「日本語はやさしい言語である - ドナルド・キーン」朝日文庫 日本人の質問 から

 
 
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「日本語はやさしい言語である - ドナルド・キーン朝日文庫 日本人の質問 から

外国人とつきあうための国際語に話を戻そう。
日本に来た外国人が、まず初めにとまどうのは、聞きなれない日本語もさることながら、まったく見たこともない文字だろう。とくに漢字は難解きわまる印象をあたえる。街を歩いても、看板が読めないから地名もわからず、方向もわからない。よほど旅なれていないかぎり、一人ではどこにも行けない。漢字は日本人には想像もできないくらいむずかしいものである。
国際語をひらがなで統一することは、外国人にとって大きな意味をもつ。ひらがなは頭のいい人なら一日で読めるようになる。以前私がハンガリーに行ったとき、英語とは全然違う言葉のため、まったく言葉がわからなかった。しかし、文字はアルファベットであるから、地名はほとんど読めるし、書かれている言葉の意味はなんとなく伝わる。日本人が中国語を見て、発音はわからなくても、漢字から少しだけ意味がわかるのと似ている。私の場合、ハンガリー語は母国語と文字は同じだから、三年もあれば十分覚えられであろう。
このように、文字だけでもわかれば言葉は非常に覚えやすいものなのである。その上、敬語の問題が解決し、同義語が統一できれば、日本語はやさしい言葉になるに違いない。
日本語の長所は、スペルの問題がなく、話している言葉がそのまま文字に置き換えられることである。そして、日本語は話し言葉と読み書き言葉が一致する数少ない言語なのである。日本人が作文をするとき、必ず「話しかけるように書きなさい」と教えられる。しかし、外国語はこうはいかない。本に書いてある言葉と日常会話との間には、かなりの開きがあるのが普通だ。アメリカの本屋に行くと「英語がうまく書ける本」などというのがずらりと並んでいる。
英語も、本格的に勉強してみるとかなりむずかしいのである。
先日のことだが、ある新聞に以前連載していた私の文章を読んだという読者から、手紙をもらった。それは、英文の手紙だった。手紙の全体をみてみると、彼は私の書いたものに感銘を受けている、ということがわかった。ところが、彼の使った単語の一つは、私を本当に怒らせるものだった。実際、私が怒ったというのも、私の連載は“acceptable”だと言うのだ。“acceptable”と言えば「まあまあだ」ということである。感心できるものではないが、まあこれでもよいだろう、といったぐあいの意味である。決して、それが彼の言う意図ではないことぐらいは、私にも十分わかっている。それにしても、わざわざ手紙に書いてよこすには、無礼千万な言葉である。
日本語もむずかしいが、英語もむずかしい。二つを比べてもむずかしさが違うが、高い次元のこととなるっかと、どちらも相当の勉強が必要であることに変わりはない。
日本政府の要人が、外国へ行って、たまに英語のメッセージをやると、不適切な語用に失笑をかって問題になるが、そういった次元の高い英語は、笑いごとではなく、本当にむずかしいのである。
現在、英語は国際語になっている。世界中、ほとんどどこでも通用する、初めてで、唯一の言語である。しかし、それには条件がある。英語はうまい使い方をしなくてもかまわないのである。通じればいいのだ。東南アジアなどで使われている英語は、決してきれいな英語とは言えない。でも、通じる。それでよいのだ。国際語なら、通じればよいのである。