「妻との修復 - 嵐山光三郎」文春文庫 09年版ベスト・エッセイ集から

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「妻との修復 - 嵐山光三郎」文春文庫 09年版ベスト・エッセイ集から

日ごろから口うるさかった妻がおとなしくなったときがアブない。とくに専業主婦が危険である。おとなしくなった妻は三年計画で離婚を決意し、その準備に入ったのだ。
夫婦ゲンカをしているうちは、まだいいのである。夫が腹をたてるのは、妻の無神経な言い方にあって、ああいえばこういう、こういえば女のリロン(そんなものはないのだが)で言いかえす。バカヤローめ。
かくして一年以上、妻と口をきかないですごす夫婦が出現する。一年間会話をしないと、意地になって二年、怒りがぶりかえして三年、記録達成のために四年、あきらめて五年口をきかない夫婦となる。
こうなると熟年離婚は時間の問題である。
離婚裁判で最高裁までいった知人がいる。この人は再婚だったが、もめにもめて、裁判所で相手とののしりあった。高名な弁護士で再婚相手も弁護士だった。たがいに法知識があるから、相手を誹謗中傷する言葉は熾烈を極めた。
夫婦の性生活の細部までさらけ出し、やれ異常性欲者だ、性格破綻者だ、鬼で悪魔でケチで因業で無教養でノロマで口がくさいと言いあった。裁判になると、あることないことを相手に投げつけ、憎しみの泥沼のなかで、人間としての尊厳はずたずたになる。悲惨なる闘い。
その知人は最高裁判決では勝ったものの、心身ともに衰弱し、判決が下された三カ月後のワンルームマンションで死んでいた。
離婚はカラダによくない。
とくに熟年離婚は男をボロクズにする。
こんな醜態をさらすのならば、鬼婆化した妻であっても、別れなければよかった。妻が鬼婆化するのは日本の伝統文化であって、そういうDNAがはじめからあるのだ。もとよりアカの他人が一緒になり、性愛関係にあきて愛想をつかしただけのことである。
妻の鬼婆化は夫にも責任がある。それはヨークわかっている。わかっているが、離婚に至るのは、理屈ではなく生理的嫌悪がさきだつ。
明治時代に黒田清隆という政治家がいた。黒田は女性の社会進出を主張した女性崇拝者であったが、いばりちらす妻に腹をたて、蹴殺してしまった。黒田の妻セイは上司の娘で、夫をなめて軽く見くびっていた。歴代の首相で妻を蹴殺したのは黒田ひとりである。
生意気な妻を蹴殺した黒田の素行は、同郷の大久保利通の協力によって表沙汰にされなかったものの、噂はひろまり、「余も黒田になるぞ」という夫のヒトコトは、妻たちを震えあがらせた。
黒田のような凶暴夫の存在は弱い夫どもにとって力強い限りであった。
いまはセレブ妻が夫をワインの瓶で撲殺し、死体をバラバラに切断して繁華街に捨てる時代になった。夫の死体は大きな生ゴミであるから、切り身にして捨てるのは現実的な処置である。ワインのラベルに「瓶で夫の頭を殴らないようにしましょう」という「使用上の注意」が貼られるだろう。
家庭には人事異動がない。
妻の横暴から逃れるためには離婚しかないのだが、離婚の手続きは結婚より面倒で、精神的にも体力的にも疲れる。
困ったことに、会社人間ほど、妻とうまくいっていない。私の周辺では、仕事ができる夫に限って、妻との家庭内離婚が進んでいる。
企業戦士は、いつ妻が離婚をいいだすかにおびえ、定年を迎えた日に、妻から「別れて下さい」といわれるケースがふえた。夫がいくら働いても、妻は際限なくつけあがり、限度というものがない。
妻には四つのパターンがあり、
良妻賢母(男が理想とするタイプ)
良妻愚母(夫に寄生するダラケ妻)
悪妻賢母(インテリ美人に多く見られる)
悪妻愚母(わがままで自分中心の人妻)
である。
の良妻賢母は、男が幻視している理想的人妻像で、概念だけあって実存はしない。多くの人妻は良妻愚母で、夫につくしているように見えるが内容はバカ妻である。世間からは良妻と見られている妻が、家庭内ではとんでもないくわせ者というケースが多い。
悪妻賢母は、たとえば「ソクラテスの妻」や「漱石の妻」であったりするように、夫が大成した。夫があんまり立派すぎるので世間が「悪妻」と認定して溜飲を下げただけだ。
また、夫にも「悪妻自慢」があって、「自分の妻がいかに悪いか」をくらべあう。悪妻を持つのは男の度量である、と思いがちだ。こういった誤った認識が、妻を限りなく悪妻にしたてていく。
六本木ヒルズに住むアホ成金族で流行しているのが悪妻愚母であって、モデルだのテレビタレントだの局アナあがりが、青年実業家(という名のヤクザ)と結婚し、鍋パーティーをやっている。成りあがりの男や、パチンコ屋のオンゾーシが、「金のかかる女」を連れて歩くのである。妻は男が「見せびらかす」勲章のようなものだから、バカで性格が悪いほど価値がある。
千円札の顔になった野口英世は、ニューヨークの酒場で知りあったはすっぱ女のメリー・ダージェスと結婚して、大失敗した。野口はロックフェラー医学研究所の首席助手で、年俸三千ドルもかせぎ、メリーはそこに目をつけた。メリーはめちゃくちゃな浪費家で、野口の金を使いつくしたあげく、ヒステリーをおこしてつかみかかり、家のなかで野口をぶん投げた。
あまりのアバズレ女ぶりに、野口はほとほと手をやき、メリーをニューヨーク在住の日本人には会わせることはなかった。メリーは黄熱病のあるアフリカへはついていかず、野口は五十一歳でアフリカで客死した。
「悪妻が夫を育てる」なんて大嘘である。大成した男は、悪妻のおかげでそうなったのではなく、悪妻がいるにもかかわらず、それを克服して自分の力でのしあがったのである。
というものの、いまの中高年夫にとっての課題は「妻との修復」である。若い夫婦の離婚は「夫の不倫」や「性格の不一致(性交渉がないこと)」といった具体的な理由があるが、熟年離婚は、いろいろな小さな不満が積み重なった結果である。
妻にいわせれば「いままで我慢に我慢をつみ重ねてきた」わけで「積年の恨み」がある。さてどうしたらいいか。
みなさん苦労しております。
妻の誕生日にバラの花を贈ったり、フグ料理屋に案内したり、自宅でシャンパンをあけてみたり、温泉宿へ案内する者、お取りよせグルメで晩飯をつくってみたり。妻が同窓会で外出する日は、すべての予定をキャンセルして家の留守番をしている人もいる。
百組の夫婦がいれば、修復の方法も百通りあって、温泉旅行にしても三泊四日が限度である。四泊以上すると、ケンカになる。
家に仕事を持ちこまない、仕事仲間を家に呼ばない、妻の才能を見つけてほめたたえてうまくいった例もある。
私の場合は、半分別居して隠居して、妻の圏外に逃れた。妻ともめても、いちいち反省しない。といいつつも、妻は大切なパートナーである。
さて先人はいかなる手で妻との修復をしてきたのか。という、つまらぬようでもあり、そのじつやっかいなことを調べたが、やっぱり答えはわからない。妻は年をとるほど一触即発の地雷となっていきますから、優秀なる友よ、ご用心なさいませよ。