(巻二十一)洗濯の干し方にもある妻の意地(望月富子)

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4月14日日曜日

義母の墓参りに出掛けました。墓参りと云っても染井墓地の脇にある合葬墓である。郵便受けの名前プレートのようなもの(縦1センチ横5センチくらい)が故人の標としてボードの中に紛れてある。
お詣りは“もやいの里の石碑”に供花し、線香を焚いて合掌した。故人を偲ぶ場としてあるのだなあ。
私たちは花と線香を寺務所で分けていただいたが、持参すれば一切金は掛からない。ここが寺と違うところだ。

「冷たい」と言われぬためにするようで母の墓参も父の見舞も(高橋みどり)

*自発的に参っておりますよ。いい姑でございました。

はここに入るつもりである。そろそろ二人分の五十万円を用意しようかと話していて、今日もお詣りのあとセールスの方にお話を訊いた。
五十万円と七十万円の二通りがあるそうであります。この20万円の差が先程のネームプレートだそうです。なにしろ手狭なところにボードを立ててプレートを貼り付けるのでスぺ-スが足りなくなってきているとのことです。“永代”とは言えあのスペースで一人十万円は高いな。夫婦ともにプレート無しで一致であります。
プレートのスペースにも事欠いているくらいですから、当然分骨でして、ここに納められているのは喉仏だけであとは大分県の山の中に葬られるそうです。
「分骨については抵抗の有る方もいらっしゃいますが、お釈迦様も分骨でございます。分骨について西日本、細かく申しますと浜松市あたりを境にして、と東日本では考え方が違うようです。西日本の方は分骨に抵抗が無いのですが、東日本の方は嫌がりますなあ。」とセールス氏が蘊蓄を傾けて下さった。
骨壺の送り先はやはり用意して置いた方がよかろうと夫婦で合意しているが、まだ金を渡すはやめておこうということになった。

冬花火この骨壺といふ個室(千葉信子)

骨かるし壺は重たし秋の空(潤)

*義母の埋葬の折り。

“墓参”を済ませてから、地蔵通りの鶴すしに向かった。今日は縁日なのだろうか、11時前だが地蔵通りは大変な人出であります。
鶴すしの前に行くと老女が一人開店待ちをしていた。老女によれば11時から団体が入るのでカウンターでよければ食べられると店員から説明されたと教えてくれた。
待つ間、老女がに身の上話を始めた。老女のご亭主は昨年九十一歳で他界されたそうだ。さすがに一人になって寂しいとは言わないがよく夫婦で行楽に出掛けたなどと話してくる。二人を懐かしんでいることは間違いないな。「医者からは一ヶ月半と余命を宣告されたが、それから十ヶ月も生きていてくれたのよ。」なんぞと“ノロケ”られた。

11時になったので階段を上がって店内に入ると既に団体様が入店を始めていた。
この団体と云うのは三十人くらいの後期高齢者の団体で、このうち介助なしで自立歩行ができる方が半分、残りは歩行器と車椅子での移動であります。ですから、三十人に六、七人の介助者が同行しておりました。
介助者の方々の目配り気配りには感服いたしました。
鶴すしの方では、特に老人食を出すわけではないので、超老人には食べづらいのです。そんな料理を細かく切ってあげたり、お茶を冷ましてあげたり、トイレに連れて行ってあげたり、各個人毎の食後のお薬の服用をさせたり、兎に角凄い!

人間、なかなか死ねるものではないようだ。それこそ行いのよい選ばれた人間だけがちょうどよい年齢のときに、長患いせずにふ~と心地よく昇天できるのだろう。はちょうどよい年齢帯に入りましたよ。

日がな碁をうちて晩酌ほろ酔いで
風呂に入りて父逝きにけり(石川義倫)

昼飯を済ませて、地蔵通りを巣鴨駅に向かい、駅構内のマーケットで明日の昼食のおかずの焼売と今晩の海苔巻きを買い、二時前に帰宅した。
外に出れば疲れるので昼寝であります。


「いろいろの死 - 尾崎一雄岩波文庫 日本近代随筆選1 から

を読み始めた。