「コーヒーと袴 - 永江朗」こぽこぽ、珈琲 河出文庫 から

 

「コーヒーと袴 - 永江朗」こぽこぽ、珈琲 河出文庫 から

 

コーヒーブレイクが必要だ
コーヒーをいれていると、気分が落ち着く。豆を挽き、お湯を沸かし、コーヒーカップを用意し、ゆっくりとお湯を注ぐ。この一連の動作が、ささくれ立った気分を鎮めてくれる。
私はフリーランス(国立国語研究所の「言い換え提案」によると「自由契約」というのだそうだ)になったとき、やりたくない仕事は断る、やりたい仕事だけやる、と決めたのだけれでも、やっぱり浮世の義理というのはあって、内心はいやいやながら、でも口では「喜んで!」といって引き受けてしまうこともある。そういう仕事ははかどらず、苛立ちもつのるのだけれども、そういうときはコーヒーをいれて飲むと気分が変わる。
建築現場の職人を見ていると、どんなに忙しくても、午前一〇時の休憩、一二時の食事、そしてふたたび午後三時の休憩と、きちんと休んでいるのがわかる。たぶん、休憩することで緊張をほぐし、気分を入れ替えるのだろう。働きっぱなしでは、かえって効率が落ちるし、注意力も低下して、事故やケガが増えてしまう。ライターだって、休憩は大事だ。ティータイム、お茶の時間、コーヒーブレイク、呼び方はいろいろだけど、これもまた先人の知恵ということか。

 

「本格的」なコーヒー?
ちゃんと豆を挽いてコーヒーをいれるようになったのは数年前のことだ。それまではインスタントコーヒーばかりだった。
そのもっと昔は豆を挽いてコーヒーをいれていた。どれくらい昔かというと、高校生のころだから、かれこれ三〇年も前のことだ。
高校生というのは、大人になりかけで、「本格的」という言葉に弱い(そのくせ「正統派」なんていうのは大嫌い)。喫茶店で本格的なコーヒーの味を知り、同時に、「今まで飲んでいたインスタントコーヒーは、断じてコーヒーではない!」などと考えるようになる。それで、図書館でコーヒーのことを調べて、ドリッパー(ロト)、ミル(豆挽き)、サーバーなどを買いそろえ、ゴリゴリと豆を挽いてコーヒーをいれるようになった。
大学生になって東京で一人暮らしをはじめたときも、暖房器具よりコーヒーをいれる道具を先に買いそろえた。

 

サイホンとドリップ、どっちが美味い?
コーヒーのいれ方にもいろいろある。大きく分けると、ドリップ、サイホン、パーコレーターの三つ。
大学二年生の春、西荻窪の喫茶店でアルバイトをはじめた。この喫茶店は、客の注文を受けてから豆を挽き、サイホンで一杯ずついれるという流儀だった。ふつう、喫茶店のアルバイトというとフロアのウェイターから始めるのだろうが、この店は逆で、アルバイトがカウンターの中に入って客の前でコーヒーをいれ、オーナーがウェイターをやっていた。
サイホンを使ってコーヒーを入れる動作は、まるで儀式のようだ。まず豆を量り、電動ミルで挽く。フラスコにお湯を注ぎ、アルコールランプに火をつける。ロト(サイホンの上の部分)に豆を挽いた粉を入れる。フラスコのお湯が沸騰したら、ロトをセットする。フラスコのお湯がロトに上っていく。お湯が上がりきったら、ヘラでロトの中をかき回す。タイマーできっちり時間をはかり、アルコールランプの火を消す。フラスコが冷えるとロトのコーヒーがフラスコに落ちる。ロトを外し、フラスコから客のカップに注いで、「お待たせしました。マンデリンでございます」と一言。
客が途切れた時間に、気になっていたことをマスターに質問した。サイホン式とドリップ式では、どちらが美味いのか。
マスターの答えは意外だった。ドリップでいれたほうが美味いというのだ。コーヒー豆を焙煎するとき、油分や煤[すす]、豆のクズなどが付着する。サイホンだと、それらがみんなコーヒーのなかに入ってしまう。しかしドリップはドリッパーにお湯が残っているうちにサーバーから外すので、余計なものは入らない。しかもドリップでは、最初に豆を蒸らして旨味を出す。
ではなぜこの店ではサイホンを使うのかというと、誰がいれても同じ味になるからだとオーナーは言った。逆に言うと、ドリップはいれる人によって違う味になってしまう。そして、サイホンのほうがかっこいいから。たしかにアルコールランプの炎といい、フラスコからロトに上っていくお湯といい、たいへんロマンチックだ。もっとも、女性客は少なかったけど。
茶店のバイトは、ゼミが忙しくなって、わずか数か月でやめてしまった。しかし、コーヒーをいれて飲む習慣はずっと続いていた。

