1/2「役者 - 小林秀雄」文春文庫 考えるヒント から

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1/2「役者 - 小林秀雄」文春文庫 考えるヒント から

文藝春秋祭で、毎年文士劇をやっている。今はもう面倒臭くなったから出ないが、以前は何度も出たことがある。だから役者の経験はあるなどと馬鹿な事を言うのではないが、役者とはこんなものという一種の感じだけは、はっきり掴めたようにおもっている。言ってみれば、見物を瞞着する快感である。この辺で笑うなと思っていると笑う。もうそろそろ泣き出すなと思っていると泣き出す。役者というものは、何と面白いものだろう、商売になったらやめられない筈だと思った。
たかが文士劇だ、無論やる当人もそう思っていた。ところが、やってみると文士劇も芝居であると合点した。芝居という或るどうにもならぬ世界があって、其処へ、文士劇であろうが、何劇であろうが、這入って行く、どうもそういうものらしい。川口松太郎とか今日出海とかいう連中は実にうまいが、それは根が器用な男だからではない。私の観察によれば、彼等にはたかが文士劇と見くびる心が少しもない。彼等の身についた芝居の教養がそれを極く自然に許さない。そういう事だと思った。
菊池寛の「父帰る」をやった事がある。私が兄の賢一郎をやり、井上友一郎が弟の新二郎をやった。彼には初対面であったが、稽古をやり、東京で二回やり、大阪でやり、京都でやりしているうちに、お互いに妙な情のうつるものだ。個人的感情を越えた芝居の感情が作用するらしい。芝居がすんで、しばらくして、新二郎にばったり出くわしたら、「今度、桃中軒雲右衛門という本を出すから、序文を書いてくれ、兄貴」と言われた。仕方がないから、中身はよく知らないが、弟が力作だというから面白いものだろう、どうぞよろしくと言った風な事を書いた。芝居がつづいているようなものである。 
彼は舞台で、私とのやりとりで、感情がたかぶって来ると眼に涙をためる事があった。それが直ぐにこちらに反射しておやおやと思うほど妙に調子が合う事がある。夢中でやってはいるのだが、頭の何処かが覚めていて、しめたうまく行っていると感じている。無論こんな事は、玄人からみれば、ほんの役者のいろはに違いないが、私にはやってみてはじめて感じられてひどく面白い事に思えた。舞台で役に成り切るなどという事は嘘で、何かが覚めているものだ。玄人が新二郎をやれば、眼に涙なぞ溜めなくても、もっとうまくやるに決っている。だが、私の言うのは、役者のいろはである。感情がたかぶらなければ、井上君は眼に涙を溜めやしないが、たかぶるのは日常現実の感情ではあるまい。芝居の秩序に従って整頓された感情であろう。泣いてはいるが、心を乱してはいまい。新二郎に成り切りながら、見物の眼をはっきりと感じとっている。そういう時に、私はなるほど役者とはこれだなという言いようのない快感を覚えた。見物を瞞着する快感と前に言ったのはそういう意味だ。恐らく、この初歩的経験はどんな名優にも通じているものだと推察する。
父帰る」をやっているうちに、だんだん巧くなった。大阪まで来ると、幕が下りても誰も手をたたかない。みんな泣いている。これはちと大袈裟だが、まあそう言った具合で、大阪がすむと気がゆるんだ。今までも、芝居は何も芸で持って来たわけではない、ただ一所懸命で持って来たのであるから、気がゆるんだ途端に大失敗をした。
京都には井上君の知り合いが多いらしく、「友チャーン」などと出ない前から騒々しい。私はちゃぶ台の前に坐り、お燗をしながら、弟の帰りを待っている。すると弟の奴、只今ァと玄関から草履をはいたままで上ってきた。 あわてて脱いだが、これは幸い見物には見えない。着物に着かえる時、袖も一緒に結んで了った。今日はちょっと様子がおかしいぞ、だが、これも大した事ではない。弟は、ちゃぶ台の前に坐り、二十年前に家を出た父親らしい人物を近所の人が見たという話をする。
言わばこのせりふで芝居が始まる、そういう大事なせりふで、やってみると、その切っかけと間とが容易でない事がわかった。二人で相談の上、兄から酒をついでもらい、一杯のんでから始めるという事にし、それでまことにうまくやって来た。ところが、今日は、盃などに目もくれず、坐るや否や、兄さんと来た。こりゃ、いけねえと私は思った。弟の意外な話を聞き終り、母親と兄弟と妹と四人がめいめい違った想いに沈み、しばらく舞台は沈黙する。ここで、弟は取って置きの名ぜりふを言わねばならぬ。菊池寛の芝居は大雑把のようでいて、実は細かいので、- 「おたあさん、今日浄願寺の森で、モズが啼いとりましたよ。もう秋じゃ」 - このせりふ一つで、急に見物は舞台に秋を感ずる。それを、弟の奴、フクロが啼いとりましたよ、とやって了った。
妙な事だが、と言って、考えてみれば少しも妙な事ではないのだが、見物にはモズでもフクロでもどっちだって構わないのである。事実、見物はフクロが啼いとりましたでは笑わなかった。せりふというものはそういうものらしい。「もう秋じゃ」というこなしがあればよい。菊池寛のような写実のせりふでも、写実主義は台本の上にあるだけなので、とぼけていれば何の事なくすんだのに、あッモズだと訂正したからどッと来た。
これが切っかけで、「父帰る」という芝居の幕は下り、「父帰る」をやる文士劇の幕が開いて了ったのである。見物は大喜びで、こんどは何を笑ってやろうかと身構えて了った。この辺りから賢一郎の深刻なせりふがつづくのだが、こうなれば見物にはもう深刻なせりふほど可笑しいものはない。芝居が進んで、父親が登場し、父親から賢一郎と呼ばれて「賢一郎は、二十年前、築港で死んどる」と恨みをこめて発言すると、何がおかしいのか、未だゲラゲラ笑われるのには驚いた。私はこの時ほど、芝居というものの不思議さを、身にしみて味った事はない。この状態は長くつづいた。
見物が再び「父帰る」という芝居のうちに、這入り込んで来るのには、ずい分長い時間がかかった。この間の状態とは何だろう。私達素人役者の失敗によって、たまたまかもし出されたこの特殊な状態とは何だろう。なるほど見物は芝居を見ることを止めたが、決して我れに還ったのではあるまい。芝居をやる文士というもう一つの新しい芝居を見る事にしたのである。これは言葉を代えれば、見物席の見物が主役となり、舞台の役者が端役となって、新たな芝居が演じられる事になった、そういう状態に他なるまい。場内全体を舞台とする、このような芝居を見る人は無論いない。だが精神の眼には見えている。という事は、この特別な状態は、普通に芝居が行われている時にも、いつも潜在的に存する状態だと考えられるという事だ。劇場内の見物も亦役者と共演する一種の役者である。芝居を見る楽しさはそこにある。私達は芝居を見に行くのではなく、心のなかで役者と共演しに行くのである。