(巻二)桃咲かば 雛(ひいな)に似たる 人や来(こ)ん (乙州(おとくに))


5月9日土曜日
晴れ。朝家事は洗濯と掃除機がけ。風が強く、洗濯物は部屋干し。
10時15分ころから散歩に出かけた。図書館に寄り3冊借りて、お稲荷さんにお詣りしてポックリほかをお願いして55円献納致した。コンちゃんは日蔭にいて起き上がらず。
7ー11でカフェオレを買い、クリニックの前の横断歩道を渡り天使さんと手を振り合う。
亀二都住に着くとお雪とシンちゃんが一緒に花壇の草むらから出て来た。差し入れがないので早めの食事にしたがシンちゃんはほとんど食べず。お雪には3回に分けて1袋半。40分ほどセラピーを受けてお皿を片付け終わったところにクロちゃんがやってきた。看板ですとも言えず、大粒のフードを直置きして食べて頂いた。半袋ほど食べて直ぐに何処かへ行ってしまった。クロちゃんが3匹の中では一番行動範囲が広いようだ。以前は猫兄さんが庇護していたが、今はあまり面倒を見ていないようでその厳しい生活がクロちゃんを広域渡世猫さんにしたようだ。
生協に寄り朝食用品、キャットフードほかを買い、あんパンをかじりながら帰宅。

今日は
What does collagen for you?

https://www.bbc.co.uk/programmes/w3ct5xn5 
を聴いて、1600~2137の書き取りに努めた。分かりやすくない内容を聞き取りやすくない英語で話されたがなんとか粘った。

愛鳥週間おんな同士のよく喋り(成瀬桜桃子)

 

願い事―ポックリ御陀仏。知らずに仏。

 

昨日はブログ「随筆筆写」に51の方が訪れ、53のアクセスがあった。
トップはアクセス7で、

「『告白的女性論-北原武夫』の解説 - 香山リカ」ちくま文庫

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/33269131/

2位(アクセス5)は

「へんな毒すごい毒 (抜書3篇)ー 田中真知」

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/34449458/

3位(アクセス4)は

「東京-大阪、深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと - スズキナオ」

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32451963/

4位(アクセス3)は

「死の比喩(抜書) - 細川亮一」現代哲学の冒険①死 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32390529/

「強欲な老人 ― 土屋賢二」文春文庫 急がば転ぶ日々 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/33868097/

6位(アクセス2)は

「フランス座にいた、或る男 - 玉袋筋太郎」キッドのもと から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/33603848/

「いま失えば、二度と会えない人 ー 三浦哲郎」日本の名随筆31婚 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/34538035/

で、「老人」ということで、

「老いの恋愛と死(一休・良寛・一遍・円空-そして私) - 佐江衆一」文春文庫 95年版ベスト・エッセイ集 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32327429/

を紐づけ致しました。

「泉岳寺ー札の辻 ー 獅子文六」河出文庫 ちんちん電車 から

 

