1/4「泰西人の見たる葛飾北斎 - 永井荷風」岩波文庫 江戸芸術論 から(再掲)

 

 
 
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1/4「泰西人の見たる葛飾北斎 - 永井荷風岩波文庫 江戸芸術論 から(再掲)

 
 

日本の芸術家中泰西の鑑賞家によりてその研究批判の精細を極めたるもの、画狂人葛飾北斎に如[し]くものはあらざるべし。邦人今更この画工について言はんと欲するも既にその余地なきが如き観あり。泰西人の北斎に関する著述にして余の知れるものに仏国の文豪ゴンクウルの『北斎伝』。 ルヴォンの『北斎研究』あり。独逸人ペルヂンスキイの『北斎』。英吉利人ホルムスが『北斎』の著あり。仏蘭西にてつと[漢字]に日本美術の大著を出版したるルイ・ゴンスはけだし泰西における北斎称賛者中の第一人者なり。ゴンスは北斎を以て日本画家中の最大なるものとするのみに非[あら]ず、恐らく欧洲美術史上の最大名家の列に加ふべきものとなし、たと[漢字]へば和蘭レンブラント仏蘭西のコロオ西班牙のゴヤとまた仏国の諷刺画家ドオミエーとを一時に混同したるが如き大家なりとせり。
葛飾北斎はそもそも何が故に斯[か]くの如く尊崇せられたるや。邦人に取りては北斎そのものの研究よりもこの問題むしろ一層の興味ありといはずんばあるべからず。余はこれに答へてその理由の一を以て、北斎の捉へたる画題の範囲の浩瀚無辺[こうかんむへん]なることいまだ能く東洋諸般の美術を通覧せざりし西欧人を驚愕措[きようがくお]くに能はざらしめたるに依るものとなす。次は北斎の画風の堅実なる写生を基本となしたる点自[おのずか]ら泰西美術の傾向と相似たる所あるに依るものとなす。北斎の真価値は実にこの写生に存するなり。西人の永く北斎を崇拝して止まざるは全くこれがためにして我邦人の中[うち]動[やや]もすれば北斎を卑俗なりとなすものあるもまたこれがためなり。文化以降北斎の円熟せる写生の筆力は往々期せずして日本画古来の伝統法式より超越せんとする所あり。されば宗元以後の禅味を以て独[ひとり]邦画の真髄と断定せる一部の日本鑑賞家の北斎を好まざるはけだしやむをえざるなり。これに反して泰西の鑑賞家は北斎により始めて日本画家中最も己[おのれ]に近きものあるを発見し驚愕歓喜のあまり推賞して世界第一の名家となせしに外ならざるなり。次に北斎の描きたる題材の範囲の浩洋複雑なるは独り泰西人のみならず、厳格なる日本の鑑賞家といへどもまた聊[いささか]一驚せざるを得ざるべし。日本の画家にして北斎の如くその筆勢の赴く処、縦横無尽に花鳥、山水、人物、神泉、婦女、あらゆる画題を描き尽せしもの古来その例なし。北斎は初め勝川春章につきて浮世絵の描法を修むるの傍[かたわら]堤等琳の門に入りて狩野の古法を窺ひ、後[のち]自[みずか]ら歌麿の画風を迎へてよくこれを咀嚼し、更に一転して支那画の筆法を味ひまた西洋画の法式を研究せり。しかもそが天稟[てんぴん]の傾向たる写生の精神に至っては終始変ずる事なく、老年に及びてその観察はいよいよ鋭敏にその意気はいよいよ旺盛となり、凡そ眼に映ずる宇宙の万象一つとして写生せずんば止まざらんとする気概を示したり。これ北斎をして自ら一派一流の法式を墨守するの遑[いとま]なからしめたる所以ならずや。この点において北斎はまこと[難漢字]に泰西人の激賞するが如く不羈自由[ふきじゆう]なる独立の画家たりしといふべし。