Waterfront News

国交省―国有ラオスに航空営業許可    10月23日

 

Lao Airlines gets operation license from MLIT

Ministry of Land, Infrastructure and Transport (MLIT) announced that it had granted operation license to Lao Airlines in Laos. The airline starts services from March 18, 2020 between Kumamoto in Japan and two airports in Laos, Vientiane and Luang Prabang.

 

http://www.mlit.go.jp/report/press/kouku05_hh_000146.html

 

 

動物検疫―イタリアとの間で牛肉及び牛の内臓の家畜衛生条件合意 10月23日

 

Animal Health Requirements for beef and beef offal to be exported to Japan from Italy

 

The agreement has agreed between the two countries. The details are as under.

http://www.maff.go.jp/aqs/hou/require/attach/pdf/sub2-40.pdf

 

動物検疫―家きん輸入禁止解除10月23日

 

Poultry import ban lifted (Bulgaria)

 

Ban against Bulgaria was lifted as under.

http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/douei/191018_8.html

 

*out of touch =

Victoria’s Secret looks out of touch by comparison. In November Ed Razek, a company executive, dismissed suggestions that its show should have transgender and plus-size models, insisting it was meant to be “fantasy” (he had to apologise). The show does the brand a disservice, reckons Randy Konik, an analyst at Jefferies, an investment bank, and one of Victoria’s Secret’s knockers

Victoria’s Secret is struggling to keep abreast of changes in the lingerie market The Economist December 8th 2018 女性用おしゃれ下着業界

から

「月並礼讚 - 飯田龍太」中公文庫 思い浮ぶこと から

f:id:nprtheeconomistworld:20191023063740j:plain


「月並礼讚 - 飯田龍太」中公文庫 思い浮ぶこと から

さきごろ、毎日新聞紙上に、評論家の斎藤正二氏が、昨今の俳壇は(その低調ぶりは)まさに昭和天保と称すべきである - といった、たいへんユニークな意見を述べた。大方のところ、蒼?・梅室の徒の流行にひとしいというのである。
残念ながら私は、俳人のひとりとして自ら省みるとき、大筋のところ、この見解に同感。
もとっも氏は、二、三年前、矢張り同紙上に、短歌は戦乱の世に栄え、俳句は太平の世に適うもの、という、これまたたいへん面白い見解を披瀝したばかりであるから、その変異にいささか驚く向きもあろうかと思うが、元禄や天保とちがって、昨今のようにあわただしい世相の転換のさ中にあっては、二年三年という月日は容易ならぬ歳月。それを思えば、氏の発言を根もない変節と考えるわけにはいかない。氏の指摘する通り、いまの世の中は、充実と堕落がまさに膚接して推移している。流行と頽廃が同居しているといってもいい。
ただここで一考を要することは、元禄から明治に至る、かれこれ二百年の間に生まれた俳家のうち、目ぼしいところは芭蕉と蕪村と一茶ぐらいのもの、という大方の評価で十分かどうかという点である。
この点、正岡子規はたいへん気前よく歴史を斬って捨てた。そのために俳諧は俳句として新生し、今日の隆盛をもたらした。
むろんその功績は大きい。同時に現代俳人の大方は、古俳諧といえば芭蕉と蕪村、それに一茶を味つけする程度の知識があれば十分といった考えを抱かせる結果となった。したがって、その間に存在した無数の俳家については、それはもう現代俳人とは何の関わりもない存在で、その方面の研究は、専ら国文学者の(あるいは郷土研究家の)領域と考えている。
俳人ばかりではない。学者も史家も、この断絶について、一向頓着しないように見える。史実の収集に専心して、その俳家が、今日どれだけの存在価値を顕現すべきものであるかという点についてはあまり関心しないように見受けられる。したがって、俳文学と称する分野は、現代俳人にとって、全く異質の世界と見られ、学者自身もまたそのことに格別の痛痒を感じていないように見うけられる。
他人事ではない。私自身、古俳諧について、いまもってはなはだ不勉強であり、決して大きい口がきけたものではないのであるが、ただ、近代の秀れた俳人のなかには、月並出自のひとが意外に多いということだけは注目したい。
例えば村上鬼城とか久保田万太郎、あるいは川端茅舎といった人たちである。
もっともこのうち、万太郎を月並出自とするのはやや牽強附会のきらいがないこともないが、十二世雪中庵増田龍雨との交渉をみても、その俳風に一貫して流れる余技の詩情からしても、あきらかに子規以前の俳風を継ぐものである。
川端茅舎には、その父寿山堂の影響が終生つきまとった。彼の芸境を考えるとき、この点を除外してはなるまいと思う。虚子はその句集に「花鳥諷詠真骨頂漢」の語を冠したが、その諷詠に含む馥郁靉靉とした余裕と、高雅なおかしみは、単なる写生の徒でないことを証していると同時に、これまた万太郎と同じように、古俳諧に連綿する遊びの精神を体したものといえる。
村上鬼城の場合は、高崎における虚子との出会いによってはじめてその存在をあきらかにしたといわれる二、三の作はもとより、後年人口に膾炙した作品、例えば、