「泉岳寺ー札の辻 ー 獅子文六」河出文庫 ちんちん電車 から

折返してきた電車は、六○○○型というやつで、一番多い型だが、無論、鋼鉄製で、 前後に出入口があって、行先は、昔なつかしい上野行。系統番号標は、1と書いてある。
品川―上野線は、これはもう、1でなければならない。都電の大動脈であり、最も古い路線だからである。しかし、品川から上野行に乗るとなると、どうも、濃緑色に塗った木造のボギー車の方がふさわしい。あのボギー車と、今の六○○○型あたりと、 どっちが大きいかと、専門家に訊いてみたら、それァ、今の方ですよということだったが、どうも、私は昔のボギー車の方が、偉観を呈していたと思う。そして、ボギー車は、先ず、品川・上野・浅草間の本線に配車され、山の手や場末は、走らなかったものである。そして、それに乗って――――上野までタップリ乗って、片道七銭は安かった。もっとも、今でも十五円で行けるのだから、こんな安い乗物はないが、全区乗通す人はないらしい。品川から上野へ行く人は、運賃は高くても、国電を利用する。無論、いくらか速いにきまってるが、何をそのように急ぎ給うや。
品川から乗込んだ客は、約二十人。午後三時頃だったが、学生風の若者が多く、中年の男女がこれに混じる。二十人乗っても、座席は、ガラガラ。ここが現代の都電の長所であって、昔はいつも混んだ。しかるに、路面電車撤廃論者は、空いているということをタテにとって、無用性を強調するが、冗談じゃない。ラクに坐れるということが、文化国家の交通機関の条件であって、満員スシ詰めでないと、乗物の気分が出ないというのは、痴漢と心得ていい。
さて、空いた電車が、走り出したが、車掌さん、さすがに、もう、「動きまァす」 とはいわない。しかし、“チン、チン”と紐をひいたのは、昔どおりである。車掌さんは年の頃、三十過ぎで、働き盛りだが、小生の好みの老車掌までにはほど遠い。老車掌は各車庫にいるらしいが、数が少ないので、運のいい日でないと、お目にかかれない。
しかし、この車掌さん、ちょっと変人らしく、無口である。切符切りに入ってきても、何にもいわない。ほんとは(つまり、乗務員心得手帳に書いてある正規の文句は)、
「まことに、ご面倒さまでございますが、乗車券をお切らせ願います」
というのだが、その通りにいう車掌さんは少ない。老車掌は「エー、ご面倒………………」 ぐらいに、短縮してしまう。それで、結構通じるのだから、差支えないが、戦後現象として、オシの車掌さんが、ボツボツ出てきた。つまり、何にも口をきかないで、商売をしようという連中である。人不足で、車掌さんの募集も、鹿児島あたりまで、出かけるそうだが、地方人は口が重いからだろう。今日の車掌さんも、鹿児島県人かも知れない。
「エー、次は、東禅寺……」
私は、彼が次駅のアナウンスをするかと思ったら、何にもいわない。そのうちに、 その停留所のあったところを、スーと飛ばして、走ってしまった。車外を見ると、もうそんな停留所はなくなってる。慌てて、携帯の電車地図を見ると、品川の次駅は、 高輪北町というのである。車掌がアナウンスしないのも、ムリはない。
やれ、やれ。ずいぶん、変ったものだ。品川の次は東禅寺、庚申堂、泉岳寺、伊皿子、札の辻――と、チャーンと暗誦できたのに、まるで役に立たなくなってしまった。旧駅名で残ってるのは、泉岳寺と札の辻だけである。でも、初代イギリス公使館に使用された東禅寺は、今でも、寺格のある寺として残ってるし、停留所のなくなったのは、惜しい気もするが、ノロノロの汚名を挽回すべく、間引いたのであろう。

泉岳寺で降りる。一緒に、三人の若者が下車したが、都電に近距離乗車が多くなった証拠を見た。昔なら、これくらいの距離は、歩いたものである。 泉岳寺で降りた所以は、無論、泉岳寺に参詣のためだが。元禄の昔をしのぶよりも、 明治末期の回顧が目的だった。三田の学校に通ってる頃に、よくこの停留所で下車した。札の辻から品川までの間に、食欲を満足させてくれる場所は、ここだけだったからである。
あの頃の方が、泉岳寺の参詣者が多かったのだろうか。寺の山門に至る両側には、 飲食店と土産物屋が、軒を列べていた。天ぷら屋、すし屋、ソバ屋――何でもあった。 もっとも、昔は道幅も今の半分で、賑わいも一層だったのだろうが、現在は、四谷の方へ行く電車が、参道を走ってるくらいで、普通の道路化するのが、当然だろう。それでも、まだ一軒の天ぷら屋とソバ屋が残っていて、昔をしのばせるが、参詣客とは関係ないとのことだった。近頃の参詣者は、観光バスに乗ってきて、サッと来て、サッと帰るので、食事をする者は、皆無になったそうだ。昔は、泉岳寺詣でといえば、 半日の行楽だから、一度の食事か、少なくとも、甘いものぐらいは食った。
その甘いもので、なかなか評判の店があった。海側の停留所のすぐ前であって、 “義士だんご”という看板を出してたが、実は汁粉屋だった。義士だんごは、円いおはぎを串にさしたようなもので、少し上品で、学生向きでなかったが、汁粉の方はうまかった。その家は、吉原の有名な義士ファンの幇間と、吉原芸妓の夫婦がやっていたというが、二人とも、もう、ジイさんバアさんだった。私たちは学校の帰りだから、 店の中の椽台で食べたが、普通の客は座敷に通った。昔の汁粉屋の客は、皆、座敷へ上がったものだが、ここの座敷からは、すぐ、海が見渡された。品川の海が、まだ、 高輪の岸を洗っていた時代である。
変り果てた泉岳寺門前を見て、引返そうと思ったが、せっかく来たのだから、義士の墓へお参りをした。二十円の入場料をとるのには驚いたが、案外、参詣者の多いのにも驚いた。もっとも、若い連中の姿は見えない。吉良上野の首を洗ったという井戸も、まだ残ってるが、子供の時には、大変凄惨な気持で眺めたのに、今度は、ただの水溜りに過ぎない。ただ、井戸の石垣の建立者の名が、川上音二郎と刻まれてあるのには、微笑を誘われた。明治時代にも、宣伝の大家がいたもので、岩谷天狗(煙草業者)と列んで、この壮士俳優は、双璧といえるだろう。
どの義士の墓にも、線香の煙があがってるが、一束十円とる。泉岳寺さん、少しソロパンが細かいね。線香代二十円にしていいから、入場料の方はやめたら如何? 墓地の入場料というのは、亡者から取立てるべきだ。
義士の墓に刻んである文字で、私が驚いたのは、堀部弥兵衛の行年七十七、間喜兵衛の六十九なぞである。よくその年でチャンバラがやれたもので、現代の老人がゴルフで一ラウンド・ハーフ廻るなんてことと、比較にならないのである。

