2/3「牛丼屋にて - 団鬼六」ちくま文庫 お~い、丼 から
最近はやっぱり年の故なのか、かなり仕事が忙しくなって身心ともに疲労しているらしく、こうして一人でチビリ、チビリやっていても酔いの廻るのが早い。それに雑念妄想が生じて、明日までに仕上げなければならぬ仕事がうんとあるのになんでまたこんな所でぽつねんとし、人が飯を喰っているのを肴にして意地汚なく飲んでいるのか、わけがわからなくなってくる。そのいいわけを口の中でぶつぶつつぶやいている自分に気づいて驚くこともあるのだ。酔っ払って何か独り言をつぶやくなど、そんな気味の悪い酔っ払いはよく見かけるもので、最初、大友九段とこの店に入った時も眼の前に蓬頭垢面(ほうとうこうめん)のおっさんがいて一人で勝手にしゃべりまくり、呆れて見物したものだが、そんな酔っ払いの域にそろそろ近づいて来た自分に気づいて、情けなくなってくる。
こりゃいかん、と独り言の出た自分を正気づけようとあわてて首を振った時、前面に私の方を不思議そうに見ながら食事をしている親子連れらしいのに気づいた。
親子連れはまだ四十代らしいジャンパー服姿の父親に八歳と六歳位の女の子、それに五歳位の男の子という四人づれで、もう十一時を廻ったこんな深夜に牛丼屋で子供に飯を喰わすというのも奇怪な感じだ。恐らくこの親父、女房に逃げられたのではないか。幼い子供は自分が引きとり面倒を見ているものの、親父の勤務時間の都合でどうしても子供達に夕飯を喰わしてやる事が出来ず、子供の腹の減り具合を調整させて、こんな深夜に親子四人で牛丼屋ののれんをくぐる - と勝手な想像が生じてくる。姉二人は弟のために店に頼んで小さな器を出してもらうとそれに自分達の丼の飯や肉を分けて盛り上げてやっている。
長女らしい八歳位の女の子は何となく林葉直子に似た美人型で、それにそんな年頃でありながら身体つきに不思議な色気が滲み出ているのだ。父親が煙草をジャンパーから取出すのを見たこの美貌の長女は店の奥に向かって、「すみません、灰皿をお願いします」と声をかけ、父親の世話をちゃんと見ている所なども感心させられる。こういう美少女がやがて成長すればどういう境遇になるか、姉弟で父親と一緒に深夜の牛丼屋で食事をするというようなこういう少女時代を過ごしただけに、将来はその逆に華やかな幸せをつかむのではないかと空想してみたくなる。
デヴィ夫人みたいなのもいいな、いや、宮沢りえだっていいじゃないか。そんな空想を楽しんでいる時、足元に紙袋が投げ出してあるのに気づいた。さっき、今月から私の小説の担当者になったKKベストセラーズの編集者が駅前近くの菓子店で「これ、お孫さんに」と買ってくれたもの。あけてみるとキャンディーとクッキーの詰め合わせだった。
これ姉弟で分けなさい、と、前面のスタンドに坐る女の子の方へその包みを差し出すと、彼女達はギョッとした顔で私を見つめた。「キャンディーにクッキーだよ、何もこわがることはない、一寸早いがクリスマスプレゼントだ」と私が笑うと突然、親父が大声で、「皆んな、立って」、子供達に向かって命令口調でいったので私も驚いた。
「おじ様、どうも有難う」と親父にリードされて三人の幼児がいっせいに土間に立ってこちらへ頭を下げたのだが、こういう光景を見せられると私も年の故かどうもいけない。五歳位の男の子まで親父に椅子から抱き下ろされてペコリとこちらに頭を下げているのをみると、忽ち、眼頭が熱くなってしまうんだ。
私から受取った袋の中身を引っ張り出して子供達は幸せそうに笑った。親父も改めて私に礼をいうと、自分はどこどこに住んでおります。とか、自分は何々鉄工所で溶接工をやっております、とか、聞きもしないのに私に向かって自己紹介をした。自分は、自分は、という名乗り方が一寸やくざっぽいが真面目人間を感じさせる。えてして、こういうタイプの男が女房に逃げられやすいのである。
この親子連れが引揚げた頃には制限本数のお銚子三本も残り少なになり、そろそろ御輿を上げねばと気持はそうなっているんだが、何か考え事をしなくてはならない気がしてなかなか腰が上らない。そう。吉野家が気に入っているもう一つの理由は、ここでは誰にも邪魔される事なく考え事が出来る事にある。小説の筋書きなんかもお銚子三本、飲む間に考えつく事もある。ここは、大衆食堂であるから上司が部下を連れて来て、あーこりゃ、こりゃの宴会はないし、大衆食堂のような喧騒もない。メシは静かに喰うべきもの、といった風な静寂が垂れこめているのにも価値があるのだ。つい、この間、復筆宣言パーティなるものを開いたが、すると、忽ち、あちこちより注文が舞いこんだ。来年は劇場映画も製作されることになって真に有難いとは思うものの、体力がそれについていけなくなっている。世の中というのは皮肉に出来ているもので、仕事が山積してくると、それから逃れるために居酒屋へ逃げこんだり、以前よりも将棋に熱中したりする。これでは一体、何のために復筆宣言したのかわからない。
「あれ、先生じゃありませんか」といきなり横から背広姿の男に声をかけられた。男は二人連れでサラリーマンになり立てといった感じの若い連中だった。「その節はどうもでした」というのだが、私は思い出せない。K大学応援団のマネージャー石田ですよ、彼はいった。そう、養老乃瀧で先生から宴会費をカンパしてもらったじゃないですか、と彼がいったので私はようやく思い出した。二年ばかり前だったか、当時、「将棋ジャーナル」の専属ライターであった国枝久美子と大衆居酒屋の養老乃瀧に飲みに入った時、知り合った学生である。その居酒屋の二階ではK大学応援団の何かの宴会が開かれていて、マネージャーの石田君は予算がオーバーしたとか何かで階下の店の会計と悶着を起こしていた。あとビール十本、と、石田君が頼むのに対して、店の方は、それじゃ予算が足りぬと突っぱね、金は後日、払う、石田君がいっても店の方は聞き入れない。それを耳にして国枝が私から受け取った一万円をカンパだといっと石田君に手渡したのだ。こっちはジャーナルを廃刊しようか、どうか、大事な相談を彼女としていた所で、横っちょが何だかうるさいから追っ払うつもりでカンパしてやったのだが、石田君は二階へかけ上って部員にそれを報告したらしい。突然、もの凄い足音をさせて五、六人の酔っ払った団員が階段をかけ降り、私達二人を取囲んだ。団員の中に私を知っているのがいたらしい。「先輩に対し、お礼にエールを送らせて頂きます」と団長らしいのがいった。自分達はK大学の先輩でも何でもないのだからこの店でそういう派手な事をしてもらっては困る、と私達は尻込みしたが、彼等は聞かない。ビール十本、つけで飲ませぬこの店に対する嫌がらせの意味もあったのだろう。それにしても店の中で応援団長の両手を宙に上げての指揮のもと、フレーフレー、オニロク、には閉口した。