美しきほど哀れなりはなれ鴛鴦[おし]

など「これ予が句を作る初めなり」と自ら記している通り、その当初からあきらかに月並俳諧の影響が見られ、

冬蜂の死にどころなく歩きけり

生きかはり死にかはりして打つ田かな

等、すべてその一線上にある。

鬼城の場合は、万太郎や茅舎とちがって、多分に境涯的であり、より一茶に親近するものであることはすでに評家の指摘するところであるが、後年俳人として名を得、したがって生活も安堵すると共に、その芸境に生彩を失っていった最大の原因もまた、自己の大事な出自を忘れ去ったためと考えたい。この点、前二者は、生涯その俳風を貫いた。あそびの精神に徹した万太郎や茅舎の作品が、今日なお命脈を持し得ている所以もここにあろう。
大体、月並俳諧をたのしむ人のなかには、現代俳人とちがって、心底それが好きであったひとが多かったように思われる。格別芸などと考え、術と意識することなく、ただただ表現の妙をたのしむことに専心したのではないか。そこに徹し、更には独自の個性と創造に恵まれたとき、おのずから独特の風韻が生まれた。明治以前、俳諧史の上では空白とされる永い年月のなかに、そうした人が何人かあったのではないか。
昭和天保という指摘に同感する反面、私はまた、はたして天保はつまらね俳人ばかりであったろうかという疑問を捨てるわけにはいかない。
事実、田舎には、存外面白い俳人がいたようである。文学などという言葉からはおおよそ縁遠い俳諧師のなかに、作品としてはなかなか面白いものを遺した人たちがあったように思われる。いわば縄文土器が新鮮に見え、無名の職人の手になった古備前が現代著名の陶芸家の作品よりはるかに高い風韻と迫力を感じさせるように。
もっとも一口に古俳諧といってもいろいろあろう。あるいはまた、俳諧史の上でも、その転変はさまざまである。ことに享保の時代は特別ややこしいようである。芭蕉歿後僅か二十余年、素堂や来山、北枝等が相次いで歿するなかで、支考などを軸とする正風の争いはその頂点に達した。二十余年といえば丁度戦後の年月に符号する。この間、享保と同じように、多くの大家が歿した。俳壇は一面隆盛、反面争乱と頽廃の翳をまとっている。外面的には、昭和天保というよりはむしろ昭和享保の様相が濃いのではないか。
歴史は繰り返すという。いやな言葉である。

再William Shakespeare, March 27th 2010 P81 (書評ーシェークスピア)

f:id:nprtheeconomistworld:20191023063059j:plain


再William Shakespeare, March 27th 2010 P81 (書評ーシェークスピア)

 