再び1番線に乗る。車内の空いてることは、前と変らない。
車外を見て、気づくのは、高輪附近に自動車関係の会社の建物が、非常に殖えたことである。赤坂溜池も自動車会社街だが、こっちは国産の大メーカーが多い。泉岳寺の飲食店も、参詣客の代りに、自動車会社の社員が、お得意さんだという。その他、 ホテルやマンションの建物が目立つ。昔はこのあたり、シモタ屋ばかりであって、道幅も狭く、電車はその軒先を走ってた。私の文学青年時代に、夜間、泥酔して、車掌台から街路に放尿したということを、高田博厚が書いていたが、それはこの附近だった。そんなバカな所業ができたのも、街路が暗くて、通行人も少なかったからだろう。今はオナラも憚られるほど、近代化した道路であって、関東大震災後の市区改正で、 幅員も昔の三倍ぐらいになったのだが、近代化したのは、この戦後からである。泉岳寺の次は、庚申堂という停留所だったが、以前はその寺の古びた石門や、黙阿弥の芝居に出てきそうなお堂が、電車道に面していたのである。
その変遷の中にあって、高輪大木戸の石垣が、まだ街路に姿をとどめてるのは、不思議なほどである。四谷の大木戸と同じく、江戸の関門であって、人を堰くから、附近に茶屋や料理屋が列んでいたそうだが、そんな時代に生れていたわけではない。
今の停留所の田町九丁目は、以前の伊皿子停留所附近だと思うが、全然旧態をとどめない。しかし、札の辻の近くの旧浅野一郎は、そのコンクリートの一部を、まだ存しているのが、懐しかった。

懐しいなぞとは、今の感情であって、当時の浅野邸は、大変目障りな建物だったのである。浅野総一郎は浅野セメントと東洋汽船の社長で、成金で、あまり評判のよくない人だったが、電車道からの丘の上にかけて、どエラい邸宅を建てた。お手のもののセメントで、エンエンたる高い塀を築き、門は石造りで、二本の柱の上に、金のシャチホコを載せたのである。中学生の私が、軽蔑の念をもって、その門の前を通行したくらいだから、よほど、悪趣味の評判が高かったのだろう。
ところが、敷地の南寄りの方に、小さな西洋洗濯屋があって、ムサ苦しきものを干すから、浅野側で買取にかかったのである。しかし、洗濯屋のオヤジが変り者であっで、頑として応じない。当時は、江戸っ子気質なるものが、まだ価値を存していたから、このオヤジは、その代表者として、大衆紙の萬朝報あたりで、大いにオダてられ富貴に屈せざるは、江戸っ子なりというのである。事実、そのオヤジも近頃のゴテドク派ではなかったらしく、買取値段をいくら釣り上げられても、ガンコに居据わったのである。結局、浅野部はその洗濯屋の部分を避けて、塀をつくったから、そこだけ凹んだわけで、しかも、屋根の上に高々と、ムサ苦しきものが翻ってるから、奇観この上もなく、わざわざ電車に乗って見物にくる者もあった。
しかし、それからもう半世紀たち、総一郎翁も、その嗣子さえも、この世の人でなく、浅野邸跡は中学校とマンションに化した。ただ、どういうものか、札の辻寄りの方に、少しばかり、昔の塀の一部が、残されてるのである。私はそのコンクリートに見覚えがあるから、それと判別するものの、ありし日の栄華の跡と気づく者は、ほとんどあるまい。

(巻二)十五から 酒を呑出て けふの月 (宝井其角)


5月8日金曜日
曇り。朝家事は特になし。細君は駅前クリニックへ出かけて、午前中を独り過ごす。細君、意外と早くあんパンを土産に帰宅。
1時半ころから散歩に出かけた。富士の湯を経てダイコク邸を訪れたがご不在。リハビリ病院の売店で素朴なお母さん店員さんからミルクティーを買い、亀二都住の石段へ。シェルターにいたお雪とシンちゃんが直ぐに来てくれた。お雪がよじ登ってキスをして熱烈歓迎をしてくれる。
差し入れはなく、直ぐにお食事を差し上げたがそれほどお腹が空いてはいなかった様子だ。シンちゃんは半袋。お雪には3回に分けて1袋半。シンちゃんの甘噛みはかなり本気になっているが、2匹とも私を愛してくれている。
バイクの猫婆さんと言葉を交わす。「今日もクロちゃんがいませんですね」と、言外にクロちゃんも仲間外れにしないでね、と。
で、40分ほどセラピーを受けて退去。生協であんパンだけ買って、それをかじりながら帰宅。

