KITCHEN ESSENTIALS The SCIENCE of COOKING - Dr.Stuart Farrimond

The SCIENCE of COOKING - Dr.Stuart Farrimond

KITCHEN ESSENTIALS

An essential guide to KNIVES

A few select knives meet most kitchen needs.
Many chefs consider good-quality, durable, sharp knives among their most prized possessions.

How knives are constructed
Knives are either stamped or forged. The most widely sold are lightweight stamped blades, made by punching a hole out of a sheet of steel. Forged blades are made by beating, heating, and cooling metal, which forces metal atoms into minute crystal clusters, creating a more durable “fine-grained” metal. The following is a guide to the basic knives every cook should own.

CHEF's KNIFE
Use for
Finely slicing, dicing, disjointing large cuts of meat, and crushing garlic cloves with the side of the blade.
What to look for
A handle that fits your hand and isn't over heavy. The knife should feel balanced and weighty enough to divide meat from bone.
※The blade can extend fully or partially through the handle, known as its “tang”. A full tang tends to make a
more rigid, durable knife than a partial one.
※The cutting edge is called the bevel, where the metal narrows to a fraction of a millimetre.
※A large curvature has a rocking movement for fine chopping, while a flatter curve is ideal for slicing.
PARING KNIFE
Use for
Slicing, peeling, coring, and delicate work such as scraping out vanilla pods.
What to look for
A thin blade that's spear-pointd, or, for fast, precise cuts, is flat so the cutting edge is flush with the board.
※Forged blades taper towards the tip; stamped blades are the same thickness the length of the blade.
※A shorter blade (6-10cm)allows for precision work
CARVING KNIFE
Use for
Making thin cuts of meat from a large joint.
What to look for
A long, thin, very sharp cutting edge with a pointed tip. It should have less curvature than the chef's knife as it's for slicing rather than rocking.
※When the blade broadens near the handle, this is called a “bolster” and indicates a forged metal.
※A carving knife should be thinner than a chef's knife as it is used to the finest of cuts.
SERRATED KNIFE
Use for
Foods that have a tough crust or smooth, delicate skin, such as bread, cake, or large tomatoes, when precision isn't required.
What to look for
A long blade, comfortable handle, and deep, pointed serrations.
※Aim for fewer than 40 serrations and a thin blade. Fewer serrations will pierce skin more cleanly and with greater pressure.
※Comfort and grip are more important than the actual handle material.
※Saw-like points exert intense pressure over a tiny area to puncture the surface, then the scalloped blades slide into the crevices to slice food open.

※Carbon steel
This metal is a simple blend of iron and carbon (unlike other steels that have extra elements added). A well-cared-for blade can stay sharp for longer than stainless steel, but carbon steel is prone to rust, so knives require careful maintenance, cleaning, drying, and oiling.
※Stainless steel
Chromium is added to the iron-carbon mix to produce a more flexible, rust-resistant steel. Good-quality stainless steel has a fine grain for sharpness, and it can be alloyed with other metals for durability. Easy to sharpen and strong, stainless steel is often most practical for the home cook.
Ceramic
Very sharp, light, and hard, ceramic blades are a good choice for cutting through meat. The blades are usually made of zirconium oxide, ground to a razor-sharp edge. The blades don't rust, but are hard to sharpen and don't flex like steel, so can easily break or chip if they hit bone or are dropped.

(巻三十四) 漢字ひとつ調べてをれば虫の声(篠原京子)

(巻三十四) 漢字ひとつ調べてをれば虫の声(篠原京子)

10月1日土曜日

TEDからお薦め番組が届いた。Happinessに関する演題が多い。“Want to be happy? Stay in the moment.”を聴いてみよう。刹那を生きるということかな?聴いていると何かをしているときのMind-wanderingがよろしくないとお説きになっている。中今を生きよと、矢作直樹先生も仰っておられた。

https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/2020/12/18/082112

大根引く生きる意味など考へず(新藤共子)

今朝の作務は洗濯とシート干し、それに買い物。

土曜日の朝の生協には介護の方と思われる人の買い物が目につく。メモを見ながら私の買った「割れせん」も買っていた。108円で値上がりしなかった森永のアイス・モナカを噛りながら帰る。

昼飯喰って、レコーダーが一巡したので新しい4件The flavourist. Gentrification revisited, Why don't something burn, The Gig Economyを加えてshuffleした。在庫量は120エピソード。聞きあきた話もあるが、聞きあきたとて全て聞き取れたわけではないので残してある。

エピソード1のThe lure of ondemand groceriesを聴きながら昼寝して直ぐに寝つく。

昼寝から覚めて散歩。

都住1の公園を通り抜けてコスモスを一撮、曳舟川公園沿いのキンモクセイを一撮。

自己顕示やたらと強し金木犀(安富耕二)

笠間稲荷のコンちゃんにスナックをあげて、蓮光寺の御言葉を一撮して都住3へ、2号棟の階段にサンちゃんとフジちゃんがいたが食後のようなので挨拶だけにして、1号棟に行くとクロがいた。今日も足許にすり寄り可愛い。二袋あげて初めて一撮。

そこから、都住2を通って白鳥のファミマ。10月になった!おでんが出た!卵、厚揚げ、ウイナー巻きを頼んだのだが、厚揚げが以外と大きかったのでウイナーを取消した。ちょい飲みに最高!

願い事-涅槃寂滅。

秋高くおだやかな死を給ふなり(浦川聡子)

これを給はりたいのです。これを!

「夜長 - 楠本憲吉」日本の名随筆72夜 から

 

「夜長 - 楠本憲吉」日本の名随筆72夜 から

秋たけなわの頃は、旧暦でいうと「長月」である。
こうした月の古名を、そのまま現在の暦に当てはめるのを、私はあまり好まない。つまり、その古月にたずさわっている季節感が、およそ一カ月ほどずれてしまって、言葉の味わいというものが、ほとんど薄れてしまうからだ。
従って、私にとって「長月」とは、あくまで旧暦九月の呼称であり、決して今の九月ではない。季節感としては仲秋の侯である。
閑話休題-、九月は他の月に比べて特に日数が多いわけでもなく、むしろ「小の月」で三十日しかないのに、なぜ「長い月」というのだろうか。
月の古名は、『日本書紀』に「春正月[むつき]」とあり、『万葉集』にもそれらの文字がすでに見えるので、かなり古い時代からあり、当然、「長月」も用いられていたと思われるが、当初はまさしく「意に介さず」 - 『どうしてそう呼ぶのか』というよりも、まず用いることが先決だったようである。
一説によると、「長月」の意の出典は、平安時代の長徳四年(九九八年)頃に陽の目を見た『拾遺和歌集』の中の問答歌で、
夜昼の数はみそぢにあまらぬを、など長月といひ初めけん
答に、
秋ふかみ恋する人のあかしかね、夜をながつきといふにやあるらん
とある。つまら、
「夜と昼の数は三十日しかないのに、なぜ長月というのか」
という問に対して、
「秋も次第に深くなって、夜の時間が長くなってくると、恋をしている人間のくるのが待ち遠しい。それで夜の長いことに寄せて長月というのだろう」
と答えたものだが、「長月」の意はこれを原点として後世に伝わったとされている。要するに「長月」は「夜長月」の略であり、「夜の時間が長い月」の意だというわけだ。
俳句にも「夜長」という仲秋の頃の時候季語があり、
一灯を残し夜長の仕事終ふ(虚子)
暮れてまた夜長を如何にせむと思ふ(湘子)
という風に用いて一句をものにする。
しかし、考えてみれば、実際に夜が長いのは冬で、決して秋ではない。それを承知の上であえて「秋は夜長だ」としているのは、『拾遺和歌集』の問答歌とは全く別の次元における俳人ならではの感覚的解釈、並々ならぬ才覚というものであろう。
夏の夜は訪れるのが遅く、夜明けもすこぶる早い。いわゆる「短夜」で、この「短夜」の直後だけに、秋-ことに彼岸を過ぎると、夜の長くなっている様子がことさらに感じられるわけだ。
江戸時代の文化年間に編纂された『改正月令博物筌』という当時の百科辞典にも、
夜の至りて長きは冬なるに、長き夜を秋の季とするは、夏の夜のあまりに短きに、この月はただちに長くおぼゆる故なるべし
とある。
つまるところ、俳句の世界の「夜長」は、事実語ではなく感覚語であり、「日永」を春の季語として用いているのも同じ意味からである。実際に日が長いのは「短夜」の言葉がある夏なのだが、春は「短日」の冬のすぐあとだけに、「日脚伸ぶ」がひときわ感じられるからだ。
ところで、「長月」は「夜長月」の略だとする説に異論を唱えた人物がいる。江戸時代の国学者賀茂真淵で、彼は、
「夜が長いから長月というなら、別に九月だけとは限らないのではないか。これは“稲刈月[いながりづき]”の上下を略して“なが月”といったのだ」
と説いているが、私はこの意見に興味を覚えるのである。
たとえば「睦月」は「正月になると、家族が一堂に会して、和やかに睦まじく、楽しい日を送る」というところから起こった「むつみ(古語ではむつび)月」が訛ったのではなく、「種籾を苗代へ播くために生[む]す月」-即ち「芽が生じやすいように浸す月」が詰ったもの……というように、日本の古名は、すべて稲作と関わり合いがあるのではないか、とかねがね考えていたからである。
古来、日本人の死活の決め手は米-。従って、昔の人々が、それを生産する稲作の作業手順を月々の呼称に当てはめて、生活の目安にしたとしても、決して不思議なことではない。
因みに、外国のSEPTEMBERも「収穫月」ということであり、もともとは「大麦月」という意をこめた言葉であった。

(巻三十四) 葛飾にむかしをおもふ彼岸かな(永井荷風)

(巻三十四) 葛飾にむかしをおもふ彼岸かな(永井荷風)

9月30日金曜日

朝家事-拭き掃除、毛布干し、洗濯物干し。ドラッグストアへ行き防虫剤、入浴剤などを買い、自分用の単4も買う。

昼飯喰って、昼寝して、散歩。

図書館に寄って返却。都住3を覗く。サンちゃんは階段の裏側に居て食い気も元気もなし。1号棟の階段にクロがいて駆け寄ってきて脚にすり寄る。情にほだされて3袋あげてしまった。

そこから白鳥生協まで歩き、2割引きの寿司で一杯いたした。

英語のお勉強もしている。今日はsagacious(賢明な)という詞を知った。覚えていられるかが問題だ。何度出合っても出てこないのが触媒(catalyst)で酵素(enzyme)と混同したりで死ぬまで覚えられないようだ。

今日、土屋賢治先生の一作を載せたが、最近先生の作品で以下を面白く読んだ。

《どんなものにも両面の真理がある。古代ギリシャプロタゴラスはどんなものについても真理は一つではないと主張した。その彼に次の逸話が残っている。

プロタゴラスは裁判に勝つための弁論術を教えていたが、弟子の一人が授業料を払わないので、裁判に訴えた。弟子は、「裁判に勝つ技術を教わらなかった」と反論した。これに対し、プロタゴラスはこう主張した。

「もしわたしが裁判に勝ったら、弟子は判決に従って金を払う義務がある。もしわたしが負けたら、弟子が裁判に勝つ技術を身につけたのだから、その謝礼を払う義務がある」

弟子も負けずに反論した。

「もしわたしが勝ったら、判決通り、金を払う必要はない。もし負けたら、裁判に勝つ技術を教わらなかったことになるのだから、金を払う必要はない」》

願い事-涅槃寂滅。

いささかのしあわせにいて秋燈(安藤鶴夫)

今のうち、今のうちに逝かねば。

「知らなきゃよかった -   土屋賢二」文春文庫不要不急の男から

 

「知らなきゃよかった -   土屋賢二」文春文庫不要不急の男から

アリストテレスは「人は本性上、知ることを好む」と言った。
事実、赤ん坊は何でも口の中に入れて味を知ろうとするし、世界のあらゆる事象を知るために数え切れないほどの学問がある。
浦島太郎は開けてはいけない玉手箱を開けて中身を知ろうとし、「鶴の恩返し」では、鶴を助けた老人が、布を織るところを見たくて部屋を覗いてしまう。
だが逆に、知りたくないこともある。オイディプスのように、自分がそれと知らずに父親を殺し、母親と結婚しているという、受け入れがたい真実を知り、目を突いて盲目になることもある。
レベルは落ちるが、ふとんや顔を拡大すると、ダニがうじゃうじゃいるのが見える。そんなことは知りたくなかった。それを知ったが最後「肌がスベスベだ」などと素直にホメられない(幸い、ホメるような女がまわりにいないが)。
妻が食べ物を床に落としたのをそのまま夫の皿にのせて出したことを知りたいだろうか。何も知らなければ、知らぬが仏だ。いつも通りにおいしく食べた後、原因不明の下痢に見舞われ、「消費期限切れの物を食べさせられたのではないか」と疑うだけですんでいたところだ。
初詣に行き、夫が一家の健康を祈っている横で、妻が夫の死を祈っていることを知りたいだろうか。
妻が夫の歯ブラシで便器を掃除しているという事実を知りたいだろうか。
新型コロナでもそうだ。欧米では、新型コロナウイルスを「ブーマーリムーバー」(高齢者除去剤)と呼ぶ若者が出現しているし、医療崩壊が起きたイタリアでは高齢者を見殺しにしている。こんな事実は、死ぬまで知りたくなかった。
それを知ったが最後、高齢者に向ける微笑みは作り笑いとしか考えられなくなる。電車に優先席を設けているのも、優先席がなければだれも老人に席を譲らないからだし、敬老の日も、そういう日を作らなければ老人を敬う機会がないからだ。その証拠に、ふだんから大事にしている犬やネコのためにペットの日は作らない。そのうち、敬老の日は四年に一度になり、最終的には撤廃されて「十三月三十二日」や「夫の日」のように影も形もなくなるだろう。
そう言うと、「それが不満なら、尊敬される老人になれ」と言われるだろうが、無茶を言うのもほどほどにしてもらいたい。逆に聞くが、歳を取ったという厳粛な事実だけで尊敬することがなぜできないのか。もしかしたら「特別な能力がないと尊敬できない」というせせこましい考えをしているのか?それなら、玉乗りをしながらけん玉ができれば尊敬するのか?樹齢千年の古木は、花を咲かせたり、玉乗りができないから尊敬できないのか?
一方で、「知っていれば人生が変わった」場合も多数ある。
子どものころから、自分にどんな能力があるのか、知らなかったために、相撲、忍者、プロレス、各種楽器の練習に明け暮れ、全人生の七割の時間(二割は睡眠、釈明、謝罪などだ)を無駄にした。自分の能力や体格を知っていれば、身の程知らずの楽器演奏で人前に恥をさらすこともなく、何度も寿命が縮む思いをすることもなかった。おかげで、本来なら百五十歳だった寿命が、約百四十歳に減ったような気がする。
本稿の締切まであと一時間だ。人生の七割を無駄な時間がなければ、余裕をもって遊んでいられただろう。
ただ、その無駄にした時間を何に使えばよかったのだろうか。たぶんそれ以上にくだらないことに使っていたがろう。他に有意義な使い方を思いつかないのだ。有意義な使い方を知っていたら、死ぬほど後悔していただろう。そんなもの、知らなくてよかった。

(巻三十四) 通り雨妻は霙と言い張りて(中村伸郎)

(巻三十四) 通り雨妻は霙と言い張りて(中村伸郎)

9月29日木曜日

細君が駅前まで買い物に出かけていった。以前は眼医者と歯医者に月一くらいで通院していたが、最近は三月に一度くらいになったので気晴らしの機会が減っていた。(亀有)銀座通りをブラブラして、ヨーカ堂や百均、駅下のマーケットを巡るくらいの気晴らしだが、どうも一番の気晴らしはATMで通帳の打ち出すことのようだ。夫婦して金を使わずに過ごし、ポックリを願っているのだが、賢者か?馬鹿か? 

筆写した随筆が溜まり、windowの停止までに載せ終らないので木、金、土の三日載せることにした。昼前に細君が戻り、急遽洗濯をしてからパック赤飯と即席味噌ラーメンの昼飯喰って、昼寝して、起きて床屋へ行った。まだ千円で変わらず。帰り道に都住2に寄ってみたが猫不在。都住3に回ってサンちゃんとフジちゃんにスナックをあげた。サンちゃんは食事前らしく、ベタベタにすり寄ってきた。

今日はBBCのFood ChainからThe Flavourist

https://www.bbc.co.uk/programmes/w3ct38nc

を聴いた。

Yukiko Ando Ovesenさんというこの道の大家のお話しがうかがえた。味覚も天賦の才ということか。歌も味も方向も音痴の三重音痴だ。しかし知らない分からないというのが、本当は一番の幸せなのかも知れない。

女知り青蘆原に身を沈む(車谷長吉)

8分辺りにcrispという詞が名詞で出てきた。英英語でいうところの日英語のポテトチップスに当たるものらしい。

この番組に登場した料理専門家も“UMAMI”をそのまま使っていた。BBCの聞き手の方がsavouryのことかと確認を入れていた。専門家のなかにはMSG - Mono Sodium Glutamateのことだと引く方もいるが、大方の専門家は“UMAMI”で通し切る。イギリスだけということもないだろう。極めて評判の悪かったMSG関連の詞が以外に国際化したなあ。

願い事-涅槃寂滅。

秋風やあとから気付くこと多し(加藤あや)

「詩の翻訳について(抜書) - 萩原朔太郎」日本の名随筆別巻45翻訳 から

 

「詩の翻訳について(抜書) - 萩原朔太郎」日本の名随筆別巻45翻訳 から

宮森麻太郎氏の英訳した俳句は、外国で非常に好評ださうであるが、その訳詞を通じて、外国人が果して何を感銘したものか疑問である。おそらくは歌劇ミカドを見物して、日本人を理解したといふ程度であり、俳句をHAIKUとして解釈した程度であらう。多くの場合に、外国人に好評される日本の者は、真の純粋の日本ではなく、彼等のフジヤマやゲイシャガールの概念性に、矛盾なく調和して入り得る程度の、テンプラフライ式の似而非日本である。真の本当の日本のものは、彼等に理解されないことから、却つて退屈されるばかりである。宮森氏の翻訳が西洋で受けている理由も、おそらくそれがハイカラ的俳句である為かも知れないのである。
小宮豊隆氏は、翻訳の不可能を例証する為、次の宮森氏の訳句を引例してゐる。
The ancient pond!
A frog plunged splash!
(古池や蛙とび込む水の音)
小宮氏は言ふ。俳句の修辞的重心となつているものは、「古池や」の「や」といふ切字である。この場での「や」は、対象としての古池が、ずつと以前からそこに有つたといふ時間的経過と、実在的な恒久観念と、併せてそれに対する作者の主観的感慨とを表示してゐる。句はその切字で分離されて居り、以下の「蛙飛び込む」は、目前の現実的印象を表現してゐる。そしてこの現実的印象としての瞬間が、恒久的実在の「古池」の中に消滅することによつて、芭蕉が観念する「無」の静寂観が表現されるのである。然るに宮森氏の訳では、この「や」が!の符号によつて書かれてる。外国語の!は、単なる感歎詞の符号であるから、それによつて原詩の時間的観念や実在的観念を表示することは出来ない。俳句に於ける切字の「や」は非常に豊富な内容をもつ複雑な言語であつて、外国語に於ける!の如き、単なる感歎詞の符号ではないねであるから、この点で訳が第一に不完全だと言ふのである。
次に尚ほ小宮氏は、言語の連想性に就いて述べてゐる。即ち例へば「古池」といふ言葉は、日本人の連想からは直ちに古い寺院の池や、庭園などにある閑雅で苔むした小さな溜水の池をイメーヂするが、湿気のない西洋にはそんな古池が無いのであるから、西洋人がこの語から連想するイメーヂは、アルプスやスヰスの山中などにある、青明に澄んだ大きな湖水であるだろう。そんな池へ蛙が一疋跳び込んだところで、何の詩趣も意味もあるものか。且つ「蛙」といふ動物は、日本人にとつては特殊の俳味的詩趣をもつて居り、夏の自然を背後に感じさせるやうな季節感をさへ有してゐるが、西洋人にとつては何等特殊の連想がなく、食用蛙の醜怪を思ひ出させる位のものであらう。してみればかうした翻訳を通じて、外国人の俳句から受け取る印象は、不可解以上に連想が出来ないと結論している。

小宮氏の説は、むしろ常識的にさへ当然の正理であつて、これが文壇に問題を起したのが、むしろ不思議な位である。僕の如き外国語に智識のない人間が読んでさへ、上例の如き英訳で芭蕉の俳句が訳出されてるとは思へない。正直に告白すると、かうした訳を読んで滑稽になり、いつも失笑を禁じ得ないのである。しかもこれが語学者として名声の高い宮森氏の訳であり、内外共に最近の「名訳」として好評されてるのを見ては、いよいよ以て詩の翻訳の不可能性を痛感する次第である。
「花の雲鐘は上野か浅草か」といふ句を、かつて昔或る人が次のやうに英訳した。
The clouds of flowers
Where is the Bells from?
Ueno or Asakusa.
西洋人がこれを読んで「葬式の詩か?」と反問した。奇妙なので聞いてみると、成程もつともの次第であつた。即ち「花」といふ言葉は、日本人の読者にとつて、直ちに桜花を連想させるのに、西洋人の読者にとつては、ダリアや、チューリップや、シネラリアを連想させる。そこでclouds of flowersは、さうした西洋草花の群生してゐる花壇か、もしくは花輪や花束の集団をイメーヂさせる。また「鐘」といふ語は、日本人にとつては仏教寺院の幽玄な梵鐘を連想させるのに、西洋人にとつては耶蘇教寺院の賑やかな諧音的ベルを連想させる。そこで今、この訳詩を読んだ西洋人の心象には、耶蘇教寺院のベルが鳴つている町の通りを、美しい花輪や花束の群が、雲のやうに行列して行く光景、即ち葬式のイメーヂが浮んだのである。
故にこの俳句を、もし正当に訳さうと思ふならば、「花」は英語のflowersではなくして、日本語の「花」といふ語をそのまま原語で用ゐる必要がある。また「鐘」はchimesやbellsでなく、日本語の「鐘」でなければいけない。即ち要するに、原詩を原語で示す以外に、翻訳は絶対不可能だといふ結論になる。