James Shapiro follows his award-winning book on William Shakespeare, ゛1599゛, which came out in 2005, with an unlikely subject:an investigation into the old chestnut that Shakespeare wasn't the man who wrote the works. Most mainstream Shakespeareans stand aloof from it. But apparently the claims of Francis Bacon, Edward de Vere and Christopher Marlowe, among others, are on the rise. An appetite for conspiracy theories, combined with a call for ゛balance゛from some sectors of academe and the rise of the internet have given the thing new life. Respectable audiences turn up to listen to lectures on it. The controversy is even taught at university level. ゛What difference does it make who wrote the play?゛someone asked the author wearily. Mr Shapiro (for whom Shakespeare was the definitely the man) thinks it matter a lot, and by the end of this book, his readers will think so too. The authorship controversy turns on two things:snobbery and the assumption that, in a literal way, you are what you write. How could an untutored, untravelled glover's son from hickville, the argument goes, understand kings and countries, affairs of state, philosophy, law, music - let alone the noble art of falconry? Worse still, how could the business-minded, property-owning, moneylending materialist that emerges from the documentary scraps, be the same man as the poet of the plays? Many have shaken their heads at the sheer vulgarity of it all, among them Mark Twain, Helen Keller, Henry James, his brother William, and Sigmund Freud. Mr Shapiro teased out the cultural prejudices, the historical blind spots, and above all the anachronism inherent in these questions. No one before the late 18th century had ever asked them, or thought to read the plays or sonnets for biographical insights. No one had even bothered to work out a chronology for them. The idea that works of literature hold personal clues, or that - more grandly - writing is an expression and exploration of the self, is a relatively recent phenomenon. The central chapters of Mr Shapiro's book concentrate on the 19th and early 20th centuries, when the search for alternative claimants took off. The two main characters in his story are Delia Bacon, who in 1857 put forward a Renaissance philosopher Francis Bacon (no relation);and J.T.Looney, who in 1920 proposed an Elizabethan courtier, Edward de Vere, 17th Earl of Oxford. Mr Shapiro takes them both seriously, patiently following their lives and contextualising their ideas. It is no accident that by the time Delia Bacon entered the field, Shakespeare had become almost a god in public imagination. Both she and Looney developed their theories in a sprit of religious doubt, and in the throes of their own personal crises. ゛Contested Will゛is dense with lives and stories and arguement. It is also entertaining. The quest for the true claimant drove people mad. Here are secrets and codes, an elaborate cipher-breaking machine, an obsession with graves and crazy adventures to find lost manuscripts. One man spent months dredging the River Severn. Mr Shapiro himself turns sleuth, exposing as fraudulent a piece of evidence long thought to be genuine - one more hoax in the long history of Shakespearean wild goose chases. The last chapter is a return to sanity: a brilliant defence of the man from Stratford. Piece by piece, Mr Shapiro builds the case - the contemporary witnesses, the tracks left by printing houses and theatrical practice, the thousand details that show, apart from anything else, how unnecessary the whole farrago has been. The Shakespeare that emerges is both simple and mysterious:a man of the theatre, who read, observed, listened and remembered. Beyond that is imagination. In essence, that's what the book is about.

 

 

(巻二十三)一駅が今日の旅なり鳥雲に(荻野美佐子)

f:id:nprtheeconomistworld:20191023062747j:plain


10月22日火曜日

目覚めいて布団の中の小半時(安藤久美子)

布団の中でぬくぬくしているのが何とも心地好い気候になりました。

成人女性はまだ雨の激しいなかを歯医者に出掛けた。歯医者さんのカレンダーには祭日マークが無かったようで予約を受け付けてしまったらしい。取り消すのも面倒なので“皆さんおいでなさい”となったらしい。
風雨が激しいなか出掛けて行ったので無事に戻ってくだされと半ば祈っているところに“歯医者が終わった”とメールが入った。
そして、コンビニのサンドウィッチを抱えてご帰還なされた。

今月末までに郵送しなければいけない「 公的年金等の受給者の扶養親族等申告書」では扶養していることになっていますが、 高齢になるにつれて精神的にはかなり成人女性に依存しておりますな!先立たれると、一般的な話では三年以内が相場だそうです。
妻に先立たれた夫の句をよく拝見しますが、切々としていますね!ああはなりたくないなあ。先に逝くしかない!

