「総支配人 定保英弥 - 村松友視」文春文庫 帝国ホテルの不思議 から

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「総支配人 定保英弥 - 村松友視」文春文庫 帝国ホテルの不思議 から

帝国ホテルの不思議を探るにさいして、各セクションの現場の人々に取材する前に、現場にもっとも大きい影響を与え、現場からもっとも大きい影響を受ける、オーケストラならばコンダクターという立場にある、総支配人の話をまずはうかがっておかねばと思った。現場の具体性を掌握しながら、帝国ホテル全体を見渡す視座を必要とする仕事であろうことはもちろん想像できたが、その職務の内容はいったいどのようなものなのか。帝国ホテル総支配人の仕事とはいったい何なのでしょう.....そんな単刀直入な質問に対して、定保英弥さんはきわめてやわらかい口調で、懇切丁寧に説明してくれた。
帝国ホテルのセクションを大きく分けると、客室、レストラン、宴会、帝国ホテルの商品を販売するガルガンチュワの外販事業部がある。それらの場所を数多くの人々に利用してもらい、ホテルライフを楽しんで、リピーターになってもらうためにあるオペレーションの最高責任者.....大雑把な理解ではそういうことになるようだ。
東京都がメインでやっている国際会議場のケータリングも、帝国ホテルが担っているというから、その部分の管理もまた重大な仕事として組み込まれている。
ただ、特別な顧客は別にして、私たち一般人が帝国ホテル内で総支配人と接するケースは、ほとんどないと言ってよいのではなかろうか。何かが起これば表面に出るが、目に見える仕事が潤滑に行なわれるための、目に見えない責任者.....そんなイメージもある。
だが、目に見えないところでは、たとえば宿泊客のコメントレターにはすべて目を通すことから、バイキングの朝食に出る味噌汁の量の加減にいたるまで、かなり幅広く細かい目配りをする役どころでもある。その目配りを行きとどかせるためには、つねに現場に足をはこび、ホテルの客がどのように楽しんでいるかを感じ取り、それをヒントにプランを思い浮かべなければならない。
私なども、久しぶりに帝国ホテルをおとずれたとき、電話ボックスのありようや、ロビーの応接セットなどの、模様がえに気づくことがある。このようなことも、総支配人と現場の担当者との意見交換の結果、決定されてゆく。帝国ホテルの各部署は、熟練のプロにめぐまれているので、二〇〇九年(平成二十一年)の四月から総支配人となった定保さんにとっては心強いことだという。また、定保さんと長年一緒にやってきたチームとのあいだにも、つねに新しいことにチャレンジしようという合意が確認されているから、私たちに見えないところで、帝国ホテルの客にとって何が必要とされているかを探る神経は、全館に満ちみちているということになる。
よく話し、聞き、現場からの吸収力を保つ.....これは、チームプレーの責任者たる総支配人の、欠くべからざる要素であるにちがいない。定保さんからはそんな意識が強く伝わってくると同時に、生来のものであるらしいそのやわらかい感性が、職責を全うする上で大きな資質として生きているという気がした。
定保さんの話をうかがっているうち何度か、プラス思考によって、時代の曲り角を切り抜けていこうという意志の強さを感じさせられた。
現代のケータイ文化と、かつてイメージされたホテル独特のクールな雰囲気とは、かならずしも馴染み合うものではない。ケータイは人前で電話の相手と話すことに人を慣れさせ、人前で化粧することに慣れさせ、つまり、“人前”という意識を人々から引き抜きつつあるように思える。そんな時代風潮は、ホテルという文化にとって歓迎すべき傾向とは言えぬのでは.....と水を向けてみると、定保さんからは次のような解釈が返ってきた。
ケータイから派生する雰囲気は承知しながらも、ホテルのオペレーションにとって、ケータイという武器の絶大な効力は否定できない。賓客の到着時間の確認と同時に、客室階へ直に通じるエレベーターの確保をし、さまざまな準備をするため、営業時代の定保さんは館内を駆けめぐっていたという。その状態がケータイによって大いに緩和され、さらなるサービスへの余力として生きている.....これはありがたいことだと、定保さんは受けとめる。
そして、プレッシャーというのではなく、帝国ホテルの雰囲気に馴染もうとする神経が、自然に生じているのか、ロビーなどで大声でやりとりをするケースはあまり見あたらないそうだ。ホテルという空間の押しつけがましくない、かすかなる抑制気分が、そこにいる人々の気分を洗練させてゆく.....それこそ帝国ホテルに似つかわしい雰囲気というものだ。定保さんは、帝国ホテルを利用する人々の、そのような感覚をプラス思考で受けとめているようだ。
また、世界中の名だたるホテルの東京進出に対しても、もちろん競争はきびしくなるが、東京がようやくニューヨーク、パリ、ロンドンなどと同じ位置になった証という価値づけをする。東京という街のグレードアップと帝国ホテルの存在価値が通底しているという認識を、定保さんは抱いているのだ。

