(巻二十)骨酒やおんなはなまもの老女(おうな)言う(暮尾淳)

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11月25日日曜日

今日の句をなんで書き留めたのか覚えておりません。なんで書き留めたのだろう。

そこへ行くと、

セーターに首入れ今日を始めけり(三浦義隆)

は、今日のような日のあることを想い書き留めた。

今日は図書館までの外出だけでした。NYTの記事を拾いに行って“盲腸の効用”など三つほど記事をコピーしました。
今日は25日で角川俳句の発売日だが、あるかしらんと書架を見ると12月号が収まっているではないですか!
巻頭は池田澄子氏であります。
その池田澄子氏の巻頭のうち

大年や黄泉を思えば行きたくなる(池田澄子)

を書き留めました。

以前、

目覚めるといつも私が居て遺憾(池田澄子)

という句も書き留めております。
お澄さんは生きるのが面倒になってきたのだろうか?
いつ死んでもいいという羨ましい境地に達したのかも。

角川俳句から他に、

句帳だけあれば枯野にある居場所(伊藤昌子)

採算の採れざるままに崩れ簗(茨木和生)

風花を美しと見て憂しと見て(星野立子)

交番のランプの赤き夜寒かな(飯干ゆかり)

置場なきものたまりゆく秋時雨(吉田哲二)

句を作るひとり遊びの秋の暮(岡本眸)

を書き留めました。

今月号の投稿句には私が書き留めたくなる句はございませんでした。

帰宅し句の整理をしていると、細君が朝日俳壇を持ってきてくれた。

そちらからも、

朝寒や今日より若い日はあらず(内藤悦子)

ひとはひとと人の言ひだす寒さかな(野上卓)  

を書き留めました。

写真は近くの桜並木で紅葉した葉も大分散って、枝がはっきりと見えるまでになりました。

今日のコチコチ読書は、

「デジタル化で失ったもの ー 池澤夏樹」文春文庫’10年版ベスト・エッセイ集から