始や歳暮のやりとりも心から出て無理がなければ苦にはならず、弊ともならない。贈答は何でも、虚礼と早合点をした末が、義理をするのも、恩に酬ゆるのも虚礼の方へ片付けられて道義廃止の世へ導きはしなかったろうか。
暮になると私どもでも台所に鮭や鱈が名札の紙をつけたまま何本かつるされ、茶の間には厚い長方形の紙袋に紺土佐の四角に裁ったのを封じ目に斜に張って、三盆白とレッテルに読まれる砂糖袋が、帆を揚げた入船が港に着いたという形に沢山ならぶ。足高の大きな折は鶏卵、四隅を細く黒塗に取った片木張(へぎばり)の箱は風月のカステラ、髭籠(ひげこ)の先に花山車(はなだし)の水玉のように金柑をさして赤い蜜柑が檜葉(ひば)に囲まれて籠目(かごめ)の間から覗かれる。たのしい歳暮風景であった。
私は元々出不精なので年始廻りもなるたけ行先を殖やさないようにしていたし、年賀状も表書を書くのが大仕事なのでこれも大分加減をしていたが、それでも年始には人力車のある頃松の内に三日は頼んでい た。葉書の方はだんだん殖えて七、八百、この分では千枚を用意しなければなるまいといっているうちにその儀に及ばなくなった。
私が年賀葉書の意匠に興味を持ちだしたのは、明治三十五年、戌の年に因んで、馬琴の『八犬伝』の序文を背景に文化頃の娘を鳥の子へ墨一色の木版摺にしたのがはじめで、それから大正の末まで続けた。コロタイプにした時もあるが、少しでも早く用意さえ出来ればたいてい木版にした。
俳人の春興の摺物に是真、綾岡などのいい意匠のが木版になっていたのが眼に残っているせいでもあったろうし、第一こうした道楽には和紙にこの版が趣からも実際問題からも適切だからであった。大正四年卯歳に新ねん千代紙と肩書して、赤地へ白く玉兎を横につづけた千代紙と、その翌 年の辰歳に葉書全紙を龍の字凧に見立てて紫地に白く龍の字を紅で縁を取って大きく抜き、黄土で糸を、骨をショウメンで出したのが味噌だった、ショウメンとは色を付けない板の上から猪の牙で磨(こす)ってただツヤだけを出したもの、そこいらのが貰った人に悦ばれた。
私はまた手拭を染めて御年玉に用いたこともたびたびある。手拭と浴衣の図案は藍の濃い淡いで意匠するその限られた単色が白描(はくびょう)、墨彩色などの趣到に通って面白く、浴衣は同じ単色でも人が着てから効果の出るものなので、手拭よりは大がかりになる、その頃でも芸人はまだひいき先きへ盆や暑中のつかいものに染めていた、私のは別に進物としての目あてはなく、染めて知合の着てくれそうな方へ上げていた。
芝居の運動 場にある小間物屋の店に、その時の狂言に因んだ小さな簪(かんざし)があって、これを役簪(やくかん)と仲間うちで呼んでいたが、趣向にも細工にもなかなか手の込んだ愛すべき指先の小芸術であったが、
芝居では疾(とう)に影を潜めたけれどそうした細工は近年へ持ち越して、十軒店の丸孝で毎歳の十二支に因んだ手際のいい凝ったものを拵えていた、春興ゆたかなものであった。
私どもではそこのうちの袋物や以前の銀座にあった田村屋の風呂敷を御年玉の嘉例(かれい)として用いた。
私の知る限で、御歳暮は平素の厚誼に応うる心で分の許すなかで実用性の多いものを、御年玉は年頭の祝儀として興味本位に選ぶ傾(かたむき)があっていい、とそう思っている。
(昭和二十二年一月)