「作家の年齢 - 瀬戸内寂聴」新潮文庫 幸福と不安と から

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「作家の年齢 - 瀬戸内寂聴新潮文庫 幸福と不安と から

宇野千代さんが昨年十一月末、満八十八歳のお誕生日会をされ、お振袖のお色直しを度々され、盛大華麗なパーティがあったことは記憶に新しい。
その日の宇野さんは、豪華な振袖が実によく似合って、花嫁のように可憐で美しかった。
ご挨拶に、
「この次は白寿の会ですよ。それまでみなさん、お元気で体に気をつけて、またいらっしゃい」
とおっしゃったのには恐れいった。御自分がその時存在しているということは規定の事実となっている。
常々、人間は平常心を失わず生きていれば必ず長生き出来ると信じて疑わないのが宇野さんである。
私は宇野さんから教えていただいたことが沢山ある。
「瀬戸内さん、いいですか、作家は、決して特別の職業ではないのよ。魚屋や、パン屋や花屋と同じなんです。自分を特別の人間と思ってはだめですよ。
その頃、私は、まだ、作家は選ばれた人間にしかなれない職業だと思いこんでいて、その誇りに見合う努力を忘れてはだめだと信じこんでいたので、この言葉にはびっくりしてしまった。そして、宇野さんのお言葉ながら、これはちがうと思っていた。けれども、それからまた長い歳月がすぎて、私も六十三歳になると、宇野さんの言葉がやはり、そうだったとうなずけてきた。私は小説家だといきり立って生きてきた自分がおかしくもかなしく見えてくる年齢になったようである。自然体でゆきましょうと、この頃、宇野式平常心を真似ていると、まだ書くことはいっぱいあったと、かえって心がふくらんでくる。長い歳月には書くことを職業としていても、書きたくない時期もあれば、書きたくても書けない時期もある。もう物を創る泉が涸れるのかなと思っていたら、ある日突然、おもしの石が外れたように、意欲の泉がふきあげてくることもある。
二十代には二十代の、三十代には三十代の書きたいものが湧き、六十を越しても、七十になっても、作家には幸い定年というものがない。有難いことである。
野上弥生子さんは九十九歳まで生き、九十九歳まで「森」を書かれていた。
百二十五歳まで生きると決めていられる宇野さんも、おそらく、なくなる日までぼけたりせず、小説を書きつづけられるであろう。『色ざんげ』を書かれたのは昭和八年(一九三三)で三十五歳の時、十年かかった『おはん』が完結したのは昭和三十二年(一九五七)で五十九歳の時であった。
そして現在、昭和六十一年(一九八六)は満八十八歳で「晩年」を書き進めている。
宇野さんのところへ毎週撮影に行っているあるカメラマンが私に教えてくれた。
「宇野さんは原稿を赤い木綿の糸でとじています。その量が一日一日、増えていくのがわかるんですよ。百二十五歳まで生きられたら、あの毎日書いている小説はどんな厖大[ぼうだい]なものになるんでしょうね。えんえんと続くんですから」
私は現実に見せてもらったわけでもない、その赤い糸でとじた原稿用紙の山が、目に映るようで恐しかった。
百二十五歳まで自然体で生きようとする宇野さんにとっては、八十八歳なんて、まだ青臭くて、頼りない年齢に属するのかもわからない。でもそれなら、「晩年」ではなく「熟年」とか、「実年」とかいう題になるかもしれない。宇野さんはやっぱり、御自分の八十八歳を「晩年」と感じていられるのだろう。
宇野さんが北原さんと離婚されたのは、たしか、六十七、八歳の時だったと思う。それから『刺す』などの名作が次々と発表されているのだから、七十歳など、それこそ名作が続々生れている年頃ということになる。
五十歳で死んだ岡本かの子林芙美子が、もし七十歳まで生きていたら、どんな晩年の名作が生れていたかもしれない。と、考えたいところだが、私は以前から、作家というものはその生涯に、書きべきものはみんな書いて死ぬものだという見解を持っていて、樋口一葉がもし八十歳まで生きても、彼女の死の直前の「奇蹟の十四ヶ月」に生れた数々の名作ほどの名作が、果して生れていたかどうか怪しいものだと思っている。作家とは、その生涯をかけて作品を書くもので、もし若い頃に名作を発表してしまい、後、七十歳まで生きても、一向にいい作品が書けなかったとしたら、その作家の作家的生命は、かつて名作を書いた時点で終っていると考えていいのではないだろうか。
フランスではデュラスが、最近話題作を発表して注目を浴びている。デュラスは七十歳で『愛人[ラマン]』を発表し、世界的ベストセラーになり、つづいて、その翌年『苦悩』を発表して、これがまた話題作になっている。デュラスは宇野さんより十七歳ほど若いけれど、やはり七十歳という年齢は、晩年と呼んで普通だろう。引きつづいて問題にされたこの二つの作品が、デュラスの、少女の頃や、三十の頃の記憶をふりかえり、再確認したような小説だからである。
自分の過去を振り返りかえって再確認したがるという作業が、人間の晩年に起る普遍的な所業だとしたら、デュラスのこれまで発表しなかった自分の過去の苦悩や恥辱をも、あえてごまかさす直視するという姿勢に、私たちは感動させられるのだろう。
宇野さんの作品も懐古的なものが目立つ。野上さんの最期の作品も、昔のことを忘れず想い出しておこうというものであった。
作家は、その時々の年齢で、自分を書き残しながら、同じ経験を、具体であれ、心理的であれ、晩年にもう一度振りかえり、かつては決して書けなかった事を、あるいはわざと見過ごしたふりをしたことを、この世に刻み残して、死にたいという欲望にとりつかれるものらしい。
宇野さんの赤い糸でとじられ毎日机上にかさを増している小説の中身に、どんな衝撃的なことが書かれているか、興味がある。
そしてもし、自分が八十歳まで生きたとしたら、自分の過去のどの部分を、もう一度書き直したいと思うか、考えこんでしまうこの頃である。
(一九八六年)