「わが身辺に低廉の佳肴あり - 檀一雄」中公文庫 わが百味真髄 から

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「わが身辺に低廉の佳肴あり - 檀一雄」中公文庫 わが百味真髄 から

酒のサカナという奴ほどうれしいものはない。これは、まったく、酒飲みにだけ与えられた天の恩恵のようなもので、飲む人は、飲まない人より、神の加護が多いなどと、まことに酒飲みの冥利に尽きるではないか。
酒のサカナは、あらゆる料理の粋のようなもので、下戸の不しあわせは、これらの粋を味わうことを、神様から見はなされているようなものだ。
粋を味わうのは、ほんとうの贅沢だが、ほんとうの贅沢は、必ずしも高価なものではない。不粋のものが、ただやたらに、鯛のツクリだの、伊勢エビの刺身だのと、わめくのである。
もちろんのこと、高価なものに、うまい酒のサカナも多い。フォア・グラなどという奴は、小さな缶詰が一缶三千円を越えるかもしれないし、私など生まれて一、二度しか味わったことがないから、どの缶がうまいのか見当もつかず、パリから一缶千円ぐらいのを買って帰ってみたところ、ジャガイモを混ぜ合わせたようなさんたんたるフォア・グラであった。不粋きわまる話である。
フォア・グラといったら「リラの門」という映画の中で、食料品店の店先から、缶詰をドンドン投げ落として、拾って逃げる、あれがフォア・グラだが、やっぱりパリの庶民だって、とてもフォア・グラなどには手はとどくまい。
レバー・ペーストでも舐めて、フォア・グラなどという高価な粋は、敬遠するに限るのである。
だから、私たちの酒のサカナは、低廉の粋をきわめることにしたいものだ。
酒のサカナは、細君の喰べるケーキより、ちょっとばかり安いものを見つくろうことにしたら、お家断絶、身は切腹などということにならずにすむ。
さて、身のまわりをとくと研究して、日曜料理に、一週間分の酒のサカナを仕込んでみたらどうだろう。
まず、魚屋の店先を行ったり、来たり、一番安いものといったら、塩鮭の頭である。もしかすると二尾分の頭にアラまでついて三十円、ためらわず、その頭を買ってみよう。
その頭の軟骨(ヒズ)のあたりを薄く、輪切りにして、酢にひたせば、一瞬にして絶好の酒のサカナになることは、もう、一度書いたつもりだから、たいていの人は知っていよう。
それでもまだ鮭の頭は余る。そこで、水にひたした酒の粕をスリバチでよくすり、濃厚な粕汁にして、余りの鮭の頭と、大根の輪切りをいっしょに、トロトロ煮てゆけば、酒のサカナはもう一皿ふえる。それも喰べきれなかったら
、翌朝、味噌を足し、粕汁を薄めて、野菜の類をなんでもぶち込み、三平汁にしてみたらどんなものだろう。
鮭の頭はもうこりたという向きには、そうだ、鱈の白子が安いではないか。百グラム三十五円を二百グラムきばる。
二百グラムの白子をさっと水洗いしてドンブリに入れ、ニンニク、ショウガをおろしこんで、食塩をちょっと入れる。その上に、根深のネギを一、二本縦割りにしてならべ、もったいないような気もするが、お酒を少々ふりかける。さてそのまま三、四十分蒸し器に入れて蒸しあげれば、真っ白に仕立て上がった極上の酒のサカナができ上がるだろう。
少しずつ、切って皿に出し、あとを冷蔵庫に格納しておけば、三、四日分の酒のサカナには充分なる。しかしまあ、太っ腹のところを見せて、細君にもお裾分けとゆこう。一日でなくなったって、これは細君が補充してくれることは、請け合いだ。
もし、ウイスキーのサカナにしたいとならば、同じ鱈の白子でも少しばかり趣向を変える。ニンニク、ショウガはそのままだが、バターを足し、白葡萄酒をふりかけてみるがよい。月桂樹の葉を半枚が、パセリの茎をでもほうりこんで蒸し上げたら、だいぶ趣が変わってくるだろう。



魚のほうはこのくらいにして、今度は鶏屋の店先をのぞき込んで見よう。
安いのはなんだ?鶏の手羽先.....。まったく、酒のサカナに申し分のないものがいちばん安いとは嬉しいではないか。百グラム三十円。そこでひと思いに、五百グラム仕入れて、一週間分の楽しみということにしよう。
ひとつ、今日は中華風にやってみるとして、大鍋にたっぷりと水を張る。ニンニク、ショウガを一塊ずつ、包丁で押しつぶして、その水におとし、ニンジンのシッポや、ネギの青いところなどもいっしょにほうり込む。さて、五百グラムの手羽先をその鍋の中に入れ、水たきして三、四十分。手羽先だけを、そっとすくい上げて、そのままさます。
冷たくなった手羽先を中華鍋かフライパンにラードを落として、狐色になるまでいためる。さて、好みによっては少しく砂糖、酒や醤油を入れて、今度は煮つめる。最後にペパーだの、粉山椒だのふりかけて、仕上げにゴマ油を少々ふりかけてみよう。
すてきな酒のサカナができ上がったではないか。おまけに大鍋のスープは、そのまま、塩や醤油で味をつけて、ラーメンやネギ卵のスープにもってこいである。
手羽先もまたウイスキーのサカナに仕立て上げることは、至極やさしい。まず、手羽先に塩コショウをして、ピッタリ蓋のできる鍋に入れる。ニンニクを一片二片、叩きつぶしてほうり込み、ネギやニンジンのシッポも入れる。さて、葡萄酒少々、バターを少々、水を手羽先の半分ぐらい入れて、もしあれば香料の月桂樹の葉一枚、パセリの茎二、三本、クローブ一本、エストラゴンの葉少々。ぴったり蓋をして、水のひいてしまう寸前まで煮つめれば、それででき上がりということになる。とろけるような、酒のサカナになること請け合いだ。
手羽先の料理に馴れたら、今度は鶏のモツとゆこう。
砂ギモや、肝臓や、小さい卵の混じり合った鶏のモツは、百グラム三十五円、これも五百グラム買ってきて、一週間の間、楽しむことにする。鶏のモツを買ってきたら、少しく手を入れて、砂ギモ(胃袋)のまわりにくっついているアブラくらい、取りのぞくことにしたいものだ。
さて、グラグラ煮たった熱湯の中に塩を一にぎり落とし、鶏のモツをほうり込む。五分が十分さっと煮るのは、臭気を少なくするためだ。
ひとゆがきした鶏のモツを、笊[ざる]にでもあけて、もう一度よく洗い、今度は、ニンニク、ショウガ、ネギなどを加えて、酒、醤油でしっとり煮込む。
五香とか、八角粒とか、ウイキョウとか、山椒とか入れたほうがモツの臭気消しによろしいにきまっているけれども、なに、仕上げにゴマ油をたらしただけでもけっこうだ。モツをすくい上げて、ゴマ油でいためのも、けっこうだ。
私といえば、煮上げたモツを卓上天火の中で、ザラメとお茶で、いぶし上げる。
この燻製の鶏モツや、腹卵を、薄く輪切りにして皿に盛り合わせると、黄身だけの腹の卵がまるで黄金のように輝いて、まったく申し分のない豪華な酒のサカナに変わるのである。