(巻二十二)焼鳥の煤けしのれん肩で押す(田上さき子)

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4月21日日曜日

最近、焼き鳥を食いたいと思わなくなりましたなあ。もっとも、焼き鳥は元々食わず、もつ焼きばかりでありましたら、モツ焼きを食いたくなくなったが正しい言い方です。

今日は昼食後、図書館に参りましてNYTから、

Fossils fill out our family tree - Many different kinds of human species have walked the Earth - by Nicholas St. Fleur

Shelf space for unsung female writer - A London shop devoted mostly to books by women reaches a milestone - by Sarah Lyall

A
‘forest’ of timber, and little to stop a blaze - To preserve its design, sprinkers were never installed in Notre-Dame - by Aurelien Breeden, Elian Peltier, Liz Alderman and Richard Perez-Pena.

A guide to sustainable eating - by Jane E. Brody

をコピー致しました。どれをコチコチするか、まだ分かりません。

ついでに“ときわ”に廻って鰯でホッピーを頂いた。鰯を待つ間に親爺が漬物を出してくれた。二年近く通っているとそう言う扱いになってきます。

親爺さんの解説に依れば“鰯”と言っても最早下魚とは言えないそうで、日によっては鯛にも迫る値が付くこともあるそうです。親爺さんによれば鯨の大食が原因だと言う。親爺さんは環境問題も頭の中に入っているようで“バランスが難しい問題だ”とコメントしておりました。

店に入ったときは空いていたのですが、2時近くになって混みはじめた。そもそもお一人様を想定していない店の造りなのである。カウンター席はなく、最小でも四人掛けの卓である。そこを一人で使われると店としては困るだろう。だが、私を含めて四人のお一人様が四卓をそれぞれ占拠する状況になってしまった。
そこへ家族三人連れが入ってきた。親爺さんとしては逃したくない客である。私は黙って皿とグラスを持って唯一お一人様席になっている給湯器横の小卓に移動した。
その家族客の注文を取り終えた親爺さんがサービスにポテトサラダを持ってきてくれた。これがなかなか旨かったな!
お新香とポテトサラダをサービスしてもらったので、“ときわ”の宣伝を致して謝意といたそう(写真)。場所は新道のキラボシ銀行の筋向かいです。

夕食は差し向かいでいただいた。今晩も朝日歌壇・俳壇が話題となった。

れおなさんが選んだ、

時計屋の向かひに床屋春の夕(新保方樹)

が?をつけている。確かににも?であります。

は三宅久美子さんが御健在のご様子なので慶んでございますよ。

生き直すには生き過ぎし桜かな(三宅久美子)

ヤフー!のブログにコチコチ載せた英文記事と和文随筆をメモリーに仕舞いました。
これでお引っ越しでしくじっても、元ネタはintactです。