(巻十五)女拗ねて先に戻りし桜狩(潮原みつる)

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6月1日木曜日

六月らしい空模様で始まった。

六月の手応えうすき髪洗ふ(久野兆子)

まだシャンプーをかければ泡が立つが、今後が心配な今日この頃である。

さて、昼休みに文章修行のために随筆をコチコチと筆写しているが、今日からー「男女は協力し合えても理解し合うことは難しいー河合隼雄新潮文庫“こころの処方箋”からーの筆写に取り掛かった。凡そ一頁、文字数にして八百ほど進んだところで題名の意を理解した。考えてみれば、一つがいの燕さんは協力するが、お互いを理解はするまい。
全編を何れ覧に供したく思います。

低く飛ぶ燕二羽低く飛ぶ(猿人)

その協力者が我輩の理解が及ばぬ用事で外出し、夕食は外食か弁当にしてくれと云ってきた。亀有の“ときわ”にしたいが木曜日は定休だ。二駅手前の北千住駅で降りてかつ丼を喰ってみようという気になった。

秋簾女七つの隠しごと(田中恵子)

北千住について蘊蓄をかたむければ、千住宿品川宿、板橋宿、内藤新宿と同じように江戸直近の宿場で日光街道、さらには奥州への旅立ちの宿場である。芭蕉隅田川を船でここまで来て見送りの人々と水杯を交わして別れたのだろう。

行き行きてたふれ伏すとも萩の花(河合曾良)

現在の北千住はJR常磐線東武伊勢崎線(あんな馬鹿馬鹿しい線名は使わないー伊勢崎線は地下鉄半蔵門線の延長線でもある)、さらには地下鉄日比谷線、地下鉄千代田線、筑波エクスプレス線が乗り入れている大乗換駅である。

待春や私鉄の線路錯綜す(植松紫魚)

北千住駅の千代田線改札を出て西口への階段を昇り北千住の喧騒の中を進んだ。衰えを知らぬアーケード街を旧街道まで百メートル足らずを歩き、右に宿場町通り(写真)、左にほんちょう商店街とアーチのある辻に至る。ここを左に折れてほんちょう商店街を百メートルほど歩くと、ネットで狙いを定めたお目当ての“きそば柏屋”の灯籠が出ていた。

時雨忌や自販機並ぶ宿場跡(八幡より子)

店構えも中の模様もそば屋風で気分がよい。二階もあるようだが、一階のテーブル席に落ち着く。品書きは蕎麦が木の札で額に収まっている。ご飯物は木の札ではあるが額には入れてもらえず、額の下に掛けてある。額の横には“米と蕎麦の変遷”という表が木枠に入れられて(写真)掲げてあり、明治四年から昭和三十七年までの“もり・かけと米”の価格変遷が語られている。この表によればこの店の開店は明治三十七年となっている。

降る雪や明治は遠くなりにけり(中村草田男)

テーブルに置いてあるメニューは写真付きで分かり易い。夏と冬で支度できる品がちがうようだ。夏に鍋焼きは出ない。

新涼や夏炉冬扇の如き仁(足立威宏)

注文はかつ丼であるが、荷風に倣いお銚子一本(300ml)とお新香を頼んだ。かつ丼かつ丼であり、普通に旨しである。量は今まで食べた中では一番重い。締めて1800円である。極めて妥当なお値段だと思います。

六月や荷風になつたつもり酒(潤)

小一時間ほど過ごし、北千住駅に戻り帰路に就いた。

一駅が今日の旅なり鳥雲に(荻野美佐子)