(巻二十二)蛇行する老さき愉し猫柳(金子徹)

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6月30日日曜日

昨日捻った駄句を推敲いたしました。

篭軽き二人暮らしや梅雨深し

新聞で鉢植えの蜜柑の木にも蝶々がやって来るという記事を読んだが蜜柑の鉢植えを欲しがり始めた。
狭いながらもベランダはあるので置いて置けないことはないが、生きているうちに実を見ることはできまい。
旧宅には入居時に蜜柑の木を植えた。植えてから二十年たった引越の前年に実を結んだ(写真)。

桃栗三年までが視野の範囲だろう。

実は無くても蝶々は葉に卵を産み付け、幼虫は葉を食べるのだからまあいいか。

今日も外出せずでありました。



「親と子(1) - 加藤秀俊」中公文庫 暮しの思想 から

『 完全な保護者・教育者としての親と、完全な被保護者・生徒としての子、という安定した関係はグラつき、親子のあいだには、一種の緊張関係がうまれてゆく。』

まあ、そういうことですね。

もう親を批判して居り半ズボン(中島みつ子)

親として全否定され日向ぼこ(宮川礼子)




今日の朝日俳壇からは以下の句を書き留めました。

噴水に人生を見る齢かな(河本坦)

冷やし中華始めました」を注文す(前田一章)

返納の決意の揺らぎ梅雨に入る(森岡喜恵子)

人生の浮沈を噴水の高さに顧みているわけでしょう。あたしの場合は安定した職業で一生を終わりましたので噴水を見てもそういう見方はありません。

噴水の背丈を決める会議かな(鳥居真理子)

ですかね。

今年の初物は四月に天下一でいただきました。また食べたいな。

あたしゃ免許は持ってませんが、この句は刺さっている棘を思い出させてくれる句です。

*癌告知されて只管[ひたすら]鮎を釣る(上田秋霜)

ご常連の上田氏にお見舞い申し上げます。