今日は
Can you afford to retire?
https://www.bbc.co.uk/programmes/m001nw27 
を聴いて、0409~0825の書き取りに挑んで跳ね返された。Money Boxがしっかり書き取れるようになれば一人前かな?まっ、一人前には成れずに瞑目だろうが。

二十歳のころ、退職していく方々を見てああいう人生を送るのかなあ~と漠然と思った。で、結果的にそういう人生を送っているが50年前の想定の通りになってしまったなんて奇跡的なことだな。

湯上りや世界の夏の先走り(平賀源内)

 

願い事―ポックリ御陀仏。知らずに仏。

 

昨日はブログ「随筆筆写」に42の方が訪れ、49のアクセスがあった。
トップはアクセス4で、

「美醜についてー福田恆存」筑摩文庫“私の幸福論”から

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「回転寿司と財産犯 - 橋爪隆」巻頭言、法学教室2022年2月号

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32387538/

2位(アクセス2)は

「サザエさんの性生活 - 寺山修司」角川文庫 家出のすすめ から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32296453/

「死の比喩(抜書) - 細川亮一」現代哲学の冒険①死 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32390529/

「東京-大阪、深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと - スズキナオ」

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32451963/

「『告白的女性論-北原武夫』の解説 - 香山リカ」ちくま文庫

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「フランス座にいた、或る男 - 玉袋筋太郎」キッドのもと から

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「自殺できて安堵しております ― 西部邁」私の死亡記事 から

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「行政法 ストーカー規制法4条1項の警告の処分性 ー 神戸大学教授 興津征雄」法学教室 2025年3月号

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/34508660/

「行政法 国家賠償法2条1項の「瑕疵」と営造物の「本来の用法」ー 一橋大学教授 田中良弘」法学教室 2025年8月号

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/34721051/

ほかでした。

で、『死の比喩(抜書)』でソクラテスが紹介されていますので、その処刑・毒殺に触れている

「へんな毒すごい毒 (抜書3篇)ー 田中真知」

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/34449458/

を紐づけ致しました。

「品川というところ ー 獅子文六」河出文庫 ちんちん電車 から

「品川というところ ー 獅子文六」河出文庫 ちんちん電車 から

私は都電の愛乗者だが、この頃は、乗る区間が一定してしまった。浜松町と四谷三丁目を走る33番線の一区間である。こういう裏街道の方が風情があって、都電のダイゴ味がわかるのだが、ものの順序からいって、幹線を語るべきだろう。 都電の幹線といえば、更めて、電車地図を見るまでもない。東京を縦断する品川・上野線だ。これは、歴史的に最も古い電車道であるばかりでなく、東海道であるから、 起点の日本橋の上を通り、奥州街道へもつながる、江戸以来の大通りである。
それに、私にとって、この道は、大変、馴染みが深い。 品川・浅草線なんていうと、わが青春時代の追憶が、泉の如く湧いてくる。実際、 その時分は、浅草へでも行かなければ、体のモテ扱いに困ったほどで、銀座と若い者の繋りができたのは、ずっと後のことだ。勿論、新宿、渋谷、池袋なんてものはない。バーも、喫茶店も、パチンコも、ボーリングもない。でも、浅草へ行けば、活動写真館が何軒もあって、汁粉屋があって、安いスキヤキ屋もあって、十二階下というようなところもあって、東京の歓楽境として、唯一の場所だった。観音様というものがあるから、ジイさんバアさんもでかけたけれど、若い者の行先だって、他にはなかったのである。そして、観音様に用がないから、電車は田原町というところで降りる。そこが、六区に一番近い。だから、浅草へ行くのに、上野行へ乗って、上野で降りず、 行先が浅草に変更になるから、そのまま、田原町へ行く。その方が、時間的にも早いということが、研究済みだった。
そんなに浅草へ通ったのは、私たち軟派青年ばかりではない。山の手インテリの代表者である“白樺”の同人だって、浅草に足を踏入れた形跡が、彼らの書いたものに残っている。
上野へ直行する場合は、もっと、高尚な動機があって、"文展”見物が多かった。 今の美術館ができる前で、竹の台の博覧会跡のバラックで、“文展”が行われたが、 上野の秋色が、明らかに感じられ、心気爽然とした。当時の青年は、そういう感傷も愛したのである。
ところで浅草や上野へ行くのに、なぜ、品川から電車に乗ったか、ということである。当時、私の家は大森にあったが、汽車の終点は、旧新橋駅だった。そこから電車へ乗れば、時間が経済なのは、わかりきってるが、敢えて、品川で下車する所以は、 その区間の汽車賃を、浮かすためである。電車の方は、どこまで乗っても、均一料金だが、汽車は、一つ手前の品川で降りると、五銭助かる。その五銭という金は、なかなかモノをいう時代であって、学生の身として、軽視できなかった。
もう一つの因縁は、私は、学校生活というものを、小学校から大学部まで、三田で送ったので、この幹線の札の辻停留所で、長年にわたって、乗降した。中学卒業頃に、 国電田町駅ができたが、それまでは、都電以外に乗物はないのだから、お世話になる外はない。そして、新橋・品川間の開通が、東京の電車の始りだが、その当時から乗ったのだから、この線が、一番馴染みが深いのである。

