(巻二十二)自己顕示やたらに強し金木犀(安富耕二)

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6月3日月曜日

今日は冬もののシーツをはがして夏ものに替えて冬ものを洗濯した。併せて息子の部屋のマットレスを畳んで押入にしまった。息子の部屋もガランとしてきた。は淋しいと言い始めたが、確かに部屋がきれいになるにつれて居なくなってくるなあ。

在庫から“六月”を検索しますと、

六月の体内無事の写真かな(斎藤夏風)

六月が来てだらだらと物を食う(田中朋子)

六月の手応えうすき髪洗ふ(久野兆子)

が出て参りました。

六月と十一月は詠まれる割合が少ない。梅雨とか更衣と云う馴染みの季語があるからだろうか?

防災用備蓄品の点検をしたら飲用水の期限が5月まででした。
無駄と思わず災害がなかったことに感謝です。

昼飯のあと、手応えのない髪の散髪に駅構内のQBに参る。六十五歳以上は百円引きなのでその券を買って椅子に座った。勝手に百円引き券を買うのは手続き違反のようで椅子で住基カードの確認を受けて写真のカードの発行を受けた。手続きの順番は前後したが割引きは認められました。
本当はこのアンちゃん理容師ではなく、高齢者に人気のあるオバチャン理容師さんに遣って貰いたかったのだが、こういう店には馴染まない若い客が手間の掛かる調髪を頼んだようで、オバチャンはその客に掛かりきりになっていた。
QBの一人の処理時間は10分から長くて15分だろう。この客には少なくとも30分は使っているだろう。



外出したので“ときわ”でビールと致した。昼間であるが、若い男女四人グループが大声をあげながらガンガン飲んでいる。

あたしゃ、

六月が来てだらだらとビール飲む

でございます。

帰途、生協に寄り保存期間5年の水を2本買いました。5年と云う期間は微妙な期間でございますなあ。
家に戻りTシャツと短パン(オジパン)に着替えた。



「貧乏物語 一の一 - 河上肇岩波文庫 貧乏物語

を読み終わりました。導入部で貧乏の定義でございまして、そのまた導入でございます。

『 私がここに、西洋諸国にはたくさんの貧乏人がいるというのは、経済学上特定の意味を有する貧乏人のことで、かりにこれを第三の意味の貧乏人といっておく。そうしてそれを説明するためには、私はまず経済学者のいうところの貧乏線*の何ものたるやを説かねばならぬ
(九月十二日)

*“Poverty line” 』