童めく夫と草引き捗[はかど]らず(中山倫子)

風呂の湯温の設定が上がり(成人女性が決めます。)、髭剃りを新しくした(おじいさんで決めました。)。毎日風呂に入れるという贅沢に感謝です。

花丸

幸せ!

成人女性が鶏肉のクリーム煮を作って、味見に来なさいと声が掛かった。
横に並んで、小皿のクリームを試食いたした。美味い!

前回これを作ったときに塩加減を間違えようで、辛かった。食材二人分のところに塩は三人分入れたとのことだ。何事も二人分になり、あたしは秘かに大変喜んでいるのでありますよ。

本

「死に支度無用の弁 - 山田風太郎」角川文庫 死言状 から

を読みました。以下が結びになっておりました。

《 『臨終図巻』には、死の記録がないので女性をあまりとりあげられなかったのだが、それでもなぜか、男性の豪傑や高僧などより、女性のほうが静謐[せいひつ]で豪毅な死を迎える例が多いような気がしていた。死のことなどまともに考えたことのない女性 - たとえば盲目的にナムアミダブツと唱えるだけであった古来の田舎のお婆さんなどのほうが、はるかにおだやかな寂光の涅槃にはいったのではなかろうか。
つきつめてゆくと、落葉のかげや土の中で息をひきとってゆく虫やミミズなどのほうが、人間よりはるかに宗教的な死をとげるのではあるまいか。
とにかく右の次第で、私の場合、いまのところ死への心の準備も、子供への配慮も無用と考えている。なんと私は、生命保険にさえはいっていないのである。
それならそれで、まありっぱそうだが - りっぱでもないが - 人間というものは、覚悟していても、現実にその事態に立ち至ると、まったく覚悟の外の心理状態におちいることが少なくない。
いまのところ私は、あと数分でということが自覚できたなら、そしてもし少しでも積極的な気力の一片でも残っていれば、
「よし、いくぞーっ」
と売り出しの歌手もどきの言葉を胸に雄[お]たけぶか、または非常に弱気になるなら、はじめて予防注射を受ける子供のごとく、
「ナンデモナイ、ナンデモナイ」
と、心にいいきかせるか - どっちかにしたいと望んでいるだが、どうもいざそのときが来たら、以上の長広舌はもとより、何もかも忘れはてて、ただうつろな眼で暗澹[あんたん]たる無明[むみよう]の世界へ沈んでゆくような気がする。》

どのように2001年に他界されたのかは存じませんが、本書の他にも「死」を主題にした時間を掛けたであろう著作があります。
既にご紹介した作品ですが、あたしとしては「死に関して、頭の中に入れて置くべきこと」がはっきり書いてある作品だと思いますので再度ご紹介いたします。

「人間臨終愚感 - 山田風太郎徳間書店刊 半身棺桶 から

本誌に連載した「人間臨終図鑑」で、私は古今東西の有名人の死の様相を紹介したが、その本についてあちこちからインタビューや質問を受けた。その中で、必ずといっていいほど、どういう意図でこんな本を書いたのか、死についてどう考えているのか、という問いがあった。
実は私は、死の哲学的意味を考えるためにこういう本を書いたのではない。それは九十五歳で死んだ里見が晩年に、「一期(ご)の大事という、死に対する恐怖の処理....むろん『処理』なんぞと、鼻元(はなもと)思案で片づきっこないが、私は至極簡単に、死後のことは、いくら考えたって、ほんとのことはわかりっこない、と諦めている」といっているけれど、同様に、死の意味の考察や死への心構えなど、とうてい私の力の及ぶところではないからだ。
私が持ったのは、伝記的あるいは医学的な興味である。その人々の事跡は知っているけれど、「はて、その人は何歳ごろ、どういう死に方をしたのか知らん?」と首をひねってみると、意外に知らない人物が多かったからである。
これはだれでもそうではないかと、と考えた。「図鑑」には九百二十余人の人々が収録されているが、ふつう人で、その二割でもその死に方を知っていればいいほうではないか。
ともあれ、有名人の死を総まくりしてお目にかけることにした。だれもその生涯を知らない人物を対象にしても興味の起こりようがないからである。だいいち無名の人には死の記録も残っていない。
ただし、有名人といっても、死や病気が無名人と変わるわけではない。そこで、その生涯のわかっている有名人だけ選んでも、テレビリサーチによる視聴率のように何か面白い事実が出て来るのではないか、と考えた。- たとえばこういう行動、こういう性格の人物は、こういう病気にかかり、こういう死に方をすることが多い - というような。
実際そんな事実が出て来るかも知れないが、残念ながらいまそういう統計をとったり、考察したりしているひまがない。そこでとりあえず、この本を書いていて感じたことを、散乱したかたちのまま書いてみることにする。