そこで、今度も、私は品川から、電車に乗ってみることにした。
ほんとに、久振りである。いくら、私が都電好きでも、品川まで乗りにくるという気になれない。また、この附近は、文士商売に用のない土地で、数十年前に、次の停留所で、今はない。東禅寺』の横丁に、第一書房が存在したぐらいのところである。この出版社も、今の人は知らないが、近代劇全集その他、西欧文学の紹介で、人気のあった本屋だった。社長の長谷川巳之吉というのが、キザなりに変った男で、一見識 持ってた。私も近代劇全集の翻訳をしてたから、時々、この本屋を訪れるために、品川へきたが、あの全集が古本屋で高値を呼ぶほど、遠い過去になってしまった。
そして、久振りに、品川終点へきてみると、どうも、様子がちがう。いつの間にか、 終点が、品川国鉄駅前になってる。昔の終点は、八ツ山といって、もう一つ先の陸橋の近くだった。そこで、車掌さんがエンヤラと、ポールの綱をひいて、方向を変えたものである。今はポールはなく、パンタグラフ(ほんとは、ビューゲルというのだそうだ)になったから、そんな世話はない。
しかし、終点が八ツ山だったことは、大いに意識を持ったのである。夜の乗客で、八ツ山で降りる人の三割は、品川遊廓が目的だったろう。陸橋を渡れば、すぐ品川宿で、街道の両側に、古風な娼屋が軒を列べた。吉原のような大廈高楼がない代りに、気の置けない遊びができたらしく、 女郎衆の気風も寛達で、落語の『品川心中”なぞ、他の場所では不似合いだろう。
私なぞは品行がよかったから、この宿へくるのは“三徳”という夜明かしの小料理屋を愛用したためだった。今は、どこも、夜明かし流行だが、以前の東京は堅気だったから、終夜営業の夜は遊廓内に限ったもので、従って、市内で飲み足らぬ場合は、 “三徳”に足を運ぶのが常だった。そんな店が何軒もある中に、“三徳”のカニやアナゴは優秀であり、客扱いもサッパリしてた。座敷から、すぐ海が見え、潮風が吹込んだ。
ある夏の夜、私は友人とここで飲んでいたら、夜が明けてしまった。房総の山から、 日の出が見えた。さすがに、その時刻には、入れ混み座敷の客も少なかったが、ふと、 近くの席で、一人の品のいい老人が、食事をしてるのが、目に入った。白いヒゲを生やし、大変姿勢正しく、カタビラのようなものを着て、しかも、ハカマをはいてる。 そして、“三徳”の客としては珍しく、酒を註文しないで、飯を食ってる。それだけでも珍現象だが、もっと驚くべきことは、女中がその前に畏って、お給仕してるのである。『三徳』の女中なんて、料理をドスンと置いてくだけで、ロクにお酌もしてくれず、そこが、かえって気安く飲める所以でもあったが、それにしても、これは、大変な差別待遇である。第一、『三徳”の女中が、キチンと坐ることを、知ってるのかと、おかしくなった。
その客は、飯を食べ終ると、直ちに勘定を命じ、その時に、よほどチップをはずんだと見えて、女中がペコペコした。差別待遇の理由は、この辺にあるかと、私も合点したが、この時刻に、こんな料理屋で、朝飯を食う老人の正体が、サッパリ腑に落ちなかった。
そこで、新しいお銚子を、運んできた女中に、
「あのジイさんは、何者だい?」
と、訊くと、ただ“お馴染みさん”というだけで、なかなか自供しなかったが、大いに追求して口を割らせた。
その老人は、芝あたりの質屋のご隠居だそうである。もう何年も前から月二回の割りで、この遊廓の名の売れた店へ遊びにきて、アイカタもきまってる。そして、遊んだ帰りには、きまった時刻(日の出ごろ)に、『三徳』へきて、きまった料理を食って帰るのだそうだが、女中には、料理の註文以外に、一切、口をきかない。窮屈なお客さんだけど、きまって、チップを沢山くれるから、大切にしないわけにいかないという。
きまった料理とは、何かと訊くと、
「いつも金ブラと、かき卵よ。ハンコで捺したようだわ」
なるほど、老人は補精の必要上、そんなものを食うのかと、私たちは笑ったが、あの年で、月に二回も登楼をするのかと、いやらしく感じた。
目下、こっちがその老人以上の年齢になって、彼のことを回想すると、いやらしくも何ともない。むしろ、羨望に堪えない。恐らく、彼は愛妻に先立たれて、後妻を迎える気にもならず、さりとて、完全老衰でもない身をもてあましてたが、そこには質屋のご隠居だから、ソロバンは細かく、二号を置くより、月二回の登楼の方が割安であると気づき、息子も公認の上で、定期的遊興を続けていたのでもあろうか。昔はそういう健実なる遊客も、存在したことに、人生を感じるのだが、それにしても、遊びに出かけるのに、ハカマをはいた心理は、どう考えても、解きがたい。



