3/3「これが海だ - 北杜夫」中公文庫 どくとるマンボウ航海記 から




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3/3「これが海だ - 北杜夫」中公文庫 どくとるマンボウ航海記 から

翌朝、動揺はいくらか収まったが、それでも船窓から見ると小山のような波がうねっている。起きだしたサード・オフィサーは舌打ちをし、そこらに散らばったものを片付けにかかった。少しは工夫して置くかと見ていると、棚の上に元どおりに無造作にのせる。あれではどうせ同じことだろうと思っていると、そいつは間もなく再度転落した。彼は舌打ちして元にかえす。そのうちに揺れの角度が異ってきたのか、もう落ちなくなってしまった。なるほど、と私は感心した。
低気圧が前方にあり船はそれを追って進んでいるため、この時化は当分つづくとのこと。気づいてみると、私はまだ酔っていなかった。ボーイにブドウ糖を注射してやったり(これはシケのさなかではちょっとした技術を要する)、他の船酔いの人たちに薬を与えたり、怪我の治療(これはただ赤チンを塗っただけ)をしてやっているうち、私は完全に自信を得た。何のタタリか私は船に強いのである。私はこうなったらヤでもテッポウでも飛んでこいという気になったが、するとそれは本当にとんできたのである。
船に乗ると大抵の者が胃腸の調子がおかしくなる。最も多いのは便秘で、サード・オフィサーはいみじくも、これは船が揺れるので腸がじゅ[難漢字]動を怠けるのだと説明した。シケがつづくとさすがに不眠がちになるもので、或る真夜中、私は腹がはるので半ばモーローと起きだし、医務室に行って下剤を捜しだした。それは平生処方したこともない薬だったが、私はネボケマナコで説明書を読み、大ざっぱに分量をはかって飲みおろした。神よ悪魔よ、私は十倍散と百倍散をとりちがえ、普通量の十倍をのんでしまったのである。後にこの話を聞いた船の者が言った。「本船の下剤はトクベツ強力なんです。前のドクターのときも、普通より少な目にしてもらうんですが、それでも大抵たいへんなことになっちまったものです」
その十倍量を使用した私がどんな情ない目にあったかはおして知るべしであろう。
しかしながら、私は五カ月半の航海中ただの一度も吐かなかったのだから、人はここで私が少しく大きな顔をして船酔いについて記述するのを我慢しなければいけない。
船酔いには薬もあるけれど、どれも決定的な効果は期待できない。英国での実験に、まず被験者にタラフク御馳走を食わせ、ついで各種の薬をのませ、それからボートに乗せて機械で大波を起してやると、やがてみんな凄じい形相になり、ついには水の中にとびこんでしまう。この船でのある経験者の話、「いや、本当に海にとびこんだ方がどれほどマシかと思いましたよ」
薬や梅干をなめるのも一法だが、なにより船室にひっこんでいるのはいけない。無理にでもデッキに出て潮風に吹かれる。その際、近くの海面を覗きこんではいけない。なるたけ遠方の水平線を眺めるべきである。意志の力も決してバカにできぬし、自己暗示も必要であるから、天地創造以来のいろんなカミ、アクマ、コビト、ホトケ、オニババ、アマノジャク、ナンジャモンジャ、ヒョウタンツギ(この不思議な動物については、手塚治虫の著書をよむより知る手段がない)などに祈りを捧げるがよい。唄ったりワメいたりしてもかまわない。練習船などでは生徒たちはみんな意地をはって頑張っているが、一人が吐きだすと安心してしまい、我も我もとゲロゲロやるそうだ。自分がアブなくなっているとき吐いている人を介抱するのは無茶である。いよいよダメになったらこれはもう寝ちまうより手段がないが、少しでもよくなったらふたたびデッキに出る。いかに激しい船酔いでも、ナギになれば、最悪の場合でも港に着けばケロリと快癒する。弱い人でも次第に強くなり、しまいには免疫になるものだ。それゆえ海にとびこむのはやめた方がいいが、それでもなおという意志の堅固な人はご自由にするがいい。
胃腸の弱い人は船に弱いという説、酒に強い人は船にも強いという説は、むろん例外もあるが一理はある。船酔いになる前にアルコールに酔ってしまえば大丈夫というのは本当のことだ。しかし大抵の人はすでに酒の匂いを嗅ぐのも厭になっているだろう。そこを無理をして飲む。ホロ酔いになるころには船酔いはどこかへ行ってしまうだろう。間違ってたとえ吐いても、少なくともどっちでやられたのかはわからないのである。