ところで「有名人」といっても、そんな名札をぶら下げた人があるわけではない。こちらで選らばなければならない。
それで私は、なるべく多くの人が、「ああその名なら知っている」といいそうな人物を対象にすることにした。
その結果が古今東西九百二十余りなのである。英雄偉人ばがりでなく、犯罪者などもふくめてその人数なのである。中には、「これが果してだれもが知っている有名人になるのかな」と、われながら首をかしげたものの、たまたまその人間の死について精細な記録があったために採用した例もあるが、まあ「有名人」の大半ははいっていると思う。結果的にいえば、古今東西に「有名人」は意外に少ないものだな、というのが実感だ。
現在ただいま生きている人々なら、有名人は無限に近い。ただ、それが死ぬと、ほとんどが有名人ではなくなるのである。そこで私は一つの警句(エピグラム)を思いついた。「人は死んで三日たてば、三百年前に死んだのと同然になる」いまテレビや週刊誌に名や顔の出ない日はないほどのスターやタレントでも、彼らあるいは彼女らが死ぬときは、大半忘れられているにちがいないのは、過去の例から見てもあきらかである。
人間たちはこの地上に生まれて来て、泣き、笑い、愛し、憎み、歓喜し、修羅の争いをくりひろげる。が、ほとんどそのすべてが忘れられてゆく。忘れられるのは、それら愛憎の世界が、他人から見れば無意味だからである。
そこで、ラ・ロシュフコーの可笑しくて恐ろしい(マキシム)を思う出さないわけにはゆかない。「たいていの人間は、死なないわけにはゆかないので死ぬだけのことである」 - ああ、何たる無意味なる集積、「人間生存図巻」!
さて、それはともかく私は、読者に「ああ、この人は私と同年齢で死んだのか」という興味をいだいてもらうために、年齢別にならべた。その死に方によって分類しなかった。だから必ずしも異常な死に方をとげた人物を、特に採用したつもりはなかった。
ところが、結果からみると、異常な死に方ををした人物が多く採用されている。そこで私は気がついた。異常な死に方をとげたことによって人々の記憶に残る、ということも少なくないのだ。人間、後世に名を残すには、非業の最期をとげるのも一法であると。
特に、たいした事歴のあるはずのない若い人物にその例が多い。彼らはその異常な死に方によってだけ、名を残している者が少なくない。
しかしまた、名が残ったところで何だろう。やはり夭折(ようせつ)者ほど恨みをのんで死んでいった者が多い。若くして死んで極楽往生した人間はまずいない。