(巻二)梅一輪 一輪ほどの 暖かさ (服部嵐雪)


5月7日木曜日
晴れ。薫風。朝家事は洗濯。細君が生協から戻るのと入れ替わに散歩に出かけた。図書館に寄り2冊返却。図書館は月曜日の振替で休館。そこから最短ルートでクリニックへ行き、午後の診察の予約を致した。受付には事務長さんと天使さんがいたが“人の恋路は邪魔しません”ってな感じで事務長さんが後の部屋に消えた。
クリニックからリハビリ病院の売店へ歩き、素朴なお母さん店員さんからミルクティーを買い、亀二都住の石段へ。石段にはすでにシンちゃんが寝そべっていて、お雪はシェルターから出て来た。差し入れは無く、お雪がガッツク。お雪が2袋でシンちゃんは1袋。
生協に寄り、海苔茶漬けとあんパンを買い、あんパンをかじりながら帰宅。
午後2時半に家を出てクリニックへ向かう。途中、亀二都住に寄りお雪とシンちゃんと遊ぶ。
クリニックには3時半着。町医者の鑑先生の診察を楽しみに来ているのに、先生は往診に出たとかで代診。呼び込みも予定時間を30分以上過ぎていた。で、診察。不満そうな顔をしてもいいことはないので老人の対応を致した。会計は天使さんがやってくれて、少しお喋りをして、明るい気分で退去。
キヨタ文具店さんから電話の着信があり、薬局で斉藤さんに処方箋をお渡ししたあと一時退出して文具店へ向かう。
取り寄せをお願いしていたプラチナの万年筆が届いていて、それを買い、更にパイロットの4400円の万年筆も買った。ご商売とは言え大金持ちなのに夫婦して腰が低い。
で、薬局に戻り薬を頂き、生協に寄りあんパンを買い、かじりながら帰宅した。
早速万年筆の試し書きをいたした。どちらも滑らかにインクが出る。どれも最初はよいのだ。最初は!

今日は
Airport Lounges: For the Many or the Few?
https://www.bbc.co.uk/programmes/m002q38w 
を聴いて、0318~0748の書き取りに励んだ。単に英語能力だけの問題だけでなく体調や気力の状態が出来に繋がる。そういう意味では今朝は好調でした。
https://nprtheeconomistpapers.hatenadiary.com/entry/2026/05/07/115143
 
新緑やうつくりかりしひとの老(日野草城)

 

願い事―ポックリ御陀仏。知らずに仏。

 

昨日はブログ「随筆筆写」に43人の方が訪れ、50のアクセスがあった。
トップはアクセス6で、

「東京-大阪、深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと - スズキナオ」

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32451963/

2位(アクセス5)は

「離別、死別・・・パートナーがいない中高年こそ、マスターベーションを ― 富永喜代」女医が導く60歳からのセックス 扶桑社新書 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/33888921/

3位(アクセス3)は

「美醜についてー福田恆存」筑摩文庫“私の幸福論”から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32294525/

「海外に出て行く。新しいフロンティア(抜き書き) - 村上春樹」新潮文庫 職業としての小説家から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32308144/

5位(アクセス2)は

「サザエさんの性生活 - 寺山修司」角川文庫 家出のすすめ から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32296453/

「自殺できて安堵しております ― 西部邁」私の死亡記事 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/33934341/

「なぜ読書が必要なのか ー 田中慎弥」孤独論 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/34509905/

「いま失えば、二度と会えない人 ー 三浦哲郎」日本の名随筆31婚 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/34538035/

でした。で「夫婦愛」ということで、

「智恵子の紙絵 ー 高村光太郎」日本の名随筆68 紙 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/36349422/

