(巻十三)いなくなるぞいなくなるぞと残る虫(矢島渚男)

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1月6日金曜日

過日「私の酒」で“上ずみの酒ー立野信之”をご紹介したが、我輩も性格が横着なせいか、一軒の店に通うタイプである。モーニングは電気ビルの裏に決めているし、昼飯の弁当は7ー11の同じレジのサカモトちゃんに決めている。夜立ち寄る飲み屋は神田駅西口のコーラクでかれこれ35年くらい通っている。

コーラクや今年は煮込みと二合まで(潤)

バブルは弾けたがまだまだ元気が残っていた現役のころは時々海外に出張した。一週間程度の滞在であれば、朝飯と夕飯それに飲み屋もそれぞれ固定して通いつめることにしていた。
ハノイに一週間居たときは、朝食を“フォー”に決めて路地裏の小店に入った。良し悪しは分からないが兎に角七日間そこで“フォー”を食べた。トッピングが色々とあるようで、パタパタと鶏の羽ばたく真似をしたり、指で鼻をブーと上に向けたり、指で頭に角を作ったりしてコミュニケーションを取ったが、7日目にこれが最後だと伝えると、おばちゃんが親戚でも見送るように店先まで出てきてくれた。
ラッセルでは、日本飯屋がべらぼうに高いので韓国飯屋の夕食にしたが、ここも通いつめればお友達である。最後の晩には箸置きを記念にいただいた。
ソウルでは教育大そばのスナックに五晩通った。1日2日はホテルまでのタクシーを呼んでもらったが、3日目からは店のあんちゃんが車を出してくれた。

出張の際に通いつめると言うか一人に決めてよかったのがタクシードライバーであった。ハノイのホテルでタクシーを待っていたら、ボーイが“叔父さんが白タクをやっているが、乗ってくれないか?”と誘ってきたので話に乗った。昼も夜もビートルズが大好きなこの叔父さんのハンドルに身を任せ日が暮れれば屋台でビアホイを飲み(写真)、フランスの名残を留める裏通りのカフェや上玉の揃っている地元のカラオケなどに二人でくり込んで楽しんだ。一人で行ってボラれるよりも遥かに安上がりであったな!叔父さんも一週間安定して稼げて飯を食わせて貰って、“イエスタデー”を思う存分に唄えたのだから、此方の身の安全には気を配っていた。

持ち唄は一つで通すちちろ虫(安藤しげる)