「行きあたりばったり ー 五味康祐(やすすけ)」中公文庫 私の酒 から

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「行きあたりばったり ー 五味康祐(やすすけ)」中公文庫 私の酒 から


近頃は何事にも横着をきめこんで、あまり旅には出なくなった。関西から九州方面へ悪遊びをしに行ったり、講演旅行で地方都市をまわることはあるが、あんなのは旅行とはいえまいと自分できめている。
旅というのは、やっぱり、独りで、さしたるあてもなしに旅情(もしくは旅愁)をともなって、持たれるべきものである。気が向けば、その土地に数日滞在するくらいな時間的・精神的余裕がないと、旅した気には、少なくとも小生はなれない。
大体、スケジュール表にひっぱられるのは、何事につけ、小生はきらいで、「行きあたりばったり」というのが性に合っている。
スケジュールを組まぬと、ホテルや旅客機の便に困るのは、さしづめ海外旅行だろうが、これとて或程度の不自由を我慢すれば 案外おもしろ味が倍加されることを、数年前のヨーロッパ旅行で知った。エトランゼには本来、言葉やスケジュール不要だと痛感したくらいである。国内でも、だから、小生旅に出る時は、何日に何処でなぞと予定を組んだことがない。予定どおりに旅行できたためしもない。
旅のたのしさは、見知らぬ土地の風景をこの眼で眺められること、土地柄みたいなものに触れること、地酒を味わえること、人情(おもに女性の)に接し得ること、それに今では商売柄で、郷土史でしらべた史蹟を見聞できることなどもあるが、このうち、最も小生な内面で大なる期待と、比重をしめているのは、申すまでもあるまいが、女性との出合いである。
旅に、あえかなロマンが拾えるとおもえばこそ、にきび盛りの青年時代から 小遣いがたまると“学割”で汽車にとび乗った。ひと通り、客車をデモる。美しい乙女が見当れば、何処でもいい、彼女の降りる駅で途中下車する。彼女がバスに乗れば、乗る。その為、とんでもない田舎道で降ろされたこともあったが、併し楽しかった。彼女にうさん臭そうに警戒され、次のバスで、再び駅へ戻らねばならぬことも時にはあるが、たいがいは、一言、二言、彼女と会話を交し、それだけでもう小生、歓喜に胸の高鳴る思いがした。けだし、純情多感の青春であったなあ。
それに、当時の小生は紅顔の美少年であったから、今では想像もしてもらえまいが、もてたんだなあ。初めての土地で、その少女の農家で泊めてもらったことさえある。ゲバ棒の近頃とは雲泥の差で、当時は、学生というだけ で絶大な信頼を、素朴な田舎の人たちから受けたものである。
「夜這い」を常のこととする兵庫県のある山村に泊った時などは、「夜ばいすべきか、すべからざるか?」一晩中、自らに問い、固唾をのんで遂にまんじりともせなんだこともある。そして一番鶏が鳴くのを、あの時ほど厳粛なおもいで聴いたことはない。使徒ぺテロではないが、暁に鶏鳴をきくまでにたしかに、小生も三度は、神を否(いな)み、そして悔いたものであった。
今とちがい、当時は一寸した地方都市へ行けば何処でも遊廓というものがあったから、旅の感慨は女郎衆の肌と、地方訛りの寝物語を知ることから始まる - そんな大人びた、もう浮世のイロニーの翳る旅の仕方を知ったのは出征する前である。女郎の口ずさむのも戦国調 のものあり、“なつメロ”などで、今聴けば分かるが、あの調べ自体が言い知れぬ敗北者の哀愁をたたえている。戦争にゆかねばならぬ僕等に、人生の敗残者ともいうべき裏わびしく荒(すさ)んだ女性の唄う「ラバウル小唄」は、永遠に青春への挽歌を奏でるように聞えたものだ。
酒の味は、その頃の小生にはまだ分からなかった。遊廓で取る食べ物にうまいものなどありはしない。それでも、これは博多でだったが、翌朝、遊女が自分で御飯を焚き、汽車に乗る小生に握り飯の弁当をつくってくれた。食糧事情のそろそろ逼迫していた頃だからでもあるが、やり手婆あに気兼ねしながら、こっそり米を洗い、たきたての握り飯を竹の皮に包んで、出征する友人を大村へ見送るため汽車にに乗る小生を、博多駅まで 、彼女は見送ってくれた。
あんな娼婦がむかしの日本にはいたのだ。
やたらレジャーやバカンスで人の繰り出すことの多い昨今の日本には、もう、旅情など味わえる土地などどこにも残っていないのではあるまいか。