定保 いまは、どのホテルもたいへん苦しい時期だと思いますけれども、帝国ホテルならではの伝統と歴史を踏まえて、しっかりと差別化をはかりながら、その良さを多くのお客さまに知っていただく意味では、比較検討もされることですし、絶好のチャンスだと思っております。そういった意味合いでは、百二十周年を迎える今だからこそ、原点にたちもどって、帝国ホテルが誕生した意味をしっかり見つめ直すことが、もっとも大事なことではないかと思っております。
ー その原点というものを具体的にあげると、どういう要素になるのですか。
定保 いろいろな見方があると思いますが、やはり海外からの賓客を迎える、国の迎賓館としてできた帝国ホテルですので、その原点を引き継いでいきたい。そして、いつもスタッフと話しているときに感じるのは、当たり前のことをしっかり当たり前にできるのが帝国ホテル、という自負への手ごたえです。これができるかできないかが、非常に単純なことですけれども、お客さまの評価につながるのではと。そこをしっかり全員で取り組んでいきたいというのが、原点の意味合いということになると思います。
- そのほかに、帝国ホテルの特殊性と言いますと?
定保 非常に月並みですが、九百三十一室の客室があり、レストラン、バーが十以上、宴会場が三十近くあるホテルというこの規模は、世界中にあまり見あたらないわけです。そういう自負心はたしかにありますが、たしか犬丸一郎社長が言った言葉だと思いますけれど、そんな大規模なホテルであるにもかかわらず、百室くらいのホテルにいるというふうに感じてもらうようにやろうよと。大規模を忘れていただくように、痒いところに手がとどくようなサービスをつねに心がける.....この原点を目指したいですね。東京に行くならば、帝国ホテルに行きたいなと思っていただく、そういう目標というのでしょうか。

定保さんの言葉に、私はフランス香水とパリという街の雰囲気やフランス文化の関係を思いかさねた。フランス香水は、かつてフランス文化が世界中から尊敬されていたゆえに成立したという言い方ができる。帝国ホテルもまた、東京のグレードや魅力とリンクして息づいている。世界の名だたるホテルが東京に進出し、東京という類まれなる要素をはらむ都市への注目度が高まることと、帝国ホテルの価値とはつながっているはずなのだ。
その帝国ホテルに、日本人らしい“痒いところに手がとどく”サービスが存在すれば、原点である迎賓館的環境にふさわしい、あたたかな贅沢を味わってもらうことができる。総支配人である定保さんの、押しつけがましくない理念と目標は、古風と新風の最上のエレメントを融合させようとするロマンに満ちているようだった。
父上が航空会社に勤めていた関係で、香港で少年時代をすごし、ハンブルグに六年、香港に三年という海外生活のベースが、定保さんにはある。父上の仕事もホテルとかさなる旅行業界であり、そういうものを近くで見てきたことが、あるいは今の仕事に生きているかもしれぬと、定保さんは述懐する。
入社して間もなく定保さんは、客室のトイレ掃除、荷物持ち、ベルマン、鍋洗い、卵割り、野菜洗い、レストランのウェイターなどのいわゆる下積み修業の総仕上げで、上高地帝国ホテルで二か月ほど、皿洗い中心の仕事をした。そのとき、たまたま上高地特集のテレビ取材が入り、皿を洗っているところを映され、「皿は一日に何枚洗うんですか」といったような質問をされたあと、「将来は?定保さん」とマイクを向けられ「帝国ホテル総支配人」と答えたという四半世紀前のエピソードが残っている。その画面にTシャツ姿で映っていた定保青年が、いま現実に百二十周年を迎える帝国ホテルの総支配人として私の前にいる。
「言ってみるもんですね」、と目をのぞき込むと、「もう、とんでもないやつでしたね」と、学習院大学出身らしいおだやかな含羞(がんしゅう)を、定保さんはその面立ちに浮かべた。