(巻二十二)稲という草の実食ってアジアかな(土屋秀夫)

イメージ 1

5月25日土曜日

午前中の所定の作業を済ませ、午後は図書館に向かった。
外は30度を超えているのだろう。公共施設である図書館の前には熱中症避難所の幟が出されていた。
二時過ぎに“ときわ”を出てフラフラと歩いたがちょっと汗をかいた。



今日は25日なので、もしかしたら『角川俳句六月号』が入っているかと期待したが、期待は外れたな。
もう一つの目的のNYT記事の方は三つほど読んでみようという記事をコピーした。
角川俳句が届いていなかったので、書架から俳句本を取り出して以下の句に巡り遇った。

ひぐらしに肩のあたりのさみしき日(草間時彦)
何もかも知つてをるなり竈猫(富安風生)
迷惑をかけずに生きて冬日和(中村伸郎)
また誰か死んだ話に昼寝かな(中村伸郎)
水仙や海の機嫌は波に出て(鷹羽狩行)
花曇かるく一ぜん食べにけり(久保田万太郎)
漫談の吾れをうとみぬ冴え返る(徳川夢声)
これからが丸儲けぞよ娑婆遊び(小林一茶)

家に戻ったところでグラッときた。グラッと来ても借家の気楽さである。(こういうところで自己中の本性が出る。)

借家の天井低き暑さかな(正岡子規)



稲という草の実食ってアジアかな(土屋秀夫)

多分この句を書き留めたときも、今読み返しているときも“アジア”に掴まった。
今から四十年ほど前にスリランカ、インド、ミャンマーを巡り、その頃のASEAN五か国を巡った。
振り返ってみれば人生の中の大イベントだった。
今やアジア諸国にその頃の名残はありますまい。

船よりも白き航跡夏はじまる(鷹羽狩行)



「アル中ハイマーの一日 - 山田風太郎新潮文庫 太田和彦編 今宵もウイスキー から

を読み終わる。
これはまあ表題の通りで読んでも読まなくてもどうでもよい雑文です。
山田氏の小説を読んだことはありません。

「人間臨終愚感 - 山田風太郎徳間書店刊 半身棺桶 から - nprtheeconomistworld - Yahoo!ブログ

https://blogs.yahoo.co.jp/nprtheeconomistworld/39434251.html

をご紹介しておりますが、こちらは必読の作品かと存じます。

臨終の一と声「ああ」枯世界(池禎章)



Bethさんのお誕生日でお祝い申し上げて、お返事を頂いた。

斎藤さんはバンコクで旨そうなもの食ってるなあ。

キシマさん、面白いのシェアーしてよ。“いいね”するから。