いつごろからか、洪水のように外国旅行するようになった。それでおびただしい外国旅行に関する文章が発表される。
ふしぎにその中で、言葉に苦労した話を書いたものが少ない。言葉などというのは慣習で、ロンドンでは犬でも英語を解するが、日常英語を使わない日本人が、そんなに自由自在にあちらの人と会話出来るはずがないのに、それらの文章を見ると、日本語以上に、美術を語り、美食を語り、美女と語っているのに驚く。
同様に、人の死の偉大さ、悲惨さを語る文章はあっても、入院費や葬式代の苦労を語ったものはまれである。人が死ぬにあたって、死ぬ当人、残された遺族を苦しませる幾つかの要素のうち、金の心配は相当部分を占めると思われるのだが。-
ただ、珍しく正宗白鳥の場合は、その片鱗が見られる。
昭和三十七年、白鳥は膵臓ガンで入院し、2カ月後「一文もないのだから、もう家に帰りたい」といった。老妻が全財産の十七万円の札束を一枚一枚数えて見せると、白鳥は首をふるしぐさで、ゲンコで妻の顔をポンポンとぶったという。
これを読んで笑う人はまずなかろう。
それからもう一つ、安藤広重も死ぬときに、「何を申すも金次第。その金というものがないゆえ、われらの存じ寄りなんにもいわず、どうとも勝手次第身の納り、よろしく勘考いたさるべく候」
という遺書を家族に残している。
その哀切さにおいて、私はこの遺書を最も身につまされるものとしている。



金の心配と同様、死にゆく人間を意外に悩ませるのが糞の心配である。
多くの人は、排泄物の世話をかけることに、最後まで抵抗しようとする。それは世話をしてくれる人への申しわけなさと、それ以上に、自分の最後のプライドにかかわることだからだ。
徳川夢声は、腎盂炎で膿尿をもらし、オムツをあてがわれ、嫁にペニスを拭いてもらいながら、「恐れ入りますなあ」と、情けなさそうにいった。
モラエスは、世話する女が大小便の始末に一回いくらと請求したために、最後は糞尿にまみれて自殺した。
佐藤紅緑は、死床に尿瓶をさしこまれると、「無礼者!」と叫び、コーモリのようによろめきながら便所にゆこうとした。
山本周五郎も死の前日、妻の手をふりはらって便所にゆき、中で昏倒した。
伊藤整も、病院で、死の二日前まで眼をむいて宙をにらみながら、ひとりでトイレにいった。萩原朔太郎も、シーツに排泄物の布をしいて、そこへするように母や娘がいくらいっても、最後のお願いだと哀願して、枯木のような身体を便所へ抱えられていった。
武林無想庵も、二人の老女に両足を持って便所にまたがらしてもらい「こんな思いをしてまで便所へかよわなければならないとは、なんたる因果なことであろう」と、悲痛な嘆きをあげた。
明治天皇もまた、最後まで床上排便をきらい、侍従に、「臣従の道を忘れるがごとく」叱責されるほど抵抗した。
現代、人は多く禁煙したり節塩したり、ジョギングしたりエアロビクスしたりして、けんめいに長生きに努めているらしいが、あまり長生きすればこういう日を迎えなければならない。
長寿時代にはいったというけれど、それはただ生きているというだけで、「図巻」で私の見たところ、人間、八十を過ぎれば、昔と今とを問わず、だいたいがこういう、いわゆる「寝たきり老人」になることが多いようだ。「眠るがごとき大往生は当人の極楽である。同時に他人の地獄である」という警句(エピグラム)を私は作ったが、当人にもけっこう地獄である。
それにしても、この世話をしてくれる人を持った人間はまだ倖せなるかな。孤独であればどうするのか。このことに思いをはせれば、いかなる孤独に徹した鉄人も戦慄しないわけにはゆかないだろう。

