「黙っている猫 - 大佛次郎」徳間文庫 猫のいる日々 から

 
 
 
 
 
 
 
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「黙っている猫 - 大佛次郎」徳間文庫 猫のいる日々 から

猫は、ものごころのつく頃から僕の傍にいた。これから先もそうだろう。僕が死ぬ時も、この可憐な動物は僕の傍にいるにちがいない。- お医者さんが来る。家族や親類の者が集る。(最後には坊さんが来るわけだが)その時此奴[こやつ]は、どうも、いつも見なれない人間が出入りして家の中がうるさくて迷惑だと云うように、どこか静かな隅か、日当りのよいところに避け、毛をふかふかと、まるくなって一日寝ているだろう。寝るのに倦[あ]きたら、起きて思いの丈伸びをする。草原へ出て虫を追う。空腹を感じたら、降りて台所へ行って、長い尻尾を立て、家人の裾に体をすり寄せて飯の催促をする。それが済んだら顔を洗う。さて、それなら何をしたら一番気持がよく満足かを考えて其の通りにする。空気を薄ら寒く感じたら、薬の匂いを嫌いながら、活気があって暖い看護婦の膝へあがって、また睡ることだけを考える。
その時に手伝いに来ている者の誰かが、「この猫はあんなに可愛がって貰ったのに、すこしは氷をかく手伝いでもおしよ」と、この永年の主人の死に冷淡なエゴイストを非難するのだ。悪くすると、猫は蹴飛ばされる。- 僕同様に猫を愛することを知っている妻は、そんなことを云う筈がないし、する筈がない。また僕は、もう口が利けなくなっているわけだが、これを聞いて、つまらない無理なことを云う人間だとひそかに腹を立てていることだろう。それは僕には、目が見えなくなっていても、卓の蔭に白いバッタのよいに蹲[うずくま]ったり、散らばった本の中を埃をいとって神経的に歩いている此の気どり屋の動物の静かな姿や美しい動作を思い浮かべていることが、どんなに心に楽しくて、臨終の不幸な魂を安めることかわからないからだ。- 来世というものがあるかどうか、僕未[いま]だにこれを知らない。仮りにもそれがあるならば、そこにも此の地球のように猫がいてくれなくては困ると思うのである。いないとわかったら、僕の遺言のうち一番重要なくだりは、厳密に自分の著作を排斥して、好むところの本と猫とを、僕の棺に入れてくれるように要求するに違いない。
猫は僕の趣味ではない。いつの間にか生活になくてはならない優しい伴侶になっているのだ。猫は冷淡で薄情だとされる。そう云われるのは、猫の性質が正直過ぎるからなのだ。猫は決して自分の心に染まぬことをしない。そのために孤独になりながら強く自分を守っている。用がなければ媚びもせず、我儘に黙り込んでいる。それでいて、これだけ感覚的に美しくなる動物はいない。冷淡になればなるだけ美しいのである。贅沢で我儘で他人[ひと]につめたくすることは、どんな人間の女のヴァンパイアより遥かに上だろう。だから猫を可愛がるのには、そういう女に溺れているような心持になることで、それでいて決してこちらの心を乱さずにいられるのだから有難い。読書に疲れたら顔をあげて、この「客間の虎」の、もの静かで、おごりに満ちた優しい姿態を眺めればいいのである。こちらからも執[しつ]こくしないで、そっと放任して置いてやれば、猫はいよいよ猫らしく美しくなって、無言の愛着を飼主に寄せて来るのである。多少なり、こうした沈黙の美しさが感じられるひとならば、猫を愛さねわけはないと思うのである。
〈昭和五年十月・キング〉