(巻十四)師の芋に服さぬ弟子の南瓜かな(平川へき)

3月3日金曜日

ネットを見ていたら、港湾労組から使用者へのスト通告の話が出ていた。スペインの港湾労組もストをやるようであるし、米国東海岸の港湾労組も鼻息が荒いようである。
宅配業界の労組も労働過重について抗議しているようで“肉体派”労組はお元気のようである。

http://zenkoku-kowan.jp/cgi/blog/diary.cgi?no=145

春闘なし貨車に手を振る子等もなし(塚越秋琴)


スーパーの売り場を見る限り雛祭りは洋物イベントに淘汰されたようで寂しいかぎりである。元を辿れば貴族の行事なのであろうが、菱餅はおろか“あられ”もない。
今日、この祭りは、端午の節句と同様に、どうも金持ち(爺婆)の財の見せどころ(見栄のはりどころ)以外に何の意味もないものになってしまったようだ。人形屋に唆されて雛人形や鎧兜など並べて、そのあとホテルか料亭で親戚集めての一席であろうが、妻側夫側の財力が拮抗していない場合、ろくなことにはならない。
幸い、息子は未だ相手もいないようだが、馬鹿な両親を持った依存症の娘は選ばないでいただきたい。

明日流す雛と一夜を共にせむ(山崎十生)

これが雛祭りや節句など、二桁で済む話ならまだいいが、マンションの頭金の援助、四桁、となると悲惨である。夫の実家に一生馬鹿にされるからと泣き付かれて、僅かにあった老後資金を吐き出す破目になった話など悲劇である。

遺言のように砂吐く浅蜊かな(佐藤洋子)