*まだ続きますが、私としてはここら辺りでよろしいかと思いました。

「道頓堀罷り通る(其の四) - 坂口安吾」河出文庫 安吾新日本地理 から

f:id:nprtheeconomistworld:20191019075741j:plain


「道頓堀罷り通る(其の四) - 坂口安吾河出文庫 安吾新日本地理 から

阿倍野。これもターミナルである。国際マーケットから飛田遊廓、山王町を通り抜けてジャンジャン横丁まで、まさに驚くべき一劃である。飛田遊廓なるものの広さが、銀座四丁目から八丁目まで東西の裏通りもいれてスッポリはいりそうな大々的な区域であるが、これがスッポリ刑務所の塀、高さ二十尺余のコンクリートの塀にかこまれているのである。世道人心に害があるというので大阪の警察が目隠ししたのだろうと考えたら(そう思うのは当然さ。駅前や盛り場にバリケードをきずいて人間どもを完璧に整理しようというのだから)ところが、そうではなくて、往年の楼主が娼妓の逃亡をふせぐために作ったものだそうだ。そこへ関東大震災があって吉原の娼妓が逃げそこなって集団的に少子したので、大阪に大火があったら女郎がみんな死ぬやないか、人道問題やで、ほんまに。大阪市会の大問題となって、コンクリートの壁に門をあけろ、ということになった。その時までは門が一ヵ所しかなかったそうだね。刑務所にも裏門があるそうだが、ここにはそれもなかったのだそうだ。それ以来四ヵ所に門をつくって今に至ったのだそうだ。
私はしかしこの塀を一目見た時から考えていた。このバカバカしい壁をめぐらすコンタンを起こすのはここの楼主だけだろうか。その目的は違うにしても、大阪の警察精神が、こういう塀をブッたててスッポリ遊廓をつつむようなコンタンを最も内蔵しているんじゃないかナ、ということが頭に浮かんで仕方がなかった。大阪へ一足降りて以来、人民取締り精神というものがヒシヒシ身にせまって、どうにも、やりきれなかったのである。ここの警察は人民の友ではなくて、ハッキリと支配者なのだ。
飛田遊廓を中心にしてこの地帯はほぼ焼け残っているのだが、昔はたぶん安サラリーマンの住宅地帯であったろう。その家並は主として四五軒ずつ長屋になっている。その小さなサラリーマン住宅の殆どが旅館のカンバンを出しているのでなければ、産院であり、カンバンの出ていないのは、女給の下宿で、つまりモグリのパンパン宿であるという。辻々から軒並にたむろしているポンビキのオバサン連はそのへんへ連れこむもののようである。国際マーケット、飛田遊廓、山王町、ジャンジャン横丁、その全部の周辺、サテモ、集りも集ったり、誰に隠すこともなく、これ見よがしの淫売風景大陳列場。上野の杜とちがって、飲食店であり旅館であるから、逃げ隠れのコソコソという風情はない。飲食店の裏は全部旅館、時々産院で、その直結する用途は一目リョウゼンであり、ひしめく人間は彼女自身でなければポンビキであって、露骨そのものでもあるが、簡にして要を得ているな。そして又、人間がゴッタ返しているよ。
私はこの裏側の旅館へ一泊半したのである。さすがに裏側のうちでも最もしかるべき旅館であった。夜半をすぎるまで大いに飲み、翌朝また盛大な御馳走を卓上にひろげて大飲食し、この豪遊の大勘定がたった三千四百円でしたよ。つまりこの旅館では料理をつくらずジャンジャン横丁かそれに類する所から料理をとりよせるのである。自分のウチで料理をつくれば高くつくにきまっているから、そういうムダはしないのである。したがって出前の料理は一品十円か二十円、最大の豪華な皿や鍋でも三十円ぐらいのものだろう。安いッたッて、料理の品目はなんでめ出来らァ。タイのチリ鍋でもアンコウ鍋でも鳥ナベビフテキ何でもあらァ。ちゃんとそれぞれ見分けがつくのだなァ。食べる物には限度があっても、酒とビールははッきりしない物だからずいぶん飲んだはずだが、三千四百円には恐れ入った。チャンと入湯もできるし、二ノ間もついているのですね。実に裏町の大豪遊でありました。
戦後の日本では、たとえば銀座の一流店と場末の裏店と飲食の値段が殆ど変らないというのが一ツの特殊現象であった。六年たって表通りと裏通りの値段のヒラキは次第に大きくなりはしたが、大阪のジャンジャン横丁界隈の如きものは天下の特例であろう。もっとも、病気を貰えば、けっこう高くつくか。しかし、いかな私もここのパンパンやオカマと遊ぶ勇気はなかった。
大阪の新開拓者、檀一雄先生、すすんで案内役を志し、いそがしい仕事をほッたらかして、東海道を駈けつくる。彼はジャンジャン横丁で私のドギモをぬくコンタンであったらしいが、私の方は彼の到着以前に、ジャンジャン横丁どころか、その界隈の裏通りの旅館に一泊していたのである。この裏町の旅館街は檀先生もさすがに足跡いまだ到らざる魔境で、巷談師の怖れを知らぬ脚力には茫然たる御様子であった。