 

インスタントも美味い
それが途絶えたのは、一〇年ぐらい前だった。きっかけはインスタントコーヒー。お歳暮にインスタントコーヒーの詰め合わせをいただいた。コーヒー豆を切らしたときに飲んでみたら、これがびっくりするほど美味かった。もともと美味かったのか、それとも高校生の頃に「こんなのはコーヒーではない」と思ったときから格段の進歩を遂げたのか、たぶん後者だと思う。
忙しいのにわざわざドリップでいれるよりも、インスタントコーヒーでじゅうぶんじゃないか。カップに入れてお湯を注ぐだけでこんなにうまいコーヒーが飲めるなんて、本当にすごい。
しかし、ふたたびドリップに戻った。きっかけは、ある日の散歩だった。
散歩の途中でコーヒー豆屋を見つけた。しかも、麻袋に入っているのは炒[い]ってない生の豆だ。注文を受けてからいちいち炒って売る店である。
初めて買ったとき、「挽き方はどうしますか」と聞かれた。「ミルは持っているけど、挽くのが面倒たから、ペーパードリップ用に挽いてください」と答えた。すると店主の表情がにわかに曇り、「せっかく持ってるんだったら、ミルで挽いていれてみてくださいよ。絶対に味が違うから」と言った。ちょっと迷ったけど(そして、「おせっかいだなあ」とも思ったけど)、炒るだけで豆のままもらうことにした。といってもこの店では、注文してすぐには受け取れない。手回しの小さな焙煎器を使っているので、冷ます時間も含めて三〇分以上はかかる。散歩の帰りにまた寄ることにした。

 

至福の儀式
炒りたての豆を挽いたときの感動が忘れられない。まず、袋の封を切ったときの香りが違う。ミルを回しているとその香りが部屋中に漂う。そしてドリッパーにいれてお湯を注いだときの驚愕。お湯を数滴垂らすと、豆が膨張するが、その膨れ方がこれまで見たことない激しさだった。豆が新鮮だとよく膨れるのだ。味のほうも、香りが豊かでいやな刺激はまったくない。たちまちとりこになってしまった。
カップを選び、お湯を沸かし、豆を挽く。やかんのお湯をホーローのポットに移し、サーバーにドリッパーを載せる。ドリッパーにお湯を少し注いで、ドリッパーとサーバーを暖める。ペーパーフィルターの端を折って、ドリッパーに敷く。そこに挽いた豆を入れる。ドリッパーにお湯を数滴垂らし、蒸らしている間にサーバーのお湯をカップに移す。ドリッパーにお湯を少しずつ注ぎ、豆が膨らみきったら止め、豆が縮んだらまた注ぐ。この繰り返し。
一連の動作を無心で続けているうちに、さっきまでの苛立ちが消えていく。たぶん、型にはまったことの反復は、心を落ち着かせる効果があるのではないか。たとえばバロック音楽のように。
コーヒーを飲むころはもうリラックスしている。横にチョコレートの一かけでもあれば最高だ。

(「コーヒー」はここまで)