2/2「伊勢神宮の今日的な意味 - 曽野綾子」新潮文庫 百年目 から

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2/2「伊勢神宮の今日的な意味 - 曽野綾子新潮文庫 百年目 から

私はもともと神道の拝礼に馴れていないので、神域に入るとさらに緊張した。何をやらせても、外国人のようにぎこちないのでどうしようもないのである。今度もまず入り口の手水舎(てみずや)で手を洗い口をすすぐ時、杓(ひしやく)で何度も水を汲んで恥をかいた。これは一回汲んだ水ですべてを合理的に清潔に済ませる手順を踏まなければならない。
さらに玉垣内参拝と言って、内玉垣と外玉垣の間の中重(なかのえ)という場所で拝礼を許された時にも失敗をした。粗削りの砂利を踏んでいるうちに、四年前に骨折した足が痛み始めて一時的に歩けなくなったのである。
正殿ね奥には東宝殿と西宝殿が並んでいた。その説明を聞いているうちに、感動で足の痛みを忘れて来た。東宝殿には天皇からの弊帛(へいはく)が入れてあり、西宝殿には、次の遷宮に必要な一切の「仕様書」を記録したものが納められている、という。もちろん次の御遷宮の準備は、今回の御遷宮が終わったその翌日から始まると言われるくらいだから、扉を開けて慌ててその通り作り始めるわけではないが、旧約聖書の『民数記』を思い出してしまった。つまりそこには「伝統の記録と継承」が遠い昔から実に整然とした手段で行われていたのである。
玉垣南衛門の前には南宿衛宿と呼ばれる白装束の神職の詰め所がある。これは畳敷き二間ほどの小さな家で、宿衛の神職は夜通しここでvigilをする。不思議なことに、英語のこの単語以外、この任務に適当な言葉を私は思いつかなかった。夜は深く息づいているだろう。人一人いない闇の森は、しかし数百年を経た巨木古木の饒舌な声に満ちているだろう。ちなみに参拝は日の出から日没までである。神職は何を思いつつここで宿直(とのい)をするのか。信仰には、すべてこうした聖なる肉感的prostration(伏し拝むこと)の姿勢が必要だ。
外宮(げぐう)には御餉都神(みけつかみ)である豊受大御神(とようけのおおみかみ)が祭られている。御餉は神々に奉る食物のことで、北東の角には、神に捧げる食物を作るキッチン棟があるのだ。そこでは今でも毎日二度、御火鑽具(みひきりぐ)、つまりヒノキの板にヤマビワの心棒をこすり合わせて発火させる、という方法で火が起こされ、その忌火(いむび)(清浄な火)で蒸された御飯が、禰宜(ねぎ)たちによって御餉でんに運ばれ供えられる。
私たちはまた御塩殿神社にも立ち寄った。自然の海水を保管し、水分を蒸発させてから、その鹹水を平鍋で一昼夜煮詰める。大きなお握りほどの三角錐に結んで焼き固めた荒塩は、単価として一万円ほどもかかっている、と誰かが俗っぽい原価計算の話を聞かせてくれた。
伊勢市楠部町にある神宮神田の水田の風景は、その奥にある茅葺きの建物と共にまさに絵であった。水田の緑は明らかに他の田圃よりも濃い、神田に蒔かれた忌種(神聖な稲の種)はちょうど青々と育っている最中であった。
既に次の御遷宮の準備は始まっているという。祭祀(さいし)に使う非常に高度な技術を要する一切の物は、すべてが新しく用意されるのである。伝統工芸の職人たちがこの時総動員されるのだ。屋根葺きも、宮大工も、木工も、塗りも、織りも、縫いも、畳の技術も、である。男子の衣冠単(ひとえ)、束帯、浅沓(あさぐつ)、帖紙(たとう)、アコメオオギ(難漢字)、木笏(もくしやく)。女子の唐布(からごろも)、上着(うえのきぬ)、袴、サイシ(難漢字)、垂髪(たれかみ)、裳(も)、ウチキ(難漢字)。こうしたものを制作する技術者たちは、ただ名誉だけで、儲けはほとんどないだろうけれど、それでもこの伝統的祭儀がなかったら、技術が次代に受け継がれる必然はほとんどないことを知っているのだろう。
神宮の森(ミソモヤマ)は、自然環境保護の一つの見本であった。みごとな照葉樹林である。木の葉が文字通りきらきら光っている。肥料など人工的なものは何もやらない。道に落ちた落ち葉を森に返すだけだという。
五十鈴川はその上流域に大きな森を抱えている。八千ヘクタールあるという。照葉樹林腐葉土で分厚く覆われた森は保水力が極めてよい。加えて雨量の多い上流の土地を抱えている。五十鈴川の水は枯れることがない。
私はそこで手を洗った。子供の時、この川岸は自然の土だった。しかし今は景観を損ねないようにさりげなく護岸されている。
一回の御遷宮に必要な木材は一万四千本近く、九千八百立方メートルに及ぶというが、そのために二、三百年先までの木材の手当てができている、という。これはまさに時代の最先端を行く自然環境保護を目的とした計画だ。ここにある自然との対し方は、いつのまにか、日本の最新鋭の新しい思想になっていたのである。
世界には、死んだお寺や教会がいくらでもある。つまりもはやそこにはろくすっぽ祈りも祭儀も行われなくなった宗教的施設が、廃墟同様になってあちこちにある。ヨーロッパでは、祭壇泥棒を恐れ、聖職者が昼寝をするために、まっ昼間から大戸を下ろして人を寄せつけない教会は珍しくない。
しかし伊勢神宮は、三百六十五日、朝から夕方まで、人を受け入れ、今もなお着実に信仰的行事を続けている。そのことが宗教の違いを超えて私を感動させる。「なあに、お札で儲けておられますし、御遷宮の時には大口の寄付がたくさんあるんですよ」と言う人もいるが、それでも百人の神職と、五百人の職員を抱えてこの静謐(せいひつ)を保つのは、経済的にも容易なことではないだろう。
タイマーを掛けておけば電気釜はほったらかしておいても御飯を炊いてくれる。たいていの家庭の室内は冷暖房完備だ。こんな時代に神職たちは、今でも木をこすり合わせて火を起こして神に捧げる御飯を炊き、冷房皆無の小屋で蚊に責められながら宿直をする。信仰表現は今でも犠牲の感覚を伴いながら日々生きているのである。天皇家のおかげで日本の古来の文化は奇跡的に原型を保持し得た。
私は自宅に帰ると夫に言った。
「御遷宮の時には、神道であろうとなかろうと寄付をすべきね。日本人として」
夫は言った。
「うちの息子は、前の御遷宮の時にも言ってたよ。親父(おやじ)たち、少しでも無駄金があるなら、寄付しないよ、って」
「そんなこと言ったの?」
私は初耳であった。しかし息子の言いそうなことであった。彼の一家もカトリックなのだが、彼は同時に文化人類学者のはしくれでもあったのである。