再The dollar's gain, February 1st 2014 P60 (通貨市場ードル高)

f:id:nprtheeconomistworld:20191022075015j:plain


再The dollar's gain, February 1st 2014 P60 (通貨市場ードル高)

 

Since the debt crisis of 2008, the foreign-exchange market has been the dog that didn't bark. The euro has not broken up;the dollar has not imploded in the face of quantitative easing;the yuan has not become the world's reserve currency of choice. Although the dollar received lift when markets were collapsing in late 2008 and early 2009, its trade-weighted index is within 2% of where it was when Lehman Brothers crumbled. Currency traders have had little to get their teeth into. Often they focus on yield differentials, buying the currency the highest interest rates, but yields have been low and barely differentiated between countries. Sometimes they look at economic-growth forecasts, but growth has been uniformly sluggish. And sometimes they look at current-account deficits, but American deficit has shrunk, the Japanese surplus has disappeared completely and the euro area's biggest imbalances are internal, not external. Policy has also dampened fluctuations. The euro bears were frustrated because the European Central Bank (ECB), under Mario Draghi, proved to be more flexible than its critics suggested while the German government proved willing to do just enough to keep the euro zone intact. Those who predict the imminent demise of dollar thanks to the Federal Reserve's experimentation forgot that other central banks were also cutting rates to zero and expanding their balancesheets. Those who bought yen or Swiss francs in search of a safe haven were frustrated by central-bank intervention to limit their rise. If there was a long-term trend, it was that the currencies of developed economies were falling and those of emerging markets were rising. Economists viewed this as the ゛right゛thing to happen, even though it caused grumbles from some politicians about ゛currency wars゛. But that trend reversed itself last year, and at the start of 2014 currency markets are on the move again. Attention has focused on the sudden drops in the currencies of various emerging markets, thanks both to slowing growth and poor economic management in the countries concerned, and to the Fed's decision to begin reducing (゛tapering゛) its bond purchases. The corollary of cheaper liras, pesos, rand and reais, of course, is a more expensive dollar. There is a sense that American investors are bringing their money home, after a long period when they sought higher returns abroad. Figures from EPFR Global, a data provider, show that investors started switching from emerging-market equity funds into rich-world ones in 2013. As yet, the dollar is still well below the highs it reached earlier this century against the euro (in 2001) or the yen (in 2002). But Citibank, which monitors foreign-exchange flows, says long-term investors have shifted from being dollar-sellers into dollar-buyers, so its rise may yet continue. The Japanese authorities seem happy to let the yen weaken, and the euro zone is sliding dangerously close to deflation, which may yet prompt further monetary easing by the ECB later this year. Meanwhile, some of the market's favoured currencies have lost their appeal. Both the Australian and Canadian dollar had moments in the past five years when they traded above parity against the greenback, but each has dropped signficantly in recent months. Weak commodity prices may be largely to blame, but it could be another case of American investors rediscovering the joys of home. The dollar's last extended period of strength was in the late 1990s, when optimism about the growth-enhancing potential of the internet was at its height. A similar optimistic mood exists today, linked to the potential for shale oil and gas to reduce Amdrica's energy costs and thus boost its manufacturing sector. A strong dollaq can have negative consequences. In the late 1990s several emerging economies struggled to maintain their pegs to the greenback, leading to financial crises in both 1997 and 1998. It will also, other things being equal, make life more difficult for big American companies, making their exports less competitive and reducing the value of overseas earnings when translated back into dollars for quarterly results. Countries that import a lot of commodities will, for their part, pay more for them, since they are all priced in dollar. But it is not all bad news. If the dollar is starting a bull run, the American government should have no problem finding buyers for its bonds. When the Fed mused about tapering last May, yield rose sharply:so far in 2014, ten-year yields have fallen by a third of percentage point.