を紐づけ致しました。

「なぜ都電が好きなのか(後半) ー 獅子文六」河出文庫 ちんちん電車 から

「なぜ都電が好きなのか(後半) ー 獅子文六」河出文庫 ちんちん電車 から

そこへいくと、都電である。
都電ぐらい、乗り心地のいいものはない。大人物でなくても、いい気持に居眠りができる。乗り心地のよさは、いろいろの点からくるが、まず軌道の上を走ることが、
魅力である。電車が軌道の外を走らないということは、今の東京の交通混乱の中にあって、まったく見上げた態度である。 時として、脱線することがあるとしても、人間の行蔵[こうぞう]に比べれば、ものの数ではない。都電がいかに行儀のいい車であるかは、絶対に割り込み」をしないということでもわかる。
第二の安全性は、都電が路面を走る車のうちで、最大の容積を持つことである。あの交通戦争に面して、誰も身を護らねばならず、私は金庫と同じ車体を持つ車の建造を、考えたが、結局、都電に乗る方が、簡単であり、 都電に乗る方が、簡単であり、安上りであることに気づいた。 衝突は免れない事故だが、必然的に、弱肉強食であって、軽くて小さい者が、犠牲者となる。最近も、都電と観光バスが衝突した写真が、新聞に出ていたが、ペシャンコになったのは、後者であった。断然、都電が強いのである。しかも、この街頭の強者は、滅多に人を轢かない。もっとも、昔はよく人に危害を加え、そのために車体の前部に、救助網というおかしなものを備えつけていたが、最近はその用途がない。都電に轢かれるなんて、よくよくマヌケな人間ということになった。
軌道の上を走る点では、国電も、地下鉄も同様であるが、なぜ、都電だけが、乗り心地がいいかというと、スピードを出さないからである。
都電の低速力ということは、今の時点で、非常な魅力となってるのを、気づかない人が多い。軌道を走るのに、あまり高速力を出すと、不快な動揺を起すことは、国鉄新幹線へ乗って見ればわかる。地下鉄のうるさい轟音も、スピードを出すからである。 軌道の上を快く走行するには、速力の限度があり、都電はそれを超そうとしない。青山一丁目——渋谷あたりの軌道床工事のよくできた路線を、七五○○型の新式電車で、 低速(というよりも、あれが尋常の速力)で走る時の乗り心地は、コタエラレンというほどのものである。
こんなことをいうと、お若い連中は、都電の欠点は、スピードを出さないことじゃないかと、食ってかかるだろう。
しかし、私は反問したい。今の東京のあの大混雑のなかで、高速力で走れるどんな車があるというのですか。タキシが神風運転をやったところで、それは瞬間の高速力で、すぐ信号にひっかかる。あの停車時間を勘定に入れると、決して速い乗物ではない。国電や地下鉄は、そんな妨害はないといっても、切符を買ったり、階段を昇降したり、通路の人混みのアリの歩みを計算すると、意外な時間を空費するものである。
ところが、あのノロノロ都電が、思ったよりも早く、目的地へ運んでくれるのである。 乗降に手間のかからない点もあるが、ノロノロにみえて、 あれで、見かけによらず、速いのである。かりに、朝の六時ごろに、池袋から数寄屋橋まで、都電に乗ると、十七分で行ける。これは、地下鉄より速いのである。勿論、街路が混雑してくると、そんな芸当はむつかしいが、それでも時速十二キロぐらいは出すのである。人間が歩くのが、四キロだから、大分速いことになる。
一体、東京の街路で、スピードを愉しむとか、利用するとかいう時代は、疾くに過ぎてる。そんな考えは、赤シャツを着て、オートバイを飛ばすアンチャンといえども、 もう捨てている。いかにして、比較的安全に、そして比較的快適に、乗物を利用するかが、今日の課題である。エライ人の高級自動車がノロノロ走ってるのは、何よりの証拠である。

都電が乗り心地がいいといっても、混雑する線や時間は、他の乗物と変らない。ラッシュの時に、15番線(高田馬場——茅場町) 2番線(錦糸町―都庁前) なぞへ乗ったら、サンザンである。真に、都電乗車の醍醐味が知りたかったら、午下り頃に、8番線(中目黒―築地)とか、12番線(新宿 両国)へ、乗る必要がある。
私は医者通いをするために、十三時頃、赤坂新坂町から信濃町まで乗車することが多いが、この3番線も、醍醐味に溢れてる。
そんな時間には、配車数も少ないので、車がなかなかやって来ない。しかし、ジレてはいけない。釣りでもする気になって、悠然と待つのである。これが肝心。 その落ちついた気分で、静かに乗車すると、きまって空席があるから、ゆっくり腰かけられる。このコシカケが、どんな乗物よりも、工合よくできてる。といって、クッションのことではない。向い側の窓から、外の景色を眺めるのに、角度と高さが好適なのである。地上から計算して、ちょうど頃合いの寸法なのかも知れない。しかし、 街の景色なんて、見てもしようがないという向きには、向い側の座席のお客さんを見物することを、勧める。大体、都電に乗る客に、金や権力をカサにきた、不愉快な人物はいない。また、ヨタモンのような者も不思議と、都電に乗らない。健全な庶民が多いのだが、その人たちの顔を眺め、生活を考えてると、興味なぞは通り越して、人間世界の勉強になる。ある大雑誌社の社長が、編集部員に限って、社の車に乗せず、 都電を利用させた理由に、思い当るのである。
そういうジミで、健全な乗客のために、おのずから、車内のムードが生れるのだが、 それを助長するのが、車掌さんである。
ヒマな線には、よく、五十がらみの車掌が乗ってるが、勤続三十年近い連中であって、態度挙止がひどく落ちついている。
「ご面倒ですが、乗車券を・・・・・・」
と、車内に入ってくる様子が、悠揚として、どこかに不正乗客はいないかと、眼を光らす国電車掌と、およそ縁遠い。そうかといって、モーロクしてるのではなく、老姿や子供の降りる時には、後からくる自動車への配慮なぞは、よく行届く。ただ、動作が緩慢で、コセコセしないだけである。これが、大変、車内のムードに影響する。 というのも、彼等の勤続年限が長くなると、想像以上の高収入があり、また、停年退職の手当もいいので、息子は大学へ入れ、自分は朝顔の鉢でもいじる生活の余裕があり、精神のバランスを持ってるからだろう。都電の車掌に限らず、大衆と接触する職業の人は、巡査でも、区役所の窓口係でも、思い切って高給を与え、衣食足りて温顔と良識の生ずるように、計らうべきだろう。
私は都電に乗って、老車掌がいると、シメタと思うのだが、実際、彼等が乗組んだ車でないと、あの快適な乗り心地は味わえないのである。彼等は、民衆の宝であり、 そういう宝物の生れたのも、都電の歴史の古さがあるからである。

(巻二)知らぬ間に 正座して見る 天の川 (奥津伸司)



(巻二)知らぬ間に 正座して見る 天の川 (奥津伸司)

5月6日水曜日。曇り。連休は今日までだそうだ。
朝家事は特になし。10時ころから散歩に出かけた。ダイコクを訪ねたが不在。隣接の公園では、すでに世を拗ねてしまったような茶髪、ピアスの中学生男子3人が自転車を乗り回していた。不穏なので近寄らないのだろう。私も目を伏せて通り抜けた。
今日は田中商店でカフェオレを買う。リハビリ病院の裏通りを歩き亀二都住の石段に至る。お雪、シンちゃん、クロちゃんが
迎えてくれた。差し入れはたっぷり置かれていた。クロちゃんが来てくれたので早速お食事に致した。3匹で3袋半。お雪、クロちゃん、シンちゃんの順でガッツク。
食後クロちゃんがそばに来たいような素振りを見せたが、諦めたように花壇へ退いた。お雪の40分のセラピーを終えたあと、花壇へ行きクロちゃんの喉を搔き搔きしてあげた。目を細める。
帰りにウエルシアに寄り細君から頼まれた体温計を買う。更に生協に寄り醤油、キャットフードほかを買い、あんパンをかじりながら帰宅。

今日は
Life imprisonment
https://www.bbc.co.uk/programmes/m000v8wt 
を聴いて、0850~1235の書き取りに励んだ。分量はこれくらいが良いようだ。これ以上やると雑になり、疲れる。
https://nprtheeconomistpapers.hatenadiary.com/entry/2026/05/06/114612

あいまいな空に不満の五月かな(中澤敬子)

 

昨日はブログ「随筆筆写」に50人の方が訪れ、56のアクセスがあった。
トップはアクセス5で、

「東京-大阪、深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと - スズキナオ」

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32451963/

2位(アクセス4)は

「いま失えば、二度と会えない人 ー 三浦哲郎」日本の名随筆31婚 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/34538035/

3位(アクセス3)は

「サザエさんの性生活 - 寺山修司」角川文庫 家出のすすめ から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32296453/

「執事が見なかったもの(『日の名残り-カズオ・イシグロ』の書評) - サルマン・ラシュディ〔小野寺健訳〕」光文社知恵の森文庫 ロンドンで本を読む 丸谷才一編著 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32330625/

「坐禅の心は安楽死 - 横尾忠則」坐禅の心は安楽死 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32844635/

「離別、死別・・・パートナーがいない中高年こそ、マスターベーションを ― 富永喜代」女医が導く60歳からのセックス 扶桑社新書 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/33888921/

7位(アクセス2)は

「美醜についてー福田恆存」筑摩文庫“私の幸福論”から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32294525/

「具象以前 - 湯川秀樹」岩波文庫 日本近代随筆選 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32295024/

「透脱道元(抜書) - 上田三四二」新潮文庫 この世この生 から
https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32338223/

「正宗白鳥と珈琲 - 広津和郎」作家と珈琲 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/33403348/

ほかでした。

で、「安楽死」ということで、

「ボケるよりは安楽死がしたい - 新藤兼人」新潮文庫 ボケ老人の孤独な散歩 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32304329/

を紐づけ致しました。