(巻二十二)生身魂ときどき死んだふりをして(室生幸太郎)

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4月20日土曜日

というわけで巻二十二に入りました。凡そ百句で一巻ですから、八月の頭辺りまでですかな。

壊れたトースターの後釜を探しに区役所の側の家電量販店に出掛けた。
操作が簡単で本体が軽くパンが二枚焼けて餅も焼ける、が要件であります。日立さんとタイガーさんの勝負となり、タイガーさんになりました。勝敗の分かれ目は色のようでして、タイガーさんのは家電の王道“白”、一方日立さんは“ワインレッド”でしたね。
他にラジオが欲しいとのことで、アナログのダイアル式の古典的なラジオを一台買いました。

土日は区役所までバスが来ませんので、少し歩いてシンフォニーヒルズのバス停で待ちましたが、バスが来ずしびれを切らせてタクシーに乗って帰宅いたしました。

途中で買ったサンドウィッチで差し向かいの昼食をいただき、昼寝。
昼寝から覚めて、トースターを箱から出してセットアップいたした。無事熱くなってくれました。


「幸福の文学 吉田健一 『酒肴酒』 - 丸谷才一集英社文庫 別れの挨拶 から

を読みました。早とちりかもしれませんが、主たるメッセージはこのあたりでしょうか?

『 吉田さんがかういふ幸福な人間、あるいは人間の幸福感を書くことができたのは、近代日本の文学観との関係があるでせう。といふのは、明治末年以後の日本文学では、人生は無価値なもので生きているに価しないといふ考へ方が大はやりにはやつてゐたのだが、その考え方と最も威勢よく争つた文学者はほかならぬ吉田さんだつたから。彼は、人生は生きるに価するものであり、その人生には喜びや楽しみや幸福感があるといふことを主張した。さらに、人生はさういふものだからこそ文明が成立すると述べた。それはむづかしく言へば、文学風土の歪みや貧しさに反抗して人間的現実の総体をとらへようとする、そしてぶんを擁護しようとする事業だつたわけですが、その場合、いはば最初の手がかりになつたのは酒と食べもののもたらす幸福感だつたにちがひない。』

なんか、その明治の人生無価値論に縛られておりますなあ。第一舌が肥えていないから旨いものが解らない。しかしこの鈍感な舌のお蔭で差し向かいができているのだから、何が幸福感をもたらすか分からない。

吉田健一氏が文学史上でそう言う位置におられたことを知りました。