2/2「不良老人の色気 ー 嵐山光三郎」退歩的文化人のススメ から

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2/2「不良老人の色気 ー 嵐山光三郎」退歩的文化人のススメ から

今回刊行された千萬子との往復書簡は、そういった谷崎の最後のラブレター集である。しかし、千萬子さんの写真を見ると、正直に言ってさほど美人ではないし、顔が角ばっていて(失礼ながら)ガニマタで、小説に出てくる颯子のイメージとはまるで違う。本の図版に「これでも美人でないかと言ってこの写真をお見せなさい」という谷崎の自筆文があり、つまり谷崎も本心では「美人でない」と思っていたふしがある。
でも、そんなことはどうでもいい。千萬子の手紙は刺激的で、老人の妄想をかきたてる。金を無心したかと思うと、週刊新潮の記事をけなしたり、「瘋癲老人日記」の映画シナリオにケチをつくたり、書きたい放題だ。映画に出演した俳優にまでケチをつけ、颯子役の若尾文子を「お色気たっぷりの女臭いしなをつくった女」ときめつけている。自尊心が強くてわがままな谷崎にものおじせず、思ったままを書く術は、ボーイッシュな形をした女のなかの女てあることがわかる。書簡のやりとりを見ると、谷崎をここまで手玉にとった千萬子はかなりの才人だが、なに、手玉にとられたふりをしているのは谷崎のほうで、谷崎は千萬子に、架空の颯子を妄想しているだけなのだ。
人は年をとると、わざとぼけたふりをして家族を心配させて面白がったりする。これは老人の高等技術で、若い人は手玉にとられる。千萬子もそれを知りつつ谷崎を挑発していくところが、この往復書簡の見どころである。
谷崎に学ぶもうひとつのことは、言葉が妄想を刺激することである。本物の女よりも文字化された女が想像力をかきたて、実際の性行為よりも架空の性行為のほうに興奮し、つまり武器が言葉となる。口述筆記であろうと、言葉という銃弾を発射しつづける限り、人は下降しつつ凶器となっていく。
若いときの谷崎は傲慢不遜で、大学の後輩の芥川をなぶりつづけた。芥川が自殺してもなお、「芥川は作家の器量ではない」と言い放った。戦時中、疎開さきの岡山県津山へ恩人の荷風を呼び、歓待するふりをしながらも、女たちに囲まれた優雅な生活を見せつけ、敏感な荷風はそれを感じとって津山を離れた。谷崎にとっては、師も後輩も弄ぶ対象に過ぎず、それほどの谷崎が、小生意気な娘に手玉にとられ、頼まれれば金を送り、ケチをつけれれば謝り、おまけに足型をおくるよう哀願するのだから、マゾヒズムと言ってしまえばそれまでだが、これぞ老獪極る技と言っていい。
私は死ぬ前年、七十八歳の谷崎を、中央公論社主催の文芸講演会で見た。そのとき、私は大学四年生だった。淡路恵子に手を引かれて演壇に立った谷崎は、ちょっとよろけてみせ、それから、一言二言しゃべって、七、八分間で退場した。谷崎のあとの講演は小林秀雄で、身ぶり手ぶりの落語のような話で場内をわかせたものの、谷崎のあとでは役者の格が違い、かえって谷崎の存在感が強く残った。ユラユラとよろける谷崎には不良老人の色気があり、茫然として全身がふるえた。
谷崎は、『瘋癲老人日記』のなかで「死を考えない日はないが、それは必ずしも恐怖をともなわず幾分楽しくさえある」と書いている。右手が使えぬ谷崎がめざしたのは、スキャンダラスな性そのもので、それ以前の老作家が踏みこめなかった魔界である。下り坂にある老人のみが感得する特権的老境で、それを見定めるために、谷崎は齢を重ねてきたと思われる。
自殺した芥川と対照的な谷崎がここにいる。そんな谷崎を、三島由紀夫は「晩年の『鍵』や『瘋癲老人日記』では、ついに氏の言葉や文体が、肉体をすら脱ぎ捨てて、裸の思想として露呈してきたように思われる」と評した。
谷崎は昭和四十年七月二十四日、満七十九歳の誕生日に、好物のぼたんはもをたいらげ、七月三十日、松子夫人にみとられながら死んでいった。

(巻二十六)老舗みなビルに吸はれて街薄暑(峯崎成規)

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(巻二十六)老舗みなビルに吸はれて街薄暑(峯崎成規)

7月1日水曜日

七月になった。今日は半夏生だということだ。

晴耕雨読の鎌の錆びつく半夏雨(井上あい)

雨風が収まった午後3時過ぎに散歩と買い物に出かけてみた。生協の花屋さんはシャッターを下ろしての営業だ。

本日二千二百歩、階段二回でした。

tapeレコーダーとICレコーダーをイヤホーンで聴いてきた。50年間専ら右耳にイヤホーンを差し込んで聴いてきたが、
右耳の孔の外側がヒリヒリするので試しに左耳にイヤホーンを差し込んでみた。そうしたら左耳の方が余程よく聴こえる。もちろん番組の内容が良く解るということではないが、音量目盛30段階で3から4は違う。
眼にしても歯にしても耳にしても左右が同じようには老化しない。眼も耳も歯もどういうわけか左側の方がよい。腎臓は右だ。

右耳が聴こえなくなっていたということであればショックなのだろうが、とっておいた左耳がまだまだよく働くことが分かってよかったと思うことにした。

涼しさや右から左に抜ける耳(岡本久一)

50年間聴いてきて理解力はこの程度だが、何事も逝くまでの暇潰しだと思うことにしよう。
今日聴いたのはモチベーションの上げ方・保ち方がテーマの番組であった。精神論ではなく、技術論であるところがよろしい。例えば僅かな進歩でも記録するとか、周囲に宣言して自分に負荷を掛けるとかが述べられている。

生涯にどれほどの距離かたつむり(増成栗人)

願い事-何とか動けているうちに、一瞬で叶えてください。

BBCCrowdScience
 
https://www.bbc.co.uk/programmes/w3csz1tc

0105:larking about =ふざける、冗談半分、


How can I motivate myself?

0030:“The reason for getting Anand to plunge into open water will soon become clear. It’s all in an effort to answer this week’s question, which comes from a listener Moses.”
0042:“Hello, my name is Moses xxxx. I’m living Kampala in Uganda. And my question for CrowdScience is how can I motivate myself?”
0052:“So Moses want us to look into science behind motivation. What really is the best way for us motivate ourselves and what xxxx xxxx to stay motivated.”

 “Now I should probably explain what this has to do with Anand larking about the lake.”


この間は省略、と云うか書き取りができませんでした。

0217:“Because I xx had in my mind as xx goal was complete master’s degree in one year. In Uganda here it needs two years.
I need to know if there are tips that have been proven what can help some get motivative. Next thing is keeping yourself motivated once you get there.
Once I have xxxx I can  achieve any goal set myself to achieve.”
0242:“Listener Moses wants to motivate himself to do his master’s degree in one year. We are science programme and this is clearly a brain thing. So let’s start by having a look inside our heads.”

1/2「不良老人の色気 ー 嵐山光三郎」退歩的文化人のススメ から

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1/2「不良老人の色気 ー 嵐山光三郎」退歩的文化人のススメ から

中央公論新社より『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』が刊行された。千萬子は谷崎松子夫人の連れ子清治の妻で、谷崎の義理の娘にあたる。千萬子は谷崎晩年の小説『瘋癲老人日記』のヒロイン颯子のモデルとなった女性である。
昭和三十七年(谷崎七十六歳)千萬子宛の手紙に、「あのアナタの足型の紙は私が戴いておきたいので御返送下さい。新しく書いて下すっても結構です」とあり、翌三十八年(七十七歳)の手紙には「あなたの仏足石をいただくことが出来ましたことは生涯忘れられない歓喜であります」とまで書いている。
松子夫人が生存中に、こういったエッチな往復書簡が発表されれば、けっこう面倒な事態になっていたと思われる。
ここで谷崎をとりあげるのは、谷崎は下り坂を書く達人であり、肉体が衰えていく後半生をなだめつつ、うまくコントロールしていった達人だからだ。
谷崎は七十九歳で没するが、代表作『細雪』が中央公論社より刊行されたのが六十歳である。デビュー作は二十四歳で「新思潮」に発表した小説『刺青』で、これが荷風に激賞され一躍人気作家となった。谷崎は、書く内容がワイセツ文学とされ、発禁処分をくりかえし、人生求道的作品を書く志賀直哉に比して、一段下とみなされていた。『細雪』ですら、昭和十八年(五十七歳)から「中央公論」に連載され、途中で掲載禁止となった。小説『鍵』を発表したのは昭和三十一年(七十歳)である。
晩年の旺盛な執筆は驚嘆するばかりだがカラダが丈夫だったわけではない。老人にさしかかった谷崎は、自分の病気に気を配りつつ、カラダをだましだまし書きつづけた。『細雪』を刊行してからは高血圧に悩み、執筆をさしひかえるようになった。体力強靭で、ギラギラした人に見えるが実情は臆病なほど用心深い人で、書く内容も『刺青』にみられるような才気煥発さに替わって衰えていく肉体をみつめている。
七十歳で書いた小説『鍵』は、五十六歳になる大学教授の夫が、四十五歳の妻郁子との性生活を十分に享受したいという願いを日記に書き、日記を入れた机の鍵をわざと落とす。夫の日記はカタカナ書き、妻はひらがな書きで、互いに読まれることを想定した性愛夢日記である。若いとき、この小説を読んだ私は、「なんでこんな面倒な手つづきをするのか」が理解できず、ただのエロ小説だと思っていた。それが、年をとってから読むと異常に興奮して、妻に「私らもマネしようか」と申し出て、「なにバカ言ってんのよ」とひっぱたかれた。最初から妄想日記とバレてしまっては、谷崎の域に達するにほど遠い。『鍵』が発表されたときは、国会の法務委員会で問題になって、世評は「ワイセツか芸術か」で沸きかえり、そのぶん小説は売れた。発禁をくりかえしてきた谷崎の作戦勝ちといったところ。『鍵』が評判になった翌年(七十二歳)、虎の門の福田家で発作をおこし、右手が使えなくなり、以後、口述筆記に頼らざるを得なくなる。『夢の浮橋』はそんななかでなった最初の作品だった。谷崎をふるいたたせたのは「老いの意識」で、衰弱が逆に原動力となっていく。こんな芸当は、気力体力が充実している若いときにはできるものではない。
人生の登り坂にも山や谷はあるが、下り坂にも山や谷があって、なだらかなアスファルト道路をすーっと降りていくわけにはいかない。自転車で砂利だらけのデコボコ山道を降りていくようなもので、登る技術よりも下り坂のほうが難しい。体力をなだめながら、それでめ楽しみながら下っていかなければいけない。  七十四歳の谷崎は狭心症の発作をおこし、東大上田内科に二カ月入院した。『瘋癲老人日記』は、その病みあがりのなかで口述筆記された。小説の内容はフーテン老人卯木督助の日記という形式で、「フーテンの寅さん」ならぬ「フーテンの督さん」の誕生となった。老人のやりたい放題とおかしさがこと細かに書かれている。

(巻二十六)音楽で食べようなんて思うな蚊(岡野泰輔)

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(巻二十六)音楽で食べようなんて思うな蚊(岡野泰輔)

6月30日火曜日

過日、クリニックの待合室で一撮した「みんなの体操」のオネエサンたちである。

屈伸の掌床に夏来る(井上亮子)

本日千八百歩で階段二回でした。

読書:

「悲観しない病者

 - 上林暁」をコチコチしている。全文はいずれとするが、巻末の著者紹介文が、これまた宜しい。

上林暁(かんばやし・あかつき)

一九〇二~一九八〇 小説家

若くして死んだ妻の闘病生活を描いた「聖ヨハネ病院にて」その他「病妻物」で広く知られるが、自らも脳出血のため半身不随となってからは口述筆記によって作品を発表した。それらの底流としてあるのは収録の随筆に見られるような、ストイックな楽天主義とも言うべきものである。》

“ストイックな楽天主義”か?

看護婦にころがされつつ更衣(小山耕一路)

世事:

書類をしたためて今月4日に投函したが、その後いかがなものでしょうか?と 細君が区役所に電話を掛けていた。

調べていただいたところ、すでに処理済みになっているとの回答をいただいたようである。

願い事-眠っているうちに、叶えてください。

句集

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令和二年(前半)

死たがる句ばかり読みて桜桃忌

起承転結生老病死梅雨深し

新緑や半径二キロに共生す

肉マンを二つ列べて四月馬鹿

春愁や貰つたものの遣いかね

小春日や見下ろす影の濃さ淡はさ

老人の日々縮みゆく寒さかな

仕事なく仕事初めもなかりけり

初夢の好色にして恙無し

死後なんぞあつてたまるか仏の座

 

令和元年

 

桜島見しが今年の一大事

三十年経ちて二人のクリスマス

著者と酌む読後のホットウイスキー

舞い降りて一日二日は彩落ち葉

十畳に十四畳の炉の温し

電球の切れるが如く終わりたし蛍光管の明滅怖し

影像を読み解く医師やそぞろ寒

立冬や寝起きの悪き妻である

人間[ひと]に世話やかせて野良の冬構え

黄落や散りぎわばかり見るさくら

電飾を取り付く小枝あやまたず

天高し佳句に引かれて駄句類句

初孫の祝い返しや芋と柿

我妻に呉し姑や彼岸花

担ぎ手の腹の出ている秋祭り

植物の蜜柑の鉢に水を遣る

五月雨やストーブに翳すサルマタ

今年米間近を告ぐる二割引

老いどちや枇杷の実啜り角打ちす

桜島就職祝いて乾杯す

 

平成三十一年

 

薫風や息子帰にけり葉の騒ぐ

雨や打つ風に吹かれて散りたくも

子のブログ見て就職を確かむる

筒先の管は解かれて桜咲く

水温む海ふと渡り桜島

ヤフーからデータ引っ越す梅咲く日

憂いなく今が死に時ちゃんちゃんこ

母親は捨てられる女春寒し

鍋焼きや舌で転がすトッピング

電球や寿命較ぶる

老いの春

菜の花や喰われる前に咲きにけり

一月を勤めて締めて五十時間

鼻くそも目くそも乾き冬旱

本年は酒で潰さぬ暇潰し

積み上げて取り崩さずに寒卵

 

平成三十年

 

転職も二度目は慣れて晦日そば

冬来たりなば春とはシェリーかな

君と僕どちらが先きか年賀状

歳晩や旧社に掛ける里心

定期券取り戻したる神無月

手探りのボタンダウンや穴惑い

定期券払い戻して秋深む

独酌の送別会の二次会の

空蝉や七日を切りし出勤日

カーテンとシーツの洗濯日和かな

台風や河岸に上がらぬ青魚

首筋にペット茶あてて立て直し

梅雨深し終着駅は始発駅

年金手帳夫婦で捜す五月闇

水元や坊主覗ける白日傘

初夏やここだけ話で五合酒

宿六の家居七日目八連休

ハナミズキ姉妹の茶話の余り菓子

初物や懐具合の冷奴

いいことは探せばてくる種袋

夜桜や俺は群れずに先に散る

ハンコウも一つに纏め老いの春

春嵐滴染み入る足の裏

バスカーや孵化(かえ)つてくれよ寒卵

噴水や枯れ野の末に勃起せり

寒々と尿の色に黄泉の国

営業の出ていく巷に雪が降る

パック餅尻から膨れ転びけり

あがらえず家路失う猫の恋

生足も凍る掟か女子高生

逆算のゴール判らぬ長距離走

匿まわる団地の犬の息白し

働いてあと五年はと年初め

 

平成二十九年

 

五七五に呟き歳を越しにけり

密買や年末年始の隠し酒

極月や夏までまでの定期代

携帯を無くして熊の冬籠り

働けて減額支給や

手締め

波長合う昭和歌謡や耳覆い

亀有の筑前加賀のモツ合戦

別れ告ぐ歯に舌先で暮の冬

着膨れや乗らんと体を斜に構え

鍋洗う鍋の温もりいただけば

追い焚きをするならしなよしてごらん

幸せと思えと言わる椿カフェ

しぐるるやいけるとこまで多作多捨

一キロを十個に分けし神無月

子のみやげなき秋の夜の肩すかし

ご配慮の退社時間の繰り上げの寄る年波の秋の夕暮れ

骨軽し壺は重たし秋の空

秋風や孫たちの居て家族葬

死なざれば受給資格や小鳥来る

蝉啼くやハウスバイバイ判二つ

売家の穂を垂る草をむしりけり

ジェット機の慌て飛び立つ野分きかな

柴又の音の届きし大花火

区役所でお客様とやアマリリス

居眠りを大目に見られ鼻っかぜ

下総の基地に降り行く爆音を頼もしと聞く我に驚く

マンションにダンプ突っ込む目借時

藤棚や写生見せ合う婆二人

噴水や二十五度超え存在感

団地とは函と内箱桜散る

東京の江戸が散りゆく花見かな

見下ろせば団地に隣る桜道

春愁や覚悟を迫る顔の紙魚

懐の肉まん食わぬ梶思う

着膨れて彼方に弛みし靴の紐

初場所やあと三場所の土俵かな

受験子やちからになれぬ父連れて

コーラクや今年は煮込みと二合まで

需要なき欲求に供給福袋

あつけなき転結願い初参り

年寄ればほかは省きて雑煮食う

 

平成二十八年

 

大黒に一年を謝し五百円

図らずも畳のうえで逝った寅

冬の路地荷風になつたつもり酒

空白に歯を生せけり日短

雪だるま近所にいまだ子がいたり

手助けや明日は我が身の時雨哉

案外の実を結びけり庭みかん

物書くに電知電脳朧月

運動会雨天決行賞味期限

柏そごついに閉店九月果つ

マジックの消えてラジオの変声

紅顔の少年さんまやほろ苦し

心配の種を飛ばして西瓜喰う

一と月で青葉隠れの空家かな

生まれ来るほどのところかほととぎす

四月馬鹿摩つてみたや菩薩の背

細胞や小春日和のビラ配り

付き添いの院内百態あたたかし

開いたと君白梅を指しにけり

存在のたとえば冬の扇かな

色夢におもちゃ手すさぶ寒の床

牡丹雪や空も画する丸の内

一駅で桃黒となり寒夕焼

 

平成二十七年

 

あの人が最後の女が冬の果

夜長とは言ってはおれぬ湯冷めかな

柿添えて貧しからざる昼の膳

あきらめのいい葉わるい葉秋の朝

秋の暮文句は言えぬ五人扶持

生身魂拝んでみたや女夜叉の背

遠雷や帰りを急ぐわけもなし

寒の月手元の恋を照らしけり

雨音に枕安堵す寒の朝

 

平成二十六年

 

考えて今宵の鍋を定めけり

陽だまりや居ても目立たぬ老いの苑

足腰のしっかりしたる時雨かな

晩秋に産業医説く老病死

一掃きの枯れ葉摘みけり浮世床

見上げれば真半分の秋の月

湧く雲や振り返れば鰯雲

独居やイヤヨイヤヨの扇風機

譲られて夏のつり革揺れにけり

早乙女や帯でまとめし渋浴衣

二十日ころあいさつなしにつばめ立ち

質草やみどりは淡し初鰹

雨が討ち堀に追われし桜花

春の月なにに怯えて寝付かれず

まっつぐに舗装の継ぎ目草の筋

春雨や十色の百の傘交じり

銘酒より冬の真水の酔いざまし

重ね着や更に重ねて二重足袋

官を辞し大黒様に初詣

「わがアンチ・グルメの弁 - 林望」ちくま文庫 あさめし・ひるめし・ばんめし-アンチ・グルメ読本- から

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「わがアンチ・グルメの弁 - 林望ちくま文庫 あさめし・ひるめし・ばんめし-アンチ・グルメ読本- から
 
だいたいが、テレビなどに掃いて捨てるほど出てくる括弧付きの「グルメ」というのが嫌である。そこでは、とっておきの逸品やら絶品やら、箸で切れる柔らかい牛肉やら、鬱陶しく山盛りになったウニ・イクラの丼やら、それも、どうみたって良いものを喰って育ったとも思えぬ連中が、わあわあと言って騒いで見せる。かくも軽佻浮薄、埒[らち]もない食い物話が横行しているのは、ほとほとうんざりというものてある。
そこへまた、ミシュランだとやらの、とんだお節介の評価本などが、このウソ寒い風潮に拍車をかける。
私は、ミシュランの星なんぞがついた料理屋には、頼まれたって行くのはごめんである。無体に高い金を払って、有象無象が分かったふうな顔をしてわんわんと押し掛けている。それで二年先まで予約はいっぱいだのなんだの、二年先の予約をして寿司など喰いにいって何がおもしろかろう。寿司なんてものは、「お、きょうはちょっと一つつまみたいな」と思ったら、その時が吉日で、すっと入って、さっと食べて、すぐに帰る、そういう気味合いで行きたいものだ。たがら、そういう旨い馴染みの寿司屋を何軒か、いつも懐にあっためておいて、それは親しい人にしか教えない、というのがほんとうだ。テレビの奴らなんぞに教えてたまるものか。
だいたい、ほんとうに旨いものを喰おうと思えば、法外な金など出してはいけないのである。いつだったか、一人前十万円などという天をも恐れぬ金子[きんす]を取るという料理屋に、無理矢理に連れていかれたことがあるけれど、なんだこんな程度のもので十万円も取るのかと、はなはだ不愉快であった。それでありがたそうに金箔をはりつけた黒豆を二粒だの、サイコロを一回り大きくした程度のトロの刺し身を一切れだの、およそ腹の足しにもならないようなものを、ほんのちょぴっとずつ喰わせて、得意の鼻をうごめかされたのではたまらない。
どだい、そんなものを喰わされてありがたがっているという心根が卑しいじゃないか。もっとまじめに、一生懸命に、食事というのは食べるべきものである。
いや、そもそも、人の金で物を喰おうという了見がいけない。社用族の跳梁跋扈[ちょうりょうばっこ]なんてのは、精神風土の貧困を物語る現象である。
すべて自分の財布で、喰うなら喰おうじゃないか。
そうしていやしくも自分の財布で喰うとしたら、たかが晩飯一回に一人十万円なんて金を払うのは、法外も法外、十万円どころか、三万円でもごめんを被る。
人間の智慧というものは、いくつかの階級があって、一番下等のひ弱なる智慧は、本などで読んだ知識の受け売りというやつである。どこそこのナニガシという店のしかじかというの物は旨いとか、そんなことを書いてあるガイド本などを読みかじって出かけていくというのが、もっともいけない。ミシュランもこの口である。
味というものは、その人の好尚や、体調、また育った地方とか、さまざまのものが複合して「これは旨い」と感じさせるのである。川越育ちの甲君には旨いと思えるものでも、先斗町育ちの乙嬢にはペッペッという味であるかもしれない。それでも、はたして先斗町が正しく、川越が間違った味覚かといえば、むろんそんなわけはない。味というものは常に相対的なものなので、一杯三百円のかけそばが、十万円のお懐石より旨いと感じたって、何の不都合めないのだ。
次に下等なのは、人づてに聞くという方法で得た智慧である。これを耳学問というのだが、しょせんは聞きかじりだし、その得意になって教えてくれた人が旨いと思ったとしても、教えられたこちらが旨いと感じる保証はないこと、今申すとおりである。
で、最上の智慧というものは、しょせん「試行錯誤」によってしか得られない。これは世の真理である。各人よろしく試行錯誤を繰り返して、自分にとっての「旨いもの」を発見すべく、それしか決定的に旨いものにたどり着く方途はないものと知るべきである。
これはなにも食味のみに限った原理ではなくて、よろずの生活智において然り、学問的真理探究においても然り、ブッキッシュな知識や、人づての聞きかじりってのは、しょせん借り智慧にほかならぬ。
しかしながら、人生は短い。時間は有限である。金だって無尽蔵にあるわけではない。なにごとも効率良く結果を得たいと思うのは道理であるけれど、いやいやそうは問屋が卸さないのである。
無限に存在する諸現象を、あまねく知ろうとしたところで、人生はあまりに儚[はかな]い。一人の人間の為しうることは九牛の一毛、おのずからほんの僅かのことに過ぎぬ。
まずはそう悟道するところから始めなくてはならぬ。
そうして、その朝顔の露のように儚い有限の人生を以て、無限の現実に立ち向かおうとするのは、蟷螂[とうろう]の斧にも似た無謀なる挙だけれど、いや、それが人生というものの実相にほかならぬ。だから、ほんのわずかのことを知り得て、ほんの数軒の名品を舌頭にし得たならば、以て暝[めい]すべきところであろう。
そんなことをすればずいぶんと無駄が出るであろうと心配してくれる人もある。
然り、無駄は夥[おびただ]しい。およその打率で言えば、見知らぬ店に十軒入ったとして、まずと思えるのが一軒か二軒、とびきり良いなあと、裏を返したく思う店は百軒に一つあれば良い。すると、大半は「失敗であった」と思うのだが、いやなに、人生は失敗の膨大なる集積にほかならぬ。長嶋茂雄イチローのように、そうポンポンとヒットが出るものではない。
しかし、その残余の「失敗」こそ人生の味わいで、世の中に「旨いもの噺」はたくさんあるけれど、まあいわゆるグルメ談のごときを聴かされるのは、あまり愉快ではない。けれども、こんな不味いものを喰ってしまった、という失敗談ともなると、これは十人が十人とも喜んで聴いてくれる。そこに食味談の精髄があると言ってもあながち過言ではあるまい。
そこで私は、夥しい試行錯誤の結果として、不味い店くだらない味の話ならいくらでも嚢中にあるゆえ、「東京不味いもの百選」なる本でも書いて進ぜようかと、編集者に提案してみたこともあるが、そういうものを書くと当該の店から名誉棄損で訴えられる虞があるので決して実現する気遣いはない。呵呵。
かくて、「解説に代えて」と題したものの、なんの解説にもなっていないのだが、しかし、この本のなかには、いずれ劣らぬ味の偏屈人たちが、堂々の論陣を張って甲論乙駁しておるのは、たしかに一奇観とするに足るであろう。じっさいの詳しい解説は、すでに大河内昭爾氏の「選者解説」という佳品が備わっているので、この上贅言を弄するには及ばぬ。
私の務めはただ、こうして世の中のグルメなどというものが如何に胡乱[うろん]なるものであるかを縷々[るる]演舌すれば足るというものである。それゆえ、私は迷うことがない。なんのガイド本も見ず、誰にも聞かず、ただひたすら自らの足と目と舌とを以て試行錯誤する。

(巻二十六)時雨忌や自販機並ぶ宿場跡(八幡より子)

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(巻二十六)時雨忌や自販機並ぶ宿場跡(八幡より子)

6月29日月曜日

散歩と買い物

パジャマとTシャツを買いに白鳥生協の二階の島村に出かけた。
胸ポケットの付いている外衣に分類されるであろうTシャツを探し、三枚購入、パジャマは綿長袖を一着購入した。締めて税込みで五千円くらいである。

あまり広くない店内に帽子から靴下まで一通りの男女衣類、子供洋品を揃え、さらにタオルなど繊維製生活用品まで置いている。
女性衣類は急場凌ぎの婦人用礼服、ちょっとした外出着に見せる下着と多品目を取り揃えているのでそれぞれの品目の品揃えは豊富とは言えない。
男物売り場は全体の四分の一くらいで、例えば男物のパジャマはご覧の一列だけだ。
だが、私のような場末の貧乏人が逝くまでの間に合わせに安価な品を欲するとき、こういう店があってくれるのはありがたい。

逝くまでを俳句と少しの冷酒と(寺嶋龍)

本日四千二百歩、階段二回でした。

BBC

そんなわけで、衣類関係の番組を聴き返してみた。

 Smart Consumer 
 
https://www.bbc.co.uk/programmes/p07nxkt9
 
Second-Hand Clothes

0145:“Lot of this is because of back
rush against fast fashion, the idea of wearing some three times and throwing away. And the effects of all that xxxxx environments. According to Oxfam, 11 million items of clothing end up in landfill every week.
At the start of London Fashion Week earlier this week, climate change  activist group Extension Rebellion called for the event to be chancelled. ”

私が室内着にしているTシャツで一番古いものは15年以上前に買ったもです。首の回りは擦りきれておりますよ。
そして最期は雑巾にします。

有為転変母の浴衣が雑巾に(生出鬼子)

世事:

テレビで首都圏ニュースを見ていた細君が「水野先生が出た!早く早く!」と呼ぶ。水野先生とは感染症の指導医で流行り病の解説者としてこの番組に時々出演される医者先生である。
水野先生の抑制の効いた話ぶりから、私たち夫婦は先生のお見立てを信頼しているのである。

だが、

行く末は透明ならず心太(兵藤康行)

というお話だった。

願い事-わからないうちに、叶えてください。
メメント モリ。