2/2「解説 春画の扉を開いた人 - 辻惟雄」講談社学術文庫 江戸の春画-白倉敬彦著 の解説

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2/2「解説 春画の扉を開いた人 - 辻惟雄講談社学術文庫 江戸の春画白倉敬彦著 の解説

それまで編集者の立場に甘んじていた氏が、執筆に本腰を入れるようになったのは、この『浮世絵秘蔵名品集』を契機としてである。本書はその最も早い時期の書き下ろしで、以後亡くなる直前まで書き続けた氏の著作のテーマのほとんどすべてが、この一冊に凝縮されている。加えて圧巻は、六十六図に及ぶ挿図である。師宣から国芳ら幕末浮世絵師に及ぶ各時代の組物・艷本から抜き出された図案が、見たこともない奇抜な情景をテーマ別に示して驚かせる。
本書の元本が「それはポルノだったのか」という副題を持つところからも察せられるように、著者は浮世絵をポルノとみなす説に強く反発する。“ポルノグラフィは快楽の性に限定された世界(ポルノトピア)であるのに比して、春画は生殖の性、生む性、いわば日常の性を排除するどころか、より強くそれに依存している”
というのが、氏の主張である。春画といえば、吉原での客と遊女の性交を主題としたものと思われがちだが、実際には吉原は決して春画の主舞台ではない。現存する春画の大多数は、日常における男女の性の楽しみの諸相を娯楽性豊かに表現した「笑い絵」なのだ - こうした主張は、著者と親交のあつたイギリスの江戸時代文化研究者タイモン・スクリーチの『春画-片手で読む江戸の絵』(一九九八)に対する強い反論にもなっている。スクリーチ氏によれば、春画は、圧倒的に男性の割合の多かった江戸時代において、男性の自慰の道具として活用されたという。私はこの説を白倉氏ほど全面的に否定はしないが、男も女も平等に、自然に性を楽しんだ、性を罪悪とみる西洋人の観念や、フェミニストが批判するような男性の女性蔑視のまなざしはそこにはない、という著者の主張には基本的に賛同する。
吉原の遊女が従来春画の画題の中心と考えられてきたことに対して、遊女が春画に登場するのは春画全体の一、二割に過ぎないという意外な指摘をする。吉原は金で買われた遊女の、濡れ事を演じる虚の場であり、それはいかに美化されても、現実に即した「笑い絵」の対象にはなりにくい。それならば、春画に描かれた遊女の色恋はどのようなものであったか。本書最後の巻九では、客との虚の交わりを日常とする遊女が、実の色恋を求めて間男に夢中になる場面のさまざまが取り上げられる。そうした切ない色恋は、「笑い絵」としての春画の性格にそげわないとはいえ、春画の持つ現実的側面がとらえた美しい恋のありようである、と氏はいう。
フリー・ライダーとしての肩書なしの執筆を続けつつ、愛する家族を守り、世の偏見と闘った、まじめで徹底癖な白倉さんの性格は、「笑い絵」というオブラートに包まれながら、本書のそこかしこに重なって見える。
総じて記述が下品になるのを避け、知的、客観的であることを心がけながら、男性としての自身の立場を失わない - これが著者の基本的態度である。



学研による豪華春画図録の出版により、以後春画の出版は欧米並みに解禁となったが、春画の展覧会が実現するのはまだ先のことだった。
『浮世絵秘蔵名品集』の執筆者の一人、ティモシー・クラークは、ロンドン大学で日本近世演劇を研究するアンドリュー・ガーストルと図り、世界で最初の総合的な春画展覧会を大英博物館で実現させた。出品作は、大英博の所蔵品を中心に、欧米の美術館やコレクターの所蔵品が広く集められ、日本からも、国際日本文化研究センターのコレクションなどが参加した。十六歳以下の子供は保護者同伴時のみ入場可、などの周到な計らいにより、二〇一三年十月から翌年一月までの期間に、観覧者は九万人近く、うち六割が女性という意外な好結果が出た。西洋のポルノは男性の欲望を満たすためのもの、それに対し春画は男も女も共に楽しんでいる、という好意的な感想が多かったという。白倉氏はこの展覧会を終始陰から支える重要な存在だった。
成功に終わったこの展覧会を、日本に引き継いではどうか、という要望が大英博物館からあった。それを受けて、ロンドンでの春画展のスポンサーを務めた淺木正勝、浦上満の両氏が、日本各地の公私の美術館と交渉を重ねたが、結果はいずれも否。中には理事会での一人の反対でダメになるケースもあった。警察の目を恐れ開催を自粛する、というのが断りの理由である。時間は徒(いたずら)に流れるばかり、それを見かねて永青文庫細川護煕理事長が、“義侠心”から開催を決断したが、その準備委員会結成のパーティの席に、白倉氏の姿はなかった。氏は肺癌のため二〇一四年十月、亡くなっていたのである。
肝心の時に白倉氏という柱を失った関係者の落胆は察するに余りある。だが、氏の教えを受けた小林忠、早川聞多、それに加えるに、生前の白倉氏から親しく教えを受けていた石上阿希ら女性研究者の努力によって、永青文庫春画展は、二〇一五年九月から十二月にかけ開催された。関係者の心配をよそに、入場者は二十万人を超え、ロンドンでの春画展同様、女性の数が男性を上回る勢いだったという。
この記念すべき展覧会に立ち会えなかったことを、白倉氏はあの世で残念がっておられるだろうか。だが、春画を男性の慰みものとしての低い地位から、男女ともに生を楽しむ姿を描いた江戸時代文化の遺産、という正当な地位にまで高めた(戻した)人として、永く記憶されるべきは白倉氏である。本書はその証しであり、現在男性よりはるかに多くなった女性の春画研究者の主導によって、氏の拓いた道はさらに確かなものになってゆくであろう。