「特別阿房列車(抜き書き其の一) - 内田百閒」旺文社文庫 阿房列車 から

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「特別阿房列車(抜き書き其の一) - 内田百けん旺文社文庫 阿房列車 から

阿房と云ふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。用事が無ければどこへも行ってはいけないと云ふわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ。
用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。私は五十になつた時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。さうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかも知れない。しかしどつちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗つてゐる人の顔附きは嫌ひである。
戦時中から戦後にかけて、何遍も地方からの招請を受けたが、当時はどの線にも一等車が聯結しなかつたから、皆ことわつた。遠慮のない相手には一等でなければ出掛けないと明言したが、行くつもりなのを、さう云う事情でことわつたのでなく、もともと行きたくないから一等車を口実にしたのだが、終戦後、世の中が元の様になほりかけて来ると、いろんな物が復活し、主な線には一等車をつなぎ出したから、この次に何か云つて来たら、どう云つてことわろうかと思ふ。
今度は用事はないし、一等車はあるし、だから一等車で出かけようと思ふ。お金の事を心配してゐる人があるかも知れないけれど、それは後で話す。しかし用事がないと云ふ、そのいい境涯は片道しか味はへない。なぜと云ふに、行く時は用事はないけれど、向うへ著いたら、著きて放しと云ふわけにはいかないので、必ず帰つて来なければならないから、帰りの片道は冗談の旅行ではない。さう云ふ用事のある旅行なら、一等なんか乗らなくてもいいから三等で帰つて来ようと思ふ。以前は三等の二倍が二等で、三倍が一等であつたから、仮に三等が十円だとすると二等は二十円、一等は三十円で、二等で往復すれば四十円かかる。一等で行つて三等で帰つて来ても同じく四十円である。今は
右の倍率が少し違ふので、この通りの計算では行かないが、大体似た様な関係が成り立つ。だからだから一等で行つて、三等で帰つて来ようときめた。
尤も最初からさう思つたわけではない。この旅行を思ひついた時の案は、お午過ぎ十二時三十分に東京を出る特別急行で立つて、晩の八時半に大阪に著き、著いて見たところで用事はないから、三十分後の九時に大阪を出る第十四列車銀河の一等寝台で帰つて来ようと考へた。さうすれば大阪駅の構内から外へ出る事もないから、無駄遣ひをする心配がない。しかし実際は、行つて見たら大阪駅は駅の中に殷賑[いんしん]な商店街があつて、無駄遣ひに事を欠かない様に出来てゐたが、勿論私は無駄遣ひなぞしなかった。
それで右の旅程に依るとして、どの位お金がかかるかを調べて貰つたところが、行きがけの一等料金は大体覚悟の前だが、帰りの夜行の寝台が非常に高くつく。特別室の寝台だと、それよりまだ高い。さうして夜は外が見えないから、つまらない。出かけるとしても、まだその旅費の分別はついてゐないのだが、お金が出来ない内から、まだ無いお金が惜しくなつた。一等寝台はよすとして、二等には乗りたくない。戦前の三等寝台はまだ復活してゐないから、三等の夜行だと、夜通し固い座席に突つ張らかつてゐなければならない。何の因果でそんなみじめな目に会はなければならなぬのか解らない事になつてしまふ。
それでは気をかへて、一晩宿屋へ泊まる事を考へて見なければならない。旅馴れないので、日本風の宿屋に泊まると、色色気を遣ふ。大分前の話だが、京都の宿屋で朝立つ時につけを見て払ひをした。それから別にいくらか包んで渡したら、一旦女中が持つて降りてから更[あらた]めてやつて来て、只今戴いたのは、帳場に下されたのか、女中に下されたのか、どつちで御座いますと開き直つて糾問した。何と答へたか覚えてゐないけれど、それで茶代と心附けとは別別にやらなければならないと云う事をはっきり知つたが、或いは知つてゐたけれど、懐の都合で何となく曖昧に済ませたつもりで却って追究されたのかも知れない。
もつと前のまだ若かつた時には、矢張り京都の三条の宿屋で、お金を払ふ時に、つけを見てそれに合はせてお金を列[なら]べるのが何となくきまり悪くて興奮したのだらうと思ふ。はずみがついて、茶代をやり過ぎてしまつた。後で有り金をはたいてみたが、帰りの汽車賃が二銭足りなくなつてゐる。若し二銭の工面がついたとしても、それでは車中飲まず食はずだが、それは構はない。しかし二銭でも一銭でも足りなければ切符は買へない。宿屋では駅までお俥を呼びませうなどと云ふのをことわって、寄る所があるとか何とか云ひながら、大きな鞄をさげて宿屋を出た。電車に乗るわけにも行かないので、暑い日盛りを三条から七条まで歩きながら、途途千千[ちぢ]に肝胆を砕いたけれど、分別はなかつた。仕方がないので途中迄の切符を買つて、そこで夜明けに下車し、朝になるのを待つて、駅の近くの古本屋で持つてゐた
樗牛全集の第七巻を売り払ひ、そのお金で更めて切符を買ひ足してやつと帰つて来た。二銭足りない為に旅程を中断したから、逓減率を無駄にして、大変な損をした。
今度もし大阪で泊まるとしても、日本風の宿屋は気骨が折れる。さう云ふ所で、ただの一晩にしろ何の気苦労もなく振舞ふ程のお金が調ふかどうか、それはまだ解らないが、だから持つてゐないお金をけちけちするにも及ばない様なものだが、こちらから進んで使つたお金でなく、絞られて止むを得ず出したお金は後後まで惜しく思はれて、いけない。だからさう云ふ宿屋に泊まる事は考へないことにして、洋風のホテルなら気安である。新大阪ホテルや以前にあつた堂ビルホテルには、どちらにも何度か泊まつた馴染みがあつて一番いいのだが、新大阪ホテルは今は使へないさし、堂ビルホテルは大分前からなくなつてゐると云ふ話なので、そこを心当てにするわけには行かない。
十月改正の時刻表を開けて巻末の宿屋の広告を調べて見た。ホテルと云ふ名前の宿屋はいくつもある。しかしどうも信用が出来ない。昔、私がいろんな事で工合が悪くなつて蒙塵[もうぢん]し、何年かの間息を殺してゐた下宿は、一人一室二食附で一ヶ月二十円の早稲田ホテルであつた。ホテルと云ふ名前だけで帝国ホテルや都ホテルを類推するわけには行かない。それで大阪に泊まるとしても、どうしていいかはまだ